著作権保護における技術屋・法律屋・お役人の暴走/純丘曜彰 教授博士
/技術屋や法律屋、お役人がいくら著作権保護で走り回っても、それによる利益の増加は、彼らの活動そのもので消えてしまい、創作の現場が潤うことがない。それどころか、それで利用者が敬遠するようになれば、文化そのものが潰えてしまう。/
コンテンツビジネスは、掛け算商売なので、当たると儲けが大きい。その儲けのひとしずくたりともムダにすまい、と、近年、各所で猛烈な著作権闘争が繰り広げられている。いや、それなら、まだいい。問題は、著作権闘争が起きないようにする予防措置が暴走し、コンテンツビジネスそのものを窒息させつつある、ということだ。
もちろん、著作権者の利益を実際に侵害する連中もおり、彼らに対して策を講じるのは当然だろう。しかし、予防措置や見なし課金は、いかに政治的に「合法化」しても、倫理的に問題がある。たとえば、米国ソニーは、自社CDをコピーから守る名目で、2005年、除去不能なスパイウェアをかってに利用者たちのパソコンに潜り込ませ、CDドライブへのすべてのアクセスを常駐監視し、社会問題となった。また、日本は、著作権法第三十条の私的利用の複製の容認に対し、第2項を追加し、私的録音録画補償金をデジタル機器に課すことを定めた。しかし、これらの補償金条項を著作権法の中に記すのは、もともと法律論的に筋が悪い。まして、このカネを、実際の著作権者ではなく、文化庁長官の指定管理団体(私的録画補償金管理協会など)が請求できる法体系的根拠も不明だ。
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コンテンツビジネスは、掛け算商売なので、当たると儲けが大きい。その儲けのひとしずくたりともムダにすまい、と、近年、各所で猛烈な著作権闘争が繰り広げられている。いや、それなら、まだいい。問題は、著作権闘争が起きないようにする予防措置が暴走し、コンテンツビジネスそのものを窒息させつつある、ということだ。
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