こんにちは、亘崇詞です!

ロンドン五輪ではサッカー男女はもちろん、バレーやバトミントンなど団体競技での活躍が目立ちましたね。サッカーでは香川選手たち若い世代が世界で活躍していますが、その背景を考えたときに、若い世代の考え方が変わってきたということと、世界の実力差が詰まってきたこと、という話は前回のコラムでお話させてもらいました。それに関連した内容になりますが、ロンドン五輪の団体競技の選手たちの声に耳を傾けていたときに、グラウンドやコート上だけなく普段もずっと一緒にいる時間が長くて仲が良い、一緒の部屋にいても苦痛ではなくてずっと一緒にいられるとか、そういう話が結構たくさん出ていたので、ああ日本人も変わってきたのかなあと感じたのです。

というのも、僕の日本人のイメージというのは団体よりも個人で頑張るというものだったからです。柔道しかり、マラソンしかり。野球もサッカーやバレーと比べると個人の集合体ですよね。逆に南米はこれまで、サッカーやバレーなどの団体競技で強みを発揮することが多かった。それと対比したときに、日本人は個人で結果を出すことに長けていると思っていたのですが、最近では、絆が大事だとか、ボランティアをみんなでやるとか、それは若者の考え方が変わってきたことの一つの表れだと思いますが、そういう流れがあって今回、団体競技で結果を出すことに繋がったのだと思うと、僕個人としては非常に興味深かったのです。

■アルゼンチン人はマテ茶を回し飲みして仲間意識を持つ

ボカジュニアーズの強化やスカウトの担当者が「Jチームと意見交換がしてみたい」とあるチームにアポイントをとって都内のホテルに出向いていったことがあるのですが、試合前日に都内のホテルに前泊していることがアルゼンチン人には衝撃だったようです。まずアルゼンチンだったらみんなが遊びに行ってしまうので前泊にならないし、一人部屋だと聞いてまたびっくり。ボカではトップチームでも3人部屋なんてことが当たり前なんですよ。さらにその狭い一つの部屋に集まって試合前でもみんなで色々な話をしていて、寝る直前まで部屋に帰ろうとしないんですね。誰かが部屋にいることが自然で、苦痛ではない。日本の常識を知らずにアルゼンチンに渡った僕からすると、それが選手たちにとって当たり前だと思っていただけに、僕の中で、ひとりの時間を大切にする日本人は個人競技向きだよあ、という印象が強かったのかもしれません。

1990年はじめ、僕がアルゼンチンに行った頃の話ですが、朝起きればテンションが高いやつらが部屋に入ってくるし、昼食はいちいちチャチャを入れてくるし、夜は夜で、夕食までハイテンション。そして寝る前一時くらいまでわいわいと一つの部屋にみんなでいる。そこでみんなでマテ茶を回しながら飲むんです。僕がクラブワールドカップでボカと帯同していたときに、もし日本人の友人をチームに連れていけば、これ飲んでみろ、といった感じでマテ茶を回してきますよ。僕も普通に飲んでいましたね。たぶん今の日本人は抵抗ありますよね。

マテ茶というのはアルゼンチンの原住民の放牧民も飲んでいたもので、グルーピーといって、集団の結束力を高めるためのもの。火の周りで集まってみんなで飲む習慣があるんです。それが今でも毎日、アルゼンチンの日常には残っているんです。日本で言えば一つの杯でお酒を飲んでいる感じ。みんなで集まって、家族や彼女、それぞれのお国自慢、サッカー、政治、宗教などの話をして、結局、話が交わらなければ喧嘩にもなるし、でも次の日はまた普通に集まってみんなで色んな話をしている。昔の日本にもあったかもしれないですねえ。ゲームやパソコンなんてなかった時代ですよ。長屋的な雰囲気ですね。もちろん現代のアルゼンチンにもインターネットは繋がっていますけれど、あのみんなで一緒にいるときの雰囲気は変わらないですね。