高良健吾、松田翔太(撮影:野原誠治)
 松田翔太と高良健吾という、若手実力派俳優2人が主演を飾る映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」。「ベルリン国際映画祭」をはじめ、国内外で高い評価を受けている本作は、貧困と闘う若者を主人公とした衝撃作だ。今回は、主演の松田と高良の2人に、作品への想い、自身の「壁を壊した経験」などを聞いた。

――今回、松田さんがケンタ、高良さんがジュンという貧困と闘う若者を演じられましたが、脚本を読んだ時の感想、実際の役作りはどの様にされましたか?

高良健吾(以降高良):脚本を読んで、すぐにやりたいと思った役だったんですが、字を読むのと違って、現場でジュンの考えがを感じられたっていうか、色んな発見があったんです。目の前に翔太君がいて、役が出来ていく。だから、現場に入る前に役に対して考えていた事は、結局あんまり使わなかったような気がしますね。

松田翔太(以降松田):彼らが思っている事と、自分が思っている事が、環境は違えど似ていたんですよね。ケンタは自分とシンクロしていて、興味があった。台本読んでみても、すっとこうなんか懐かしい香りがするっていうか、感覚的なものがあったんですね。だから、もうそれを信じてやろうと。ちゃんと深呼吸して、リラックスした状態でやれば一番いいなって。それがこの映画にとって一番最適な準備かなって思ってました。

――お2人の、他の作品とは違う、傷ついていて、荒々しくて、でも繊細な表情がとても印象的でした。役には自然と入れたのでしょうか? スイッチが入る瞬間があったのでしょうか?

松田:演じている時は、とても無意識だったんですね。25mプールでクロールしてる途中とか、サッカーしててボールを追いかけてる途中とか、車運転してる途中とかそういう感覚でしたね。頭のどこかにストーリーとかもあるし、何が動いてるかっていうのもわかるんだけど、何を今意図的にどうしようとかいうことは全くなくて、だから覚えてないんです。現場に入れば、ケンタだったという感じですね。

高良:僕は、ロケにずっと入っていて、一回も家に帰らなかった事が大きいかもしれないですね。自分がジュンだからケンタ君の後をついていこう、とか意識をしないでも、本当に翔太くんの後ろをついて回ってたんですよ。ケンタとジュンの関係性っていうのはケンタとジュンにしか分からなくて、観ている人にも分からない。でも、今、この瞬間だけで分かる2人の関係性を感じて、監督がOKを出してくれたのは幸せでした。

松田:俺たちのコミュニケーションがそのままストーリーになってたから、それが良かったかなって思いましたね。

高良:完成した映画を観ても、もちろん粗探しはあります、ああすりゃ良かった、こうすりゃ良かったって。でも、この映画を観てどう感じたとか、どう感じて欲しいじゃなくて「ケンタがいた、ジュンがいた、カヨちゃんがいた」ってそれだけだと思う。

――ケンタにとってのお兄さん、ジュンにとってのケンタという存在は“絶対的”だった様に感じました。

松田:ケンタっていうのはとにかく愛情を欲してるんですよね。で、ふとした瞬間に自分に家族がいるっていうことが分かってそこに何かを求めちゃう。映画の中で、兄ちゃんに会う為に長い距離を移動しますが、「何か変わる」って思って行ったわけじゃなくて、当たり前のことをして欲しかったんじゃないかなと思って。「あ、来たんだ、元気?」って、普通の言葉をかけて欲しかったんだと思います。

高良:ケンタ君と一緒にいる、ケンタ君がこの世界を抜け出してこの世界をぶち壊す、そこに一緒にいれるっていうだけを願っている。ただシンプルにケンタくんの傍にいたいだけ。だから、長い旅もジュンにとっては全然辛くなくて、ケンタ君とひたすら一緒にいたい、そんな気持ちで演じました。