「狭い部分では、はたいてしまう。そこで前を向いて勝負できたらもっと自分は怖い選手になれる。スペースのないところで、どれだけクオリティを上げられるかが、自分が成長するためのひとつの路だと思います」

チーム得点王の宮吉もシュートなしに終わり「シュートを撃てなかったのが、いまのぼくの実力だと思います」と、反省を口にした。大木監督も「失点のあとに慌てたのは自分たちの実力のなさ」だと言う。あくまでもスタイルの問題ではなく水準の問題だというのが、選手、監督に共通した認識だが、それでよいのかどうか?

■選手の意識は変わっていない

勝ちたいと割り切るなら、戦い方を変える路もあるが、選手の意識はそこにはない。
「いままでやってきたサッカーをここで崩してしまえば大きく崩れる。このサッカーをしっかりとやりつづけることによってもっと完成度を高めていけると思う。いま、選手同士でああしたらいい、こうしたらいいと、アイデアを出して試行錯誤しているところなので、もっとそれを試合のなかで出せたら」
これは駒井の言葉だが、おそらく選手たちには、大木スタイルの貫徹を放棄した瞬間に、いまよりもひどいことになるという考えがあるのだろうと推察できる。

大木監督は「正直、練習を見ていますと、みんなそんなにネガティヴにはなっていません。裏を返せば、これはとってつけたような話になりますけれども、危機感がないと言われれば、そういうことになってしまうのかもしれない」と言う。

下を向いていないととるか。危機感が足りないととるか。緩慢に毒が浸透するのを待つ状態だとすると危険だが、ただディフェンスの不備を選手に問うと、きちんとした答えが返ってきているのは事実で、客観性は失われていないように思える。

■距離感とポジショニングの修整がもたらすもの

この日の京都は、相手のサッカーに付き合ってしまったせいか、距離感が微妙に拡がりボールロストにつながったようにも見えた。自分たちを見つめ直さないといけないと言うキャプテンの中山博貴に、見直さなければならないそのひとつに球際の速さがあるのでは? と問うと、こう答えられた。
「密集している分、近いところで切り替わった瞬間にボールに行けるというのは、ぼくらのよさだと思う。それができなくて離されたとしても、しっかり守れるという自信はありますけど、やっぱり相手コートに押し込んでやれればいいかと思います」

駒井も「もったいない失点で自分たちの勝ちたいという気持ちが出るのはいいんですけど、出すぎて相手のカウンターに備える修正ができなかった部分はある」と、ピッチサイドから観たかのような分析ができている。その点に関しては、大木監督とほぼ同じ見方だ。

距離感やポジショニングバランスの修正は、切り換えの速い攻守が連動するサッカーでは、攻守双方に、いちどきに効果を発揮する可能性がある。

■スタイルを貫くということ

先発2トップには宮吉とサヌが復帰した。前述のように宮吉はシュートゼロ。サヌは1本を放ったが、大木監督によれば「受け、攻撃のところでは悪くなかったと思うんです。ただし、プレーが単発でしたね。たとえば、ウチの選手がクリアしたところのもう一枚、そこで動いて拾ってくれそうなところでも動けない、相手のうしろに入ってしまう、そういうところで厚みが出なかったり、自分たちのプレーがつづかないという状況がつづいた」とのことで、テコ入れにはならなかった。

しかし次節以降は、宮吉とサヌもよりフィットしてくるだろうし、なにより、3-0から2点を獲った、萎えない闘志が望みをつないでいる。

大木監督は試合後共同記者会見の冒頭に「時既に遅しですけれども、2点獲った。せっかく応援に来てくださったサポーターのみなさんには、なんのお土産にもなりませんけれども。最後、諦めずに行ったところは、せめてもの救いだと思います」と言っていた。試合後、挨拶に訪れた監督と選手に対してブーイングはなく、ゴール裏は彼らを京都サンガコールで送り出すのみだった。

貫け大木スタイル。七試合勝ちなしという状況で、優しい筆致で書かれたダンマクの文字が、ことのほか重みを増してきている。

■著者プロフィール

後藤勝

東京都出身。ゲーム雑誌、サブカル雑誌への執筆を経て、2001年ごろからサッカーを中心に活動。FC東京関連や、昭和期のサッカー関係者へのインタビュー、JFLや地域リーグなど下位ディビジョンの取材に定評がある。著書に「トーキョーワッショイ」(双葉社)がある。
2011年3月、FC東京の取材に特化した有料メールマガジン「トーキョーワッショイ!MM」を創刊した。