人生、矛盾で当たり前/純丘曜彰 教授博士
/世間は、それぞれ、白黒はっきりしろ、とうるさい。だが、人間は多色の多面体だ。あっちこっちをやりくりし、辻褄合わせをして、全体を結びつけていることにこそ、その人が生きている意味がある。/
世間によく嫁姑の争いは聞く。あなた! どっちの味方なの! 白黒つけなさいよ! と双方が喚き散らす。だが、間に立つ男が死んでしまったらどうなる? 嫁も、姑も、赤の他人。この男が生きていて、白も黒もつけないからこそ、嫁が嫁で、姑が姑でいられる。会社でも同じこと。中間管理職というのは、上層の意向と現場の状況とすりあわせるために存在している。上の話を伝えるだけなら、いなくても同じ。
そうでなくても、人は、あれやこれやを同時に抱え込んでいる。親の子であり、子の親であり、妻や夫でもあり、家庭人で、社会人で、仕事三昧に、趣味道楽に、近所つきあいも。持病もちでも元気な毎日。時間や予算はもちろん気持ちや気配りも、あちらこちらにやりくりし、どうにかこうにか辻褄合わせ。
さらには、一人の中にも、いろいろな自分がいる。過去の自分、未来の自分。表向きの自分、内向きの自分。世間は、あいつは、ああいうやつだから、と言うが、だからといって、ほんとうにそういうやつであるともかぎらない。過去のままでいられるわけもなく、かといって、未来を先取りできるわけでもない。外面だけ良くしようと思えば、心の内にきしみが生じる。しかし、傍若無人に好き勝手、というのも、自分らしくない。
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世間によく嫁姑の争いは聞く。あなた! どっちの味方なの! 白黒つけなさいよ! と双方が喚き散らす。だが、間に立つ男が死んでしまったらどうなる? 嫁も、姑も、赤の他人。この男が生きていて、白も黒もつけないからこそ、嫁が嫁で、姑が姑でいられる。会社でも同じこと。中間管理職というのは、上層の意向と現場の状況とすりあわせるために存在している。上の話を伝えるだけなら、いなくても同じ。
さらには、一人の中にも、いろいろな自分がいる。過去の自分、未来の自分。表向きの自分、内向きの自分。世間は、あいつは、ああいうやつだから、と言うが、だからといって、ほんとうにそういうやつであるともかぎらない。過去のままでいられるわけもなく、かといって、未来を先取りできるわけでもない。外面だけ良くしようと思えば、心の内にきしみが生じる。しかし、傍若無人に好き勝手、というのも、自分らしくない。
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