県立高松北高等学校(香川) 今夏の香川大会で準決勝進出を果たした高松北。過去5年の戦績をみても、初戦敗退の夏も少なくない。文武両道を貫き通しながらも今年の夏、そこまで勝ち上がれた理由は何か?
高知県では3回戦で名門・高知商を撃破し、史上初のベスト8に進出した高知農。愛媛県では絶妙の投手継投で11年ぶりベスト8入りの新居浜東。徳島県では6年ぶりにベスト8まで進み、生光学園をあと一歩まで追い詰めた新野。この3校ばかりでなく各地で努力の成果が芽吹いた今夏の四国地区地方大会にあって、着実に成績を積み上げたのが香川県立高松北高等学校である。
秋は3回戦、春はベスト8、そして夏は2000年の準優勝以来13年ぶり3度目となるベスト4進出。準決勝では丸亀の猛打に屈したものの、中高併設型進学校の躍進は丸亀の13年ぶり4度目となる甲子園出場と共に香川大会における大きなトピックスとなった。
では、彼らはいかにしてチーム力を上昇させているのだろうか?再び悲願の甲子園初出場を狙う新チームの練習試合から、「甲子園を狙えるチーム作り」の秘訣を探った。
練習試合はさながら「野球教室・戦術のデパート」8月1日。高松北は新チームになって2試合目・初の遠征練習試合となる高知小津、松山商との変則ダブルヘッダーに臨んだ。昨年は鳴門・松山商にいずれも5回コールド負けの苦杯を喫した借りを返す舞台。「あれから成長した姿を見せないかんやろ?」と秦敏博監督から檄を受け、松山商グラウンドに足を踏み入れた高松北は、両校に「戦術のデパート」を披露する。
高知小津戦では3盗塁に5犠打と小技を絡め、フォークとスライダーという2種類の「落とす変化球」を備える右腕・横井 翔太(2年)も相手を5安打に封じ7対1と快勝。
ノックを振るう高松北・秦敏博監督
転じて松山商戦では高校通算13発(8月1日現在)の3番・丸井 大和遊撃手が豪快に2本塁打。最速147キロ左腕の塹江 敦哉(2年)が6回を初回のみの4安打3失点。残りの3イニングを軟投派左腕・大杉誠二郎がナックルを要所で使う巧みの投球で1失点に抑えて7対4と連勝を飾った。
加えて2試合ともにヒットエンドランなど仕掛ける姿勢も随所に。それ以上に驚いたのは選手たちの反応速度である。現役時代は高松高で内野手。広島大を経てかつて副部長2年・部長4年・監督6年を過ごした高松北へ2011年4月に再赴任して3年目。16年ぶりに監督再就任して2年目となる秦 敏博監督は「まだまだ」と謙遜するが、指揮官の一言に控え選手も含め全員が素早く適応し、試合中は正に「一投一打」へ視線を注ぐ。さらに、その合間にはグラウンドへ具体的なアドバイスも飛ぶ。これは新チーム発足時からなかなかできる段階ではない。完成度はまだまだであるが、彼らのすきなく真摯に野球に取り組む姿勢。かつそれによって生じた小さな成功を喜ぶ旺盛さはまるで「野球教室」にやってきた少年たちのようにも見える。
ただ、選手たちがそろって「スキがない」と称する秦監督にとってこのスタイルは高松高校監督時代からのもの。別段変わったことではない。
事実、前任地での実績も輝かしい。1996年4月から2011年3月まで指揮を執っていた15年間で、1999年秋には右腕・松家 卓弘(東京大―横浜―北海道日本ハム)を擁し県大会準優勝・四国大会ベスト4。2004年秋には再び県大会準優勝で再び四国大会出場の実績を買われ、翌年春には72年ぶり4度目となる21世紀枠センバツ出場。2007、2009年にも秋季四国大会出場(2009年エースは現:東大2年の辰亥 由崇)と、県内No1進学校・高松高校野球部にとって中興の祖たる存在となった人物だ。
となれば、高松北における一年間のスケジュールも当然決まっていることだろう。一年越しのリベンジを果たした2試合後、その一端を秦監督・旧チームから3番を張る新主将の丸井、そして4番・エースナンバーの塹江に聞いてみることにした。
[page_break:練習試合を活用したチーム作り]練習試合を活用したチーム作り「次の塁を積極的に取る。相手のスキを突くのがウチの野球スタイル。でも、積極的に行く、スキを突くためにはまず行ってみないと分からない。ですから、この時期の練習試合では、なんでも積極的に行って判断の基準を作る。同時に選手たちには現時点での判断レベルを知ってもらって、成長するために練習でするべき課題をつかんでもらう。もちろん僕自身もその様子を見て現時点での選手起用の判断をするわけです」(秦監督)
高松北のランナーは常に先の塁を狙う意識を持っている
「練習では走者二塁の実戦形式から攻撃側は三盗をする。守備側は防ぐ練習をしています」(塹江)「投手の癖を見れば三盗は不可能ではない。練習試合でも相手投手の癖は見るようにしていますね」(丸井)
このように失敗が許される「練習試合」を最大限活用し、練習は積極性を促す練習に取り組む。指揮官いわく「相手投手の特徴をビデオで見せてことポイントを教えることもたまにはありますが、練習試合を通じて教えることが多いです」。夏から秋までは「まず積極的に」。これが高松北のスタイルだ。
もちろん、練習試合で重要視している事柄は走塁だけに限ったことではない。「『ファウル1本で相手打者のスイングスピードと狙いをつかめ』選手たちにはそう言っています。データがないときは選手たちが自分で予測してつかむことが必要になってくるので」と秦監督も言うように、守備面では鋭い感覚で相手の狙いを会得することを常に指導。また、攻撃面でも様々な点に積極性のポイントを置いている。
「振り回すバッターもいていいんです。実際、松山商戦で丸井が打った2本塁打も最初の本塁打についてはノーサインでした。でも、それだけでは野球にならない。相手が嫌がるようなこともするバッターもいないといけない」(秦監督)
これが基本形。実際、練習試合で秦監督はある選手に対し「お前は一番足が速いんだから!内野ゴロを転がせ!」という言葉もかける場面も。自分が積極的に出せるストロングポイントをまずは指揮官が教え、自らが体得していく。これが秋までの高松北のルーティーンである。
その反面、どの打者に対しても課す共通項目も高松北には存在する。それは「犠打」しかも「セーフティーバント」だ。その意図を指揮官に聞こう。
「セーフティーバントは1番から9番までできるように。ピッチングマシンを使って、最初は三塁線にバントして一塁まで走るところまで繰り返し練習して、それができれば様々な方向ができるように段階を踏んでいきます。今日の練習試合でも実は走力的にはサインを出すべきでない選手もいるんですが、そこで当たり前に反応してもらうためにあえてセーフティーバントのサインを出しました。最終的にはセーフティースクイズにつなげられるようにもなるので」
夏の勝負どころで用いる場面が必ずある「スクイズ」。この準備も練習試合を通じ早期から怠りなく整える。これも「高松北流一年計画」の一環である。
明確になる課題をつかんで冬の練習・春ベスト8へこうして意図を持った練習試合を続けると、できること、できないこともはっきりしてくる。成長の度合いも判ってくる。
「秋は大会を戦っていく中で成長はできたとは思います。投手力のある土庄戦でいかにかき回して点を取るかを考え、2対1で勝てたことはよかったですね」(丸井)
もちろん、たとえ敗れたとしても冬の練習課題はチーム、個人共に明確となる。昨冬の高松北もそうだった。
「秋は3回戦(2012年09月29日)で(当時県内屈指の左腕だった)藤井学園寒川の西山 元識(当時2年)くんに揺さぶりをかけようとして帰塁が遅れ、一塁走者が刺されるなどして敗れました(1対3)が、バッテリーが強力なチームほどそうやらないと崩せないので、そこでもっと機敏さを要求するようにしたわけです」(秦監督)
旧チームから3番を打つ丸井大和遊撃手(2年・主将)
個人の課題も見つかった。もちろん、2人にも。
「藤井学園寒川戦では犠牲フライと内野ゴロで失点したので、ピンチで三振が欲しいところで三振が取れるボールをそれまでのカウントを考えながら投げるようになりました。結果、春はスライダーも使えるようになれました(球速も143キロに)」(塹江)
「藤井学園寒川の西山くんは左から切れ味のいいボールを投げていたので、アウトコースのボールやインコースをさばいてファウルにすることを考えて、甘いボールを捉えることを冬のテーマにしました。春はある程度うまくいったと思います」(丸井)
そして夏からのテーマ「積極性」も継続。これが春のベスト8につながった。
[page_break:投手たちの適性を知るためにも必要な「練習試合経験」]投手たちの適性を知るためにも必要な「練習試合経験」ブレイクタイム。こんなことを思われた読者の方はここまで読めばきっといるはずだ。
「そんなこと言っても、高松北投手陣は塹江くんのワンマンチームなんでしょ?」
確かに塹江は準決勝(2013年07月25日)で最速147キロまで球速を伸ばしたが、実は夏の香川大会(第95回香川大会)は4試合全て継投。先発こそ塹江が全試合務めたが、3回戦の高松南戦は塹江を5回途中でライトへ回し、大杉・横井のリレーで逆転勝利へとつなげている。
「投手1人で勝つようなチームにしたくない。全員で打って守ることをしていく中で、個人の力も伸ばしてほしい」そこには秦監督の確固たる信念が存在している。
フォークを決め球とする右腕・横井翔太(2年)
「今年は2年生の3投手がライバル意識も含めうまくかみ合ったので3枚作りましたが、通常は2枚をベースに。それぞれの投手に応じて本人がどんなボールを投げたら抑えられるか試合を経験させながら教えていきます。今年の3人で言えば、大杉ならば丁寧に落ちる球をベースに投げていくこと。横井はアウトコースの出し入れ。そして塹江は速いボールがあるので、それを打たせてボールを振らせる。ですから大杉なんかには『ボールが速すぎる』なんてことも言いますね(笑)」
しかし、投手というポジションであれば「速いストレートやすごい変化球で空振りを取りたい。」と誰もが願望を抱くもの。そこを納得し、自分のスタイルを知ってもらうには、指揮官によるそれ相応のアプローチが必要なはずだ。
「それも練習試合で打たれたときにスタイルについての話をして、その形を出して抑えられて、本人が判ってくれればと思っています。横井とかも最初は力で抑えにいって『違うやろ!』という話もしたんですけど。ただ、それに応えてくれる投手たちが素晴らしいと思います」
「練習試合経験」をベースにした独特の投手育成論。これも何かの参考にして頂ければ幸いだ。
成果を出した夏、そして悲願達成への一年が始まる坂出商、藤井に完封勝ちし、多度津に2対4で敗戦も手ごたえはつかんだ春。「もう1つ上にいかなければいけなかった」(秦監督)課題も手に高松北はゴールデンウィークの遠征へと向かった。場所は広島県。相手は広島商、岩国、広島工など。いずれも甲子園を沸かせた名門である。
「今までは大敗していた強豪に引き分けや勝つことができて、自信を付けることができました。この練習試合はチームが大きく成長できた要因だと思います」(塹江)
一段上とでも互角に戦えるようになった選手たちの手ごたえと、「投手から二塁手にコンバートした吉田将大が内野を、外野では松岡 昌汰(中堅手)が締めてくれるようになった」指揮官の成長実感は、夏に大輪の花となった。
「最初から失敗を恐れず積極的にやってきた結果、春以降にだんだん選手たちが対応能力を付けてきたことは感じました。夏の3回戦(常時130キロ台を出す好右腕の)高松南・曽我 圭二くん(3年)を攻略できた(5対3)のも、選手が彼のスキを突いてくれた(4盗塁)からです」(秦監督)
「春以降、変化球・ストレート両方打てるようにした成果が、準々決勝・小豆島戦(2013年07月23日)で出ました(4打数2安打2打点で4対0の勝利に貢献)」(丸井)
ナックルボールを決め球に持つ大杉誠士郎(2年)
「甲子園まであと2つ」。迎えた7月25日の準決勝・丸亀戦。ただ・・・。
「ボールに切れがなかったし、あれだけ自分の課題が明確に出た試合はなかったです。3年生には申し訳ないことをしました」
塹江が1回裏、まさかの11失点。5回コールド・わずか80分で高松北の夏は終わりを告げた。
「今は特別な盛り上がりの中で戦った夏。低めを立ち上がりから狙ってきた準決勝・丸亀戦の反省を踏まえ、初回の入り方に気を付けています。初回がしっかりできればウチのペースで試合が進められますし、秋に経験がいきてくると思うので」
取材日はそれから1週間あまり。こう話す秦監督をはじめ、チームは新たな闘志を燃やしていた。
「今は軸足のバランスに気を付けて、打たれる147キロより打たれない140キロを追求したい。杉内俊哉(巨人)さんのようにリラックスして投げられるようにしたい。秋は夏から学習したことを活かして、丸井と一緒に引っ張って四国大会に出場し、センバツに行きたいと思います」(塹江)
「自分たちが引っ張っていくことにプレッシャーもありますが、声を出していくことと、丸亀戦で学んだ『ここ一番での最大の集中力』を養っていきたいです。秋の大会では四国大会に出場して、自分が打ってセンバツに進みたいです」(丸井主将)
「チームとしての自信をつけていくこと。落ち着いて最後に1点勝てればいい」(秦監督)
そこだけはブレずに。高松北は創部31年目での悲願達成へ新たな一年を進めていく。
(文=寺下 友徳)