「真」を求める創造、「美」を求める創造、「利」を求める創造、「理」を求める創造―――私たちはさまざまな次元で創造を行うが、昨今のビジネス現場では「うわべの理×利得」次元での創造に偏ってはいないか。

◆以前の創造といまの創造が何か別のものになった
 ここ数年、私は好んで詩の本を手に取ることが多くなった。もちろんひとつには仕事上の能力向上のためというのがある。あいまいな概念をうまく言葉として結晶化させ、受け手(=お客様)に咀嚼しやすい形で差し出すことは教育のプロとして磨かねばならない能力のひとつだ。
 だが、その理由以上に感じるのは、自分自身の仕事における創造や創造する心が、詩作や詩人の心とずいぶん近くなってきたからではないか―――ということである。
 例えば、いま新川和江の『詩が生まれるとき』(みすず書房)と『詩の履歴書〜「いのち」の詩学』(思潮社)の2冊を読んでいる。彼女は詩の生まれ出るときの様子をこう書いている―――

 「あ、このひと、息をしていない―――と自分で気づく一瞬が、私にはしばしばある。われにかえり、深く息を吸いこむのだが、多くの場合、ひとつの思いを凝(こご)らせようとしている時で、周りの空気に少しでも漣(さざなみ)が立つと、ゼリー状に固まりかけていた想念が、それでご破算になる。高邁な思想や深い哲学性をもつ詩の種子でもないのだけれど、ひと様から見ればとるに足りない小品も、そうしたいじましい時間を経て、やっとやっと、発芽するのである」。

 また、「詩作」と題された詩は―――

  はじめに混沌(どろどろ)があった
  それから光がきた
  古い書物は世のはじまりをそう記している
  光がくるまで
  どれほどの闇が必要であったか
  混沌は混沌であることのせつなさに
  どれほど耐えねばならなかったか
  そのようにして詩の第一行が
  わたくしの中の混沌にも
  射してくる一瞬がある


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