WBCスーパーバンタム級王座を7度防衛中の西岡。ラスベガスで行なわれたV7戦で本場のファンのハートをつかんだ

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“モンスターレフト”と形容されるサウスポーからの左を主な武器に、WBC世界スーパーバンタム級タイトルを7度防衛中の西岡利晃。

 去る10月1日(日本時間2日)には2階級制覇の強豪ラファエル・マルケス(メキシコ)を相手に米国ラスベガスで日本人初の“聖地防衛”を果たしている。

 今や世界的ビッグネームのひとりに数えられる西岡だが、ここまでの道程は必ずしも順風満帆というわけではなかった。天才と呼ばれた10代、数々の挫折を経験した20代、栄光に浴した30代、そして将来――今、西岡利晃が本音を語る。

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■自信満々の生意気な10代。怖いもの知らずだった

――18歳でプロデビューしてから足かけ18年。人生の半分をプロボクサーとして過ごしていることになりますね。

「ホントですね(笑)。ボクシングを始めたのは11歳の時だから、それを入れると24年ですか。早いなぁ……もう35歳ですからね、最近は疲れを抜くためにマッサージにも頻繁に行ってるんです。身体のケアも大事ですからね」

――10代、20代の前半は自信満々でしたね。強くなる選手に特有の、いい意味の“生意気さ”が感じられました。

「確かに自分でも生意気だったと思います(笑)。実際に自信はあったし、怖いもの知らずでしたから。でも、僕はプロ2戦目でKO負けをしているし、順風満帆っていうわけじゃなかったんですよ。絶対に勝ったと思った新人王戦でも負けの判定だったし」

――2000年から04年にかけて世界タイトルに4度挑戦しましたが、結果を残せませんでした(2敗2分け)。何が足らなかったのでしょうか。

「ボクシングに関する才能という点では、僕は生まれ持って非凡なものがあると思うんですよ。これはうぬぼれではなく、本心からそう思っていることなんです。でも、才能は持っているけれど、それを生かしきれていない、出しきれていなかったんだと思います。要は、精神面が追いついていなかったということなんじゃないですかね。

 精神的な強さというのは先天的なものではなく、その人が頑張って得るものだと思うんですよ。僕が経験を通じて気づいたことは、内面的な強さというものは気持ちの持ち方次第なんじゃないかな、ということですね」

――何が転機になったのでしょうか。

「帝拳ジムへの移籍(00年)と、結婚(05年)が大きな転機になりました。家族ができると自分が守っていかなくちゃいけないわけで、そうなるとなおさら結果も出していかなくちゃいけないわけです。“世界チャンピオンになる”という個人の目標が家族単位の目標になったわけですから。責任感が出てきましたね。守るものができると負担に感じる人もいるかもしれないけれど、僕の場合は家族ができてよかったですね。

 ただ、5度目の挑戦にこぎ着けるまでの4年半がめっちゃ怖かったんです。もしノンタイトル戦で負けたら、すべてが終わりになってしまう。だから、そういう意味で本当に怖かったです」

――初挑戦から5度目の世界挑戦(08年)までの8年間に、日本のジムから16人もの世界チャンピオンが誕生しています。いわば西岡選手を追い抜いていったわけです。

「えっ、そんなにいるんですか? でも、単純に『いいな』とは思いましたが、はっきり言って自分には関係ないことでしたから」

――なかには2000年以降にデビューして世界チャンピオンになった選手もいました。

「いや、僕の思いはそこを超越していましたから。誰が勝ったとか、後から来た選手がタイトルを取ったとか、僕はそんなレベルでボクシングをしていないですから。“俺は絶対に世界チャンピオンになる”と。周りは関係ない。必ずなると信じていました」