国内棄民を乗り越える/純丘曜彰 教授博士
/この国は、救済よりも棄民を繰り返してきた。農業は収穫までに時間がかかるために、開拓は最初の数年間が危機的な状況に陥る。これを乗り越えるには、軍隊や企業ではなく、家族・地域・友愛・信頼に基づく「村」を作り直すしかあるまい。/
イソップ童話に、こんな話がある。池が干からびた。カエルたちは水を探し回る。ようやく井戸を見つけ、喜んで、みなでさっそく飛び込んでみたが、底は涸れていた。それどころか、もはやその井戸から飛び出ることもできなくなっていた。
知っての通り、戊辰戦争の負け組は、北海道に逃げ延びた。西南戦争の負け組は、ブラジルへ。そして、長州閥の外商政策のせいで、広島山口県民がハワイに送られた。しかし、いずれも文字通りの辛酸を嘗める日々。また、第一次世界大戦に伴う1918年の米騒動、1923年の関東大震災、1929年の世界大恐慌、1933年の昭和東北大飢饉は、満蒙開拓団を生み出す。もっとも、これだけは、開拓団と言うわりに、最初から手間無しで豊かな耕作地を手に入れた。それもそのはず、現地の人々から耕作地を略奪しただけだったからだ。だから、結局、敗戦とともにすべてを失い、かろうじて生きて帰国できた人々は、火山の石と大木の根ばかりの極寒地、信州野辺山高原に入植するしかなかった。
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イソップ童話に、こんな話がある。池が干からびた。カエルたちは水を探し回る。ようやく井戸を見つけ、喜んで、みなでさっそく飛び込んでみたが、底は涸れていた。それどころか、もはやその井戸から飛び出ることもできなくなっていた。
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