僕の身体の中には、4年周期のリズムが刻まれている。

82年、86年、90年、94年、98年、02年、06年、10年。

それはすなわち、ワールドカップのリズムなのだけれど、何というか、少し格好良く言えば、それぞれは人生における記念碑のような役目を果たしている。

どこが勝ったとか負けたとか、日本の成績がどうだったとか、サッカーの中身が大きなウエイトを占めているわけではない。

これまでにも何度となく述べてきたことだが、ワールドカップ期間中、観戦可能な試合は1日1試合に限られる。しかも試合時間は、ハーフタイムを入れても2時間弱だ。期間中、観戦可能な試合は25試合なので、どんなに頑張っても、観戦時間は50時間にしかならない。1日は24時間なので、2日と少しだ。僕の今回の総観戦試合22試合。丸2日にも満たない計算になる。現地に40泊近く滞在しているにもかかわらずだ。

観戦時間が占める割合はたったの5%なのに、ワールドカップは人生の記念碑のような役割を果たしている。

残りの95%から睡眠を除いた時間も、またワールドカップだからだ。ワールドカップの思い出が、試合だけで終わらないのは当然だ。むしろ試合以外の方が勝っている。つまり旅の思い出の方が。

もちろん、ただ旅をしているだけではない。その中心にはサッカーがある。サッカーを巡る旅だ。本日の試合はどちらが勝つのか? 優勝チームはどこなのか? 謎と向き合い、推理を巡らす旅でもある。サッカーファンにとっては、宝探しのようなものである。

治安の悪さや、移動手段に限りがあった南アワールドカップは、サバイバルゲームの様相さえ呈していた。過酷なオリエンテーリングに参加しているようでさえあった。

「来るなら来てみろ!」と言わんばかりの主催者に対して、文句は山のようにあるけれど、何事もなく帰国すれば、その40日弱の旅は、次第に良い思い出に変わっていく。

4年後の話もしたくなる。

次回はブラジルだ。南アより遙かに前向きになれる国だ。空港に着いた瞬間に漂う緩いとろーんとした空気がなんといっても良い。飯もうまいし、景色も良いし、治安は決して良いとは言えないが、南アよりはマシ。4年後のことを考えると、ウキウキしたムードに浸れるのだ。

皆さんも是非と言いたい。いまから4年後に備えて準備を整えましょうと。
 
とはいえ、一方で心配になることもある。どうも最近、サッカー観戦の旅に出る人が少なくなっているような気がしてならないのだ。

南アワールドカップ観戦に、実際、現地まで出かけた人は、ごく僅かだった。だが僕は、現地の治安がもう少し良くても、その数はドイツやフランスのワールドカップより圧倒的に少なかったと考えている。

順次開幕を告げているヨーロッパの各国リーグに、これから観戦の旅に出ようとしている人は少ない。かつてなら、ワールドカップ観戦を何らかの理由で断念した人は、ならばと、ヨーロッパの新シーズンにチャンネルを切り替え、その観戦に備えたものだ。ヨーロッパに行って、サッカーを観戦することは、多くのサッカーファンのお楽しみであったはずだ。

一頃は、ちょっとしたビッグマッチや、学生の卒業旅行シーズンになると、日本から500人、1000人といったおびただしい数のサッカーファンが押し寄せていった。90年代の中頃あたりから、そうした人の数はグングン増え、つい何年か前まで、日本発のヨーロッパ便は、一目でそれと分かる人たちによって、多くの座席が占められていた。

それはいまや昔話になりつつある。一番の原因は、日本経済の悪化になるのだろうが、それだけだろうか。

日本の大学生の海外志向が、世界的に見てかなり低いというデータを目にしたことがある。海外へ出かけてみたいという欲求は、韓国、中国の大学生にも大きな遅れをとっていた。