/言論の自由は、人権を超えるものではない。今回、その蹂躙が公然と行われた。そして、人権問題に傍観の余地は無い。公的な図書館や病院、一般の書店がこれを放置するなら、それは差別側と同じだ。出版社が言論の自由を濫用するなら、読者の側にも、売らず買わずで潰す正義がある。/

 言論の自由は、他者の人権の前で終わる。ジャーナリズムを標榜すれば、なにを言っていい、どんな記事を載せてもいいわけではない。こんなことは、ジャーナリズムの基本中の基本だろう。それとも、週刊朝日編集長のカワバタ氏は、出自がマンガ担当で、こんな基本も知らなかったのか。

 もちろん、私的なジャーナリズムが、特定の政治的立場を支持することはかまうまい。個々のジャーナリストが、公職にある人物ないし公職を目指す人物の人間的な資質を問うのも、当然のことだ。しかし、それを公表掲載するに当たっては、当然にまず相手の人権こそが尊重されなければならない。

 そして、今回、その蹂躙が公然と行われた。これは、もはや当該の政治家の賛否、好き嫌いの問題では無い。たとえ、どんなにイヤで嫌いな人物であっても、その人権侵害は、社会として絶対に許してはならない。まして、公的な図書館や病院が、特定の政治的立場を支持したり、個人の人権を踏みじるような雑誌を定期購入しているとなると、これは公費の使い道として大いに問題がある。

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