/歩も王将も、しょせんは同じ木のコマ。いくらでも取り替えがきく。社長の肩書自体が26%の組織の基礎支持率を持っている。これを割り込めば、その社長は組織そのものの信頼性を毀損している。いっときの員数合わせではなく、その後にどれだけ有能な人材が集まってくるかが、その社長の偉さだ。/

 社長が来れば、頭を下げる。でも、なぜ? 社長だから。誰が社長であっても、社長ならば、従業員はみなそうする。では、社長になる人は偉いのか。それは、わからない。将棋のコマを見てみろ。全部、同じ木で出来ている。王将と書いてあるコマだけ、特別の材質で出来ているわけではない。桂馬や歩と同じだ。

 とはいえ、みんな同じだ、などと、従業員が頭に乗ってはいけない。この将棋盤の上にいる以上、王将が大事。そういうゲームだから。ゲームを否定すれば、そこから放り出される。そうでなくても、歩から桂馬、飛車角と、王将の都合によって捨てられる順番でもある。下っ端のくせに社長をあなどるなどという身の程知らずは、危ない、危ない。

 しかし、それは社長も同じこと。おそらく第一派閥のトップであることによって、社長になったのだろう。つまり、第一派閥が51%以上の支持を得、その第一派閥の中で51%以上の支配を持っている。これは、0.51x0.51で、社内全体では、じつは26%にすぎない。第一派閥出の社長なんだから、ということで、最低最悪でも、社長という肩書自体が26%の基礎支持率を持っている。これにいかに上乗せができるかが、その本人自身の実質的な支持率ということになる。

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