隣り合うローヌ県のリヨンとロワール県のサンテチエンヌの対戦は、「ローヌ・ロワール・ダービー」と呼ばれる伝統の一戦。

 サンテチエンヌはリーグ優勝10度、1967年〜1970年に4連覇を果たし、1976年にはフランスのクラブとして初めて欧州チャンピオンズ杯(現チャンピオンズリーグ=CL)の決勝に進出した、フランスリーグのかつての盟主。

 一方のリヨンは昨シーズンまでリーグ5連覇、今季も首位を独走し、チャンピオンズリーグの優勝候補の一角に挙げられるまでになったリーグ・アンの新しい盟主だ。

 新旧盟主の対決となるダービー・マッチにサポーターの応援もとりわけ力が入るが、3日(第27節)の試合では、たがいの応援席に発煙筒が投げ込まれる事件が発生した。

 背景には、試合の1週間前から、両クラブの首脳陣によるメディアを通じた激しい応酬があった。CLの対ローマ戦を3日後に控えるリヨンが過密スケジュールに不満を唱え、試合を1日前倒しするようリーグに要請していたが、2日はサンテチエンヌ市内で開かれる人気女性歌手のコンサートが重なるため、警備上問題があるとして却下され、リヨンのオラス会長がサンテチエンヌの首脳陣に八つ当たり気味の批判をぶつけていた。

 さらに両クラブの因縁は、冬の移籍期間にまでさかのぼる。リヨンがサンテチエンヌのFWピキオンヌ獲得に動いたが、サンテチエンヌ側は「提示額が低すぎる。ライバルチームのかく乱を狙う策略」として頑なに拒否していた(結局ピキオンヌはモナコにレンタル移籍)。

 こうした首脳陣のやりとりを背景に、試合前にはサンテチエンヌのサポーターがリヨンのバスをブーイングで迎えたうえ、観客席にリヨンの選手の名前を書いた動物のパネルを用意、ハンター(サンテチエンヌ)がこれを迎え撃つという挑発的なパフォーマンスを行なうなど、スタジアムには緊迫した空気が流れた。
試合は、リヨンが3点をリードする一方的な展開になり、サンテチエンヌ側からリヨンの応援席に発煙筒が投げ込まれると、リヨン側もこれに応酬した。スタジアムの外に逃れた“暴徒”に機動隊が催涙弾を投じると、そのガスが風に乗ってピッチ上に流れ込み、選手たちが目と鼻をおさえて退場、試合がおよそ20分間中断される騒ぎになった。過去93回にわたるダービー・マッチで、このような事故に至ったのは初めて。

 サンテチエンヌのサポーターが掲げた横断幕には、リヨンの株式上場や、新スタジアム建設などを揶揄する表現が見られ、名実ともにビッグクラブにのし上がったリヨンに対する“やっかみ”が感じられなくもない。CLの対ローマ戦を前に、いい形で勝ったリヨン(レキップ紙は、リヨンが絶好調だった秋のレベルに戻りつつあると評価)に対し、サンテチエンヌにとっては、サポーターの評判を落としたうえに、5位から7位に転落するという散々な一戦となった。