/言わなければいいのではなく、本音で思っているのなら、その正体は、その位にふさわしくあるまい。まして、位に足る能が無いにもかかわらず、賞として位にあるのは、周囲にとって迷惑。自動操縦に任せる時にこそ、その再設定の仕事に気を抜けないはずだ。/

 いらないことを言って信を失う人は、言わなければよかった、言わなければ信を失うこともなかった、と思うものらしい。だが、たとえ口に出して言わなかったとしても、本音ではそう思っているのであれば、その人は、もともと人々の信を得ていない、信を得るに足らないのだ。そして、そんなこともわからない程度なのだから、もともと、その位に就く能も無い。内輪での失言程度で済んだのなら、まだ被害が小さかったと言うべきだろう。もしそうでなかったなら、いずれ遠からず対外的な大失策をしでかして、取り返しのつかない事態に世の中を追い込んでいたかもしれない。

 ようするに、言った、言わないの問題ではない。そう思っているのであれば、そう思っている人であることの方こそが、その人の正体ではないか。正体として、人に言えないようなことを思っているような人物であるのなら、周囲を欺いて人前に出てくること自体、信に足る人物ではなく、当然に、むしろ事前に排除されるべき人物だったのではないか。

 もちろん、世の中には、本心を隠して人々を欺き、しかるべからざる地位に立っている人物も少なくはあるまい。実際、文民統制を、軍人に対する言論弾圧だ、と思っている軍人は、どこの国にも少なくないようであるし、いつか社長の寝首をかいてやろう、と思いながら、揉み手で社長にすりよっていく経営幹部など、どこの会社にもいるだろう。しかし、いずれにせよ、その真意の善悪是非以前に、表づらと本音が分離しているということだけで、本来であれば、信ぜらるべからざる人物だ。


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