スイカが先だ/純丘曜彰 教授博士
/大きな物事に取り組むには、大きな空白が必要だ。予定を立てる、とは、雑用を詰め込むことではなく、それを切り捨てること。予定が空白でも、現実まで空白になるわけではなく、そこには空白の予定でしか得られない直接の現実の体験がある。/
夏ならスイカ。冬ならケーキ。仕事帰りに商店街を通り抜けると、閉まりかけの店で夕方の特売。え、この値段でいいの、だったら丸ごと、とは思うものの、ちょっと待てよ、冷蔵庫に入るかなぁ、と考え込む。昨日の食べ残しだの、バターだ、ヨーグルトだ、それに、マヨネーズやケチャップなどの調味料で、あれこれごちゃごちゃ。なんて、やっているうちに、後から来たこざっぱりとした主婦が、あ、それ、いいわね、ちょうだい、と即断即決で買っていってしまう。
野っ原でもそうだ。百メートル四方もあれば、サッカーでもできる。だが、そのどこかに木が一本、生えているだけで、どうやっても正規のフィールドは取れない。せいぜい、その木のまわりをグルグル回って練習することしかできない。3時間も集中して考えてこそ思い浮かぶようなアイディアも、2時間のところで、どうでもいいセールスの電話にほんの三分じゃまされただけで、また一からやり直しになってしまう。
大きいことをやろうと思うなら、始末が先だ。食べれるんだかどうだかわからないような残りものだらけでは、冷蔵庫に新たに大きなスイカなど入るわけがない。予定表が空いていると、職そのものまで無くなるような不安に駆られ、くだらない雑用をギシギシに詰め込みたがる人は多い。だが、そんなものは、なにも新しいことを生み出さない。むしろ、予定を立てる、というのは、いつでも大きな新しいチャンスがつかめるように、そういう、すっぽかしても大したことがないような、くだらない雑用をごっそりまとめて切り捨てて、自由に動ける空白を作り出すことだ。
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夏ならスイカ。冬ならケーキ。仕事帰りに商店街を通り抜けると、閉まりかけの店で夕方の特売。え、この値段でいいの、だったら丸ごと、とは思うものの、ちょっと待てよ、冷蔵庫に入るかなぁ、と考え込む。昨日の食べ残しだの、バターだ、ヨーグルトだ、それに、マヨネーズやケチャップなどの調味料で、あれこれごちゃごちゃ。なんて、やっているうちに、後から来たこざっぱりとした主婦が、あ、それ、いいわね、ちょうだい、と即断即決で買っていってしまう。
大きいことをやろうと思うなら、始末が先だ。食べれるんだかどうだかわからないような残りものだらけでは、冷蔵庫に新たに大きなスイカなど入るわけがない。予定表が空いていると、職そのものまで無くなるような不安に駆られ、くだらない雑用をギシギシに詰め込みたがる人は多い。だが、そんなものは、なにも新しいことを生み出さない。むしろ、予定を立てる、というのは、いつでも大きな新しいチャンスがつかめるように、そういう、すっぽかしても大したことがないような、くだらない雑用をごっそりまとめて切り捨てて、自由に動ける空白を作り出すことだ。
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