/自殺がいけないなどという理屈が通るくらいなら、自殺などする者などいない。生きるのに疲れたなら、休む権利がある。聖職者や看護師は、あなたのような人を迎え入れるためにこそいる。死にたい、とはっきり言えば、すぐ楽にしてくれる。/

 ここで、自殺がいけない、などと、きれいごとの説教をする気はない。自殺がいけない理由など、どれもこれも後知恵のこじつけだろう。人殺しは罪だ、ゆえに、自分を殺すのも罪だ、など言ってみても、では、その罪を自分で死んでお詫びします、と言われてしまえば、まったく無意味ではないか。

 そもそも、死にたい、と言っている人に、自殺はいけない、などと理屈を言うのは、鬱病の人に、がんばれと言うのと同じだ。むしろ、それこそ絶対にやってはいけない。だいいち、常人には想像もつかないような現実の世界を惨々に見せつけられてしまったからこそ、その人は、死にたいとまで思うに至ったのだ。

 それどころか、理屈では、罪を犯した人の場合、自殺には経済的な合理性がある。日本の法では、死人は罪に問われない。懲戒免職が当然であっても、処分前に死ねば退職金は満額。職域年金も減額無し。まして、自分が死んで大物の罪をかばったなら、違法に罪を免れたその大物が陰で遺族を支え続けることが期待できてしまう。江戸時代の切腹も、戦時中の自決やバンザイ突撃も、名誉よりなにより、そうしなければ、家族にまで多大な累が及んだからだ。これは、社会の方が悪い。暗に自殺を推奨しているようなものだ。


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