死体の解剖は「時給9360円」…ひき逃げ事件の真相を暴く法医学者の知られざる世界

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司法解剖の費用は誰が負担し、いくら支払われるのか。その知られざる仕組みの裏で、解剖結果は事件の結論を大きく左右する。場合によっては「人を轢いても罪に問われない」判断につながることもある。

【画像】『法医学教授が教えている 死体の授業』

『法医学教授が教えている 死体の授業』から一部を抜粋、編集し、法医学の現場から見えるお金と真実の関係に迫る。

死体の「解剖料」はどこから、いくら払われるのか?

司法解剖の費用は誰が負担しているのか知っていますか?

司法解剖の目的は、死因を究明し、犯罪捜査に役立てるためです。そのため費用は公費負担となっており、警察庁の予算から各県警を通じて、解剖を行う大学医学部法医学教室へと支払われています。遺族が解剖費用を負担する必要はありません。

警察庁の取り決めで、司法解剖においては、1体につき1時間あたり、9360円の解剖費(解剖謝金)が法医解剖医個人に支払われます。さらに解剖結果を鑑定書にまとめると、別途、約5万円の鑑定書料が法医解剖医に支払われます。

解剖に要する時間が2時間、3時間と長引けば解剖費も比例して増額しますが、長くかかっても、支払われるのは5時間分、すなわち4万6800円までと上限額が決まっています。

ちなみに、公費で負担されるとあって鑑定書の様式も「400字詰め原稿用紙が8枚以上」と定められており、字数もきっちりとカウントされます。

ただし、交通事故の死体の解剖料は例外で時間の上限がありません。なぜなら、交通事故の解剖はとんでもなく労力がかかるため、5、6時間以上かかることもめずらしくないからです。

交通事故の場合、目撃者があり搬送先の病院で死因が診断されることが多いため、解剖が行われることはほとんどありません。しかしひき逃げが疑われる場合は事件として解剖に回ってきます。

ひき逃げされた死体の特徴は、とにかく外傷が多いこと。

皮膚は裂け、骨があちこちで折れ、体のさまざまな部位に打撲傷ができるため、それらをくまなく調べ、最終的にどのような姿勢でどんな車両に轢かれたのか、そして死因となった傷はどれかを検証するのに、どうしても時間を要します。

何度も車にひかれた場合、誰が罪に問われるのか

ただでさえ解剖に労力がかかるひき逃げ事件ですが、最も大変なのは被害者が複数台の車に時間差でひかれてしまったケースです。

たとえば、深夜にAさんという人物が道路で車にひかれたとします。Aさんは道路に倒れ込み、ひいた車はそのまま逃げてしまいました。

その後、なにも知らない2台目、3台目の車がさらに時間差で、すでに路上に倒れているAさんをひいてしまい、翌朝には傷だらけの死体として発見されることになった……。

この場合、罪に問われるのは1台目のドライバーだけでしょうか?それとも2台目、3台目のドライバーにも責任はあると思いますか?

このような事件の場合、重要なポイントは「いつまでAさんが生きていたか」です。

1台目の車にひかれて即死していたのであれば、2台目の車はAさんの死体をひいたことになります。法律では死体を車でひいてしまっても、罪には問われません。

では、1台目にひかれたあともAさんは生きていて、2台目の車にひかれたことが原因で亡くなったのであれば? その場合は2台目のドライバーも罪に問われてしまいます。複数台にひかれた被害者の解剖では、外傷部分の出血量からそのあたりを正しく見極めなければなりません。

1台目の車にひかれた時点で心臓が破裂するなどして停止したのであれば、その後2台目、3台目にひかれたとしても、傷口から出血は起きません。心臓のポンプ機能が停止すると、全身に血液が送り出されなくなるからです。この理屈は、元栓が閉められた水道の蛇口を開けても水が出ないのと同じです。

一方で、1台目にひかれたあと全身にまだ血が流れている状態で2台目にひかれた場合は出血が確認できます。これは「まだ生きている証拠」で、法医学的にこれを生活反応と呼びます。

人をひいたことに気づかないひき逃げ犯はいるか?

ひき逃げの罪に問われるかについてもうひとつ重要なのが、運転手が人をひいたという認識があるかどうかです。

しかし、軽い接触程度ならともかく、被害者が死亡するほどの大事故で、ひいたことに気づかないなんてことはあるのでしょうか。これまでの解剖の経験上、普通車ではまずありえないと思います。

ただ、大型トラックのひき逃げは「本当に人をひいたことに気づかなかった」ケースがあるのではないかと感じています。

巨大なトラックと生身の人間では、重量の差がありすぎて、ひいたりぶつかったとしても運転手は気づかないのではないか。もしかしたら人間がアリを踏んでも気づかない感覚に近いのかもしれません。

だからこそ、大型車によるひき逃げでは、最後まで「本当に人をひいたことに気づかなかった」と証言するドライバーが多い。

私が過去に解剖した事例では、こんなひき逃げ事件もありました。

ある大型トラックが、関西地方を走行中に自転車に乗っていた男性をひいてしまった。男性は自転車ごと車底部に挟まれ、火花をちらしながら400メートルほど引きずられたのち、振り落とされた挙げ句にその大型トラックの後輪に再度ひかれて死亡しました。

しかし、数時間後に東海地方の高速道路パーキングエリアで逮捕されたその大型トラックの運転手は、最終的には無罪になりました。運転手は一貫して「人をひいたことにまったく気づかなかった」と証言したためです。

普通車を運転している人であれば、「さすがに自転車ごとひいたらわかるのでは?」と考えるでしょう。普通車の感覚であれば、それが当然です。しかし、巨大な大型トラックであれば話は別です。

防犯カメラの映像や証拠をすべてさらっても、男性をひいたあとの運転手の行動は、あまりにも「通常どおり」でした。ひいた直後にブレーキをかけた跡もないし、その後も業務上のルートを走り、きちんと休憩も取っていた。運転手の行動からは、ひき逃げの自覚がある犯人らしさはまったく見当たりませんでした。

結果、「ひき逃げは故意ではなく、自覚すらしていなかった」という弁護側の主張がとおり、最高裁まで争っての判決は無罪となりました。

解剖は『答え合わせ』ができる

ごくまれにですが、ほかの専門分野の医師が法医学者に転身することもあります。

救急医だったBさんは、法医学の世界に鞍替えした経歴のもち主です。生命の危機に瀕した患者に緊急処置を行うことが多い救急医は、それこそ「死にゆく人」を数多くみる最前線のポジションです。

しかし、1分1秒を争う現場ですから、「救命できなかった患者」に関しては、立場上、死因を究明することまではできなかった。

Bさんの場合も、「結局のところ、なにが死因だったのかは不明だが救命できなかった」とのやりきれなさが積み重なったことが、死因の謎を解き明かせる法医解剖医になった動機の1つだったそうです。

救急外来には、さまざまな緊急症状の患者が運ばれてきますが、現場は常に「緊急事態」です。身体の中で大量出血している患者の場合、どこの血管が破れているのかを血の海の中でまず把握しなければならないのですが、それが難しい。

吸引しても吸引しても、出血源がわからず、失血死してしまうケースもあります。けれども、皮肉なことに死体となってしまえば、もはや処置を急ぐ必要はありません。

死体は出血しませんから、法医解剖医は溜まった血を拭き取り、ゆっくりと出血源を探し当てて、「なるほど、この血管が破れていたのか」と検証できる。

後日、救急医、司法解剖医、警察、消防が集まる症例報告会やカンファレンスなどで、「今後、類似の事故では、この血管に注意するといいですよ」とフィードバックをすることによって、各自の現場にも学びが還元されます。

救急医が解けなかった謎を、法医解剖医が探し出し、答え合わせができる。死体からわかったことを、生きている人間にフィードバックできる。これもまた法医解剖医の存在意義でしょう。

ちなみに、死体がおもな対象となる法医学ですが、中には生きている人を対象にしている「臨床法医学」という分野もあります。

臨床法医学に含まれるのは、児童虐待や性犯罪などです。虐待や暴力による損傷の原因や時期、治癒の見込みを法医学的に評価することで、裁判の証拠として使用されます。

海外では一般的な臨床法医学ですが、日本ではまだあまり体系的に確立されていないため、残念ながら積極的には行われていないのが現状です。

文/飯野守男 写真/shutterstock

法医学教授が教えている 死体の授業

飯野守男

2026/5/26

1,870円(税込)

240ページ

ISBN: 978-4868010579

「交通事故よりお風呂が危ない」
ドラマ監修も務める法医解剖医が教える
あっ! と驚く死体の話

解剖料は1回〇万円、医療ミスを暴いた解剖例など、
知られざる法医解剖医の仕事から、
「舌を噛んで自殺はあり得るのか?」
「刺されたらナイフは抜くべきか?」といった
ドラマやマンガで目にする描写のウソ・ホントまで。

法医学者だから知っている実際の解剖事例をもとに、思わず人に話したくなる
死体のリアルな知識がつまった1冊です!

■内容
第1章 解剖室へようこそ ――死体はこうして切り開かれる
死体はどのように解剖されていくのか
死体の「解剖料」はどこから、いくら払われるのか?
解剖が最も大変なのは「めった刺し」事件
刃物をもった人間に襲われたら「胸」と「首」を守れ
やわらかい臓器、固い臓器
高温多湿の日本でミイラ死体はできるのか
口の中にウジがびっしり詰まった腐敗死体
法医解剖医の解剖器具リスト

第2章 解剖しないとわからない 「死因」のケーススタディ
Case1「入れ歯で死ぬ」
Case2「風呂で死ぬ」
Case3「3食フライドポテトで死ぬ」
Case4「誤飲で死ぬ」
Case5「便秘で死ぬ」
Case6「病院嫌いで死ぬ」
Case7「鍼で死ぬ」
Case8「夫婦で死ぬ」
Case9「溶けて死ぬ」
Case10「山で死ぬ」

第3章 ドラマや漫画で描かれる「死体」の嘘
Q.「喉笛を掻っ切る」と本当に血が勢いよく吹き出るのか?
Q.舌を噛み切っての自殺は本当にできる?
Q.死体から目玉をくり抜けるか?
Q.「肺に穴が開いて、少しずつ窒息死するのが最も苦しい死に方」は本当?
Q.ナイフで刺された! すぐに抜くべき?
Q.銃で撃たれた! でも弾が貫通していれば、死ぬ可能性は低い?
Q.死体を隠すには、コンクリート詰めがいい?
Q.「重要な手がかりを握ったまま死んでいる」死体は実在するか?
Q.雷が落ちると、丸焦げになって死ぬ?

第4章 死体と向き合うことで見えてくる世界
『アンナチュラル』にハマって法医学を専攻、テレビ局に入社した卒業生
「死体は得意ですか?」「いいえ、苦手です」
医学部生だって解剖で倒れる
疑い深い人間ほど、法医学者に向いている
解剖は『答え合わせ』ができる
最短ルートで教授になりたい人は法医学が穴場?
死体の数が「解剖格差」に直結している日本
嬰児殺が多いインドネシアの法医学事情
死んだ肉体はどのように腐っていくのか
死体の腕を切る、人工呼吸器を外す、とことん合理的なオーストラリア
法医学者に完全犯罪は可能か?