海外食品事業の営業利益が伸びている

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■これまでのやり方は通用しない

海外利益比率が59%(2010年度見込み)と、すでに利益の半分以上を海外事業から得ている味の素。690億円(同)の営業利益のうち、302億円を海外食品事業が生み出し、44%を占める。国境を越えた社内コミュニケーションについては慣れているはずだが、現在ガーナで進めている乳幼児向けの栄養強化食品事業は、様子が違う。「これまで経験のない、まったく新しいビジネスモデル」だからだと、同社CSR部専任部長の中尾洋三氏は語る。

この「ガーナ栄養改善プロジェクト」の新しさは2つある。まず、同社で初めての「ソーシャルビジネス」、つまり途上国の栄養不足などの社会問題を解決するための持続可能なビジネスであるという点。もう1点は、大学やNPOなど非営利組織との連携を前提としている点だ。

これまで行ってきた東南アジアや中南米などの事業では、現地の物流や商流は自前で構築してきた。営業担当者が商品を直接店舗に販売し代金を回収する、キャッシュオンデリバリー(代金引き換え払い)方式で販路を拡大してきたのだ。しかしガーナでは、この方式は適さない。

「貧困層をターゲットにしており、母親たちに栄養教育を行いながら、商品を現地で安価に生産して届けることが必要です。迅速な事業化とリスク分散のためには、現地のNGOなどとの連携を前提とするほうが適していると判断しました」(中尾氏)

この取り組みは、必須アミノ酸の1種「リジン」の研究から始まった。とうもろこしや小麦などに含まれるリジンの量は少なく、穀物に偏った食生活では体の成長に必要なたんぱく質の不足につながってしまう。

政治的に安定しているうえ、国際NGOなど多くの社会セクターが西アフリカの拠点として活動するガーナに着目し、味の素は06年からガーナ大学と共同でリジンの研究を進めてきた。

09年に創業100周年を迎え、新たに「“食”と“健康”そして、“いのち”のために働く」をグループビジョンに掲げた同社では、このリジンを活用してガーナの乳幼児の栄養改善に本格的に取り組むことを決めた。

ガーナの子どもの成長データを見ると、母乳で育つ時期は比較的順調だが、離乳食の時期になると低身長の割合が増える。離乳食でアミノ酸をバランスよく摂取できれば、子どもの栄養状態を改善することができるはず。そこで、離乳食に添加することでリジンなどの栄養素を補える商品を開発したという。

■同じ言葉でも「意味」が違った

このプロジェクトは、ガーナ大学のほか、ガーナ政府、UNICEF(国連児童基金)、米国や英国に本拠地を置く国際NGOやこれらNGOの日本法人、ガーナ法人など、国だけでなく目的や文化の違う組織が共同で進めている。

「最初の壁は、『どうやって信頼してもらうか』でした」と中尾氏は振り返る。ガーナやその周辺には味の素の拠点がなく、知名度も低い。現地のNGOにいきなりアプローチしてもうまくいくはずがない。そこでまずは国際NGOの日本窓口にコンタクトし、現地のオフィスに繋いでもらった。

「幸い味の素では、1999年からCSR部が窓口となって国内外のNGOを支援する活動を行っており、NGOとの繋がりがありました。このため、比較的スムーズに信頼関係をつくることができました」と中尾氏は言う。

プロジェクトを進めるうえでの壁は、国の違いよりも、NGOと企業の文化の違いによるものだったという。

「そもそも十数年前まで、一般的にNGOは企業に懐疑的な目を向けており、企業と組むなんて考えられなかったと思います」と中尾氏は言う。

両者のコラボレーションが活発化し始めたのは、まだ最近のこと。「小さな成功事例を積み重ねていくしかない」と中尾氏は語る。両者の文化の違いを象徴するのが、「言葉」だ。同じ言葉でも、企業とNGOでは違った意味で捉えていることがあった。

「たとえば、こちらは『調査』という認識で進めていたことを、NGO側ではすでに『パイロットプロジェクト』の段階だと認識していたことがありました」

こういった誤解は、ひとつひとつ丁寧に解決していくしかない。どちらが正しい、優れているということではなく、互いの違いを認識したうえで対話を重ねるしかないのだ。

すれ違いがあっても、「『ガーナの乳幼児の栄養状態を改善する』という大義をきちんと共有していれば大丈夫」だと中尾氏は言い切る。各論で壁にぶつかっても、大義に立ち戻って一緒に考えれば、必ず解決策は見つかる。

味の素社内では、CSR部のほか、研究開発部、アミノ酸事業開発企画部、海外食品部など複数部門から約10人がプロジェクトに参加。中尾氏を含むCSR部の2人と研究開発企画部の1人が専任のほかは兼務で、月1回の会議で意見交換をしている。普段は、ガーナ大学やNGOも交え、メールでのコミュニケーションが中心だ。もちろん英語である。

通常の新規事業であれば、ここまでCSR部が深く関わることはない。CSR部がNGO、NPOなどの非営利セクターと事業部との間に立ち、「クッションの役割を担っている」と中尾氏は話す。

事業部門は、売り上げや利益といった短期的な結果を求めがちだ。一方NGOなどは、長期的な目標を掲げて動く。

「NGOの考え方もわかり、企業内の事業部門の考え方もわかる」CSR部が間に入ることで、違いを乗り越えてプロジェクトを進めるのに役立っているのだ。

コミュニケーションで意識しているのは、「階層構造をつくらないこと」。あくまでもプロジェクトの主体はガーナなのである。

「味の素はプロジェクトのリーダーではなく、コーディネーター。NGOは下請けではないんです。たとえば、現地で女性の起業家を育成して商品を販売するという段階になったら、ガーナのNGOがリーダーになるべきかもしれません」

特にこれまでビジネスで関わったことのない相手に対しては、情報を抱え込んで一方的にプロジェクトを進める方向に動きがちだが、味の素の場合は「情報をどんどん共有するよう心がけている」という。「確かに情報を出すことにはリスクが伴いますが、創造的な意見を得られることも多い」と中尾氏は話す。

たとえば商品開発では、UNICEFスタッフとのやり取りが活きた。当初、味の素ではリジンを強化したボトル入り飲料として商品化することを検討していたが、それでは嗜好飲料として店頭に並ぶことになり、価格も高くなる。流通の費用もかかるため、ターゲットとする地方の貧困層には届かない。

こういった指摘やアイデアをUNICEFのスタッフから受け、商品の形を変えたという。粉末サプリメント製品とし、現地で離乳食に使われる主食の1つ、とうもろこしを発酵させたお粥状の「ココ」に混ぜることで必要な栄養素を補給することを狙った。

「味の素では、社外のさまざまなセクターと協力しながら新しいものを生み出す『オープンイノベーション』に着目しています。このプロジェクトがオープンイノベーションの1つの事例になれば」と中尾氏は語る。

■東南アジアでの失敗を糧に

これまでの海外事業の経験も活きている。

「(伊藤雅俊)社長はよく『現地の言葉でビジネスをやりなさい』と言っています。英語ではなく、現地のマーケットで使われている言葉で話して初めて、現地の課題が見えます。そこでさまざまなリスクが把握でき、チャンスも生まれます」(中尾氏)ガーナの公用語は英語だが、部族ごとに言葉も違う。

「簡単に、『英語ではなく地元の人たちの言葉で』というわけにはいきませんね」と中尾氏は笑うが、現地密着型の発想は同じ。社内スタッフに現地の文化を理解してもらうためには、「現地に行ってもらうのが一番」だという。中尾氏自身も最低3カ月に1度は現地に赴いているし、ほかのプロジェクトメンバーも出張に同行することが多い。特にこれから生産や品質管理、販売など実務を詰める作業が進むにつれ、「現地を見る」ことの重要性はますます高まるだろう。

海外ビジネスを行ううえで大きな教訓となっているのが、イスラム教徒が多いインドネシアで00年に起きた「ハラール」(イスラム教徒が食べてもよいもの)の問題だ。製品の製造過程で、イスラム教で禁忌とされている豚由来の成分が使われていたとして問題になったのだ。当時、社長自らが毎朝現地スタッフとテレビ会議で協議することで、事態はようやく収束に向かったという。

「(豚由来の成分が)製品に含まれていたわけではなかったのですが、日本人と現地の人の感覚の違いを、理解しきれていなかったことが根底にあったと思います。特に宗教のようなセンシティブな問題なのに、感度不足だったのでしょう」と中尾氏は振り返る。

日本人の感覚では簡単に理解できない宗教や文化、貧困の問題などについては、「とにかく最初に洗い出しておくことの大切さを感じている」という。

「特に乳幼児を対象としているので、事故は許されない。できるだけ早く進めたい気持ちはありますが、じっくり石橋を叩いて叩いて、慎重にリスクを取り除く必要があるのです」

ここでも頼りになるのは現地のパートナーだ。

「一口にガーナといっても、北部はイスラム教徒が多く比較的貧しい、南部はキリスト教徒が多く北部に比べると豊か、など状況はさまざまです。ガーナ大学や現地のNGOから丁寧に情報収集を行いながらプロジェクトを進めています」

■摩擦から生まれるイノベーション

プロジェクトはようやく、製品開発や市場調査を終え、ガーナ政府やNGOなどとの連携体制を確立したところ。

「まだ総論を詰めている段階なので、コミュニケーション上の壁といって思いつくのは、仕事を進めるスピード感が、ゆったりした『ガーナ時間』ということくらいでしょうか」と中尾氏は笑顔を見せる。

しかし11年度からは、プロトタイプ製品を使った効果確認試験やテスト販売、本格生産・販売に向けた準備に取り組む予定だ。「生産や販売について具体的な話を進めるにつれ、意思決定の過程などでもっと摩擦が起きてくると思いますね」というが、こうした摩擦は、一概に悪いこととはいえない。オープンイノベーションの源ともなるはずだ。

本格的な事業化は、12年度以降になる予定だ。社会貢献としてやるだけでは一部の子どもたちしか助けられないが、ビジネスとして成り立てば、他国への横展開の可能性も生まれ、より多くの子どもたちを救うことができる。中尾氏は「小さくても、とにかくビジネスとしての成功事例をつくりたい」と意欲を見せている。

※すべて雑誌掲載当時

(大井明子=文 尾関裕士=撮影 味の素=写真提供)