埼玉西武ライオンズ牧田和久が、バットでスタンドを沸かせた。 
 15日に行われた対東京ヤクルトスワローズ第2回戦に先発登板した牧田は、3度打席に立ったが、最初の2回は左打席、残る1打席は右打席に入った。
 牧田は「右投げ、右打ち」で登録されているが、高校時代はスイッチヒッターだったもよう。自身も、「左の方が振りやすいし、打てるのであれば左でいこうと思っていた」と最初の2打席を振り返った。

 なお、試合は9対3で、ライオンズが勝利。当の牧田は7回3失点で今季4勝目を挙げたが、注目の打席は3三振に終わった。

 左利きの割合は、世界人口の1割前後と言われている。国や地域で若干の隔たりはあるが、それでも左利きはマイノリティだ。
 プロ野球の世界でも、世間一般よりはその割合が高いが、左利きは少数派。だから、左利きの選手はある場面では重宝されるが、一方で非常に苦労を強いられている。

 米メジャーリーグの資料や書籍などを見ると、左利きの投手を意味するサウスポーは、変わり者の代名詞に使われている。全選手に占める割合が低いから、サウスポー=「普通ではない」と見られているのだろう。

 ピーター・ レフコート著「二遊間の恋―大リーグ・ドレフュス事件」(文春文庫)は、架空のメジャー球団であるロサンゼルス・ヴァイキングスの遊撃手、ランディ・ドレフュスが、ダブルプレーコンビのディガー・J・ピケットとただならぬ恋に落ちる物語だが、レフコートはランディが一線を越えてしまうことを、「左打席に入る」と表現している。よく抗議されなかったものだ。

 現実の世界でも、左利きの選手への風当たりは強い。どんなに安定感抜群の投手でも、本塁打を量産する強打者でも、頭に「左の」がつく。「左のエース」、「左の大砲」といった感じで、なかなか「エース」や「大砲」と呼んでもらえない。これが右利きの選手なら、わざわざ「右のエース」、「右の大砲」と呼ばれることはないだろう。

 左利きの選手に関する格言もある。「左腕投手は、上達に時間がかかる」、「左投手は、左打者にはチェンジアップを投げてはいけないことになっている」(これは、ただでさえ左投手は左打者に対し有利なのだから、さらにチェンジアップを投げるのは卑怯だとするヤッカミ)、「40歳で左利きなら『巧妙な選手』と呼ばれることになるだろう」といった感じだ。
 こんな格言があるのはやはり、左利きの選手が特異な存在だから。「40歳で左利きなら、『巧妙な選手』と呼ばれることになるだろう」は「40歳で右利きなら、『コーチ』と呼ばれることになるだろう」とのセットだが、右利きの選手に特化した格言は少ない。
 やはり、左利きの選手は、良くも悪くも特別な存在なのだ。

 かく言う当方は右利きだが、左利きの友人に聞くと、世の中は左利きには生きにくくできているそうだ。言われてみれば、エレベータのボタン自動販売機の硬貨挿入口工具の設計などは、右利き向けだ。文字の留めや跳ねも、右手で書くことを前提にしている。
 左利きの選手はそのうえで、グラウンド上で良くも悪くも特別視されいる。右利きのファンにはわからない、大変な苦労なのだろう。