大いに感銘を受けた「日本人神経外科医」は存在すら幻覚だった…”毒”を盛られたロシア反体制指導者が病院で体験した「向精神薬の恐ろしさ」

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真のロシア愛国者「アレクセイ・ナワリヌイ」がプーチン独裁政治の闇を暴く『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』が、全世界で緊急同時出版された。1976年にモスクワ近郊で生まれたナワリヌイが目にしたのは、チェルノブイリ原発、アフガン侵攻、ソ連崩壊、上層部の汚職、そして「ウクライナ侵攻」だった。政治とカネ問題、超富裕層の富の独占、腐った老いぼれに国を支配される屈辱と憤怒。独裁政治の闇をメディアに発信し、大統領選にも出馬した彼は、やがて「プーチンが最も恐れる男」と評されるようになる。そして今年2月、彼を恐れた当局により獄中死を遂げた。

そんなナワリヌイが死の間際に獄中で綴った世界的な話題作『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』より「本物のロシア愛国者の声」を一部抜粋、再編集してお届けする。

『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』連載第10回

生命が枯渇し、抵抗する意志もなくなって迎えた「死」…プーチンが最も恐れた男・ナワリヌイの凄惨すぎる「最期」』より続く

昏睡状態の実体験

昏睡状態から目を覚ます瞬間。それは映画でもおなじみのシーンで、ある日、パッと目を覚ますものだと思われているようだが、残念ながら違う。飛行機で死にかけていたかと思ったら、次の瞬間、目を覚ますと病院のベッドの上で、愛する妻が、あるいは少なくとも医師団が心配そうに見守っていた……。そんなふうに語れたら、さぞかし幸せだったろう。実際はまるで違う。

通常の生活に戻るまでには、イライラするような視力低下の状態が数週間も続いた。その全貌たるや、ダンテの『神曲』に出てきそうな、延々と続くリアルな地獄巡りさながらの状況だった。あの9つの圏谷で構成される地獄の全体像を考案したのは、昏睡状態の経験者で、私と似たような光景を目にしていたのではないだろうか。幻覚がひっきりなしに現れ、そこから時折、現実が垣間見えた。時間の経過に伴い、現実が増え、幻覚が減っていった。

最初の数日間に関して思い出せるのは、断片的な瞬間だけだ。例えば、車椅子に座る私のヒゲを誰かが剃ってくれた記憶がある。指一本、動かせないからだ。別の記憶では、親切な人が私の手を洗っている。医師らしい。

「アレクセイ、何か言葉が出てきそうですか。出てきたら書き取って見せてあげますよ」

そんな呼びかけが来る日も来る日も続き、私はゆっくりとその意味を理解し始めた。最初に気づいたのは、自分がアレクセイだということだった。続いて、これは医師が私のために考えてくれた訓練であり、何か言葉を発するよう求められていることも理解した。声帯は無傷だった。

日本から来た神経外科医

問題は、何も言葉が思い浮かばないことにあった。懸命にがんばるのだが、脳の中の言葉を考える機能にまでたどり着けなかった。おまけに、言葉を呼び出せないことを医師に説明する術がない。説明するには言葉が必要にもかかわらず、頭の中には言葉が何も浮かばないのだから、どうにもならない。看護師からの簡単な質問なら、うなずくことはできた。だが、完全な言葉を呼び出して口にするとなると、お手上げだった。

目の前の状況に対する理解が徐々に深まり始め、ものも言えるようになってきた。やがて、鉛筆をわたされ、書き留めるように指示されたが、再び苦悩が襲いかかってきた。どのように書いていいのかさっぱりわからないのだ。

私のもとを誰よりも頻繁に訪れてくれたのが、担当医だ。日本から来た著名な神経外科医で、大学教授でもあった。この担当医は、私にとても詳しく穏やかに話しかける。そして、何が起こったのか、どういう治療が必要なのか、リハビリはどのくらいの期間に及ぶのか、いつごろ家族に会えるのかといったことを慎重に説明してくれた。プロ意識が高く、信頼できる医師の姿勢に大いに感銘を受けたものだ。

昏睡状態から目覚めた後、私がはっきりと思い出せる最初の人物が、この担当医である。素晴らしい人物で、少々髪は薄くなっているものの二枚目で真摯、おまけに頭脳明晰ときている。だが、どういうわけか、途方もなく悲しみに暮れていた。後で看護師から聞いた話では、2歳になる息子を亡くしていた。自動車事故だったという。医師として実の息子の命を救おうと懸命に治療し、自ら執刀したが、痛ましいことに彼の腕の中で世を去ったそうだ。

「幻覚」からの目覚め

ある日の回診の際、担当医は、亡くした息子を偲んで自ら詠んだ俳句を披露してくれた。あれほど美しいものを耳にしたのは、生まれて初めてだった。担当医が病室から出ていった後も、胸が張り裂けんばかりの思いを込めた俳句が頭から離れず、私は数日間、思い出しては静かに涙を流し続けた。

だが、担当医と一緒にいるときは平静を装うことができた。というのも、私自身の社会復帰計画を話し合っていたからだ。あの時間は本当に好きだった。翌週、担当医から新しいバイオニック義足をつけると聞かされた。どうやら両足とも失っていたらしい。その後、人工脊椎への置換という難度の高い複雑な神経外科手術も、この担当医が執刀してくれることになっていた。人工脊椎に置換すれば、大きな改善が見込まれる。何しろ、4本の巨大な人工触手が取り付けられるからだ。その姿は、『アメイジング・スパイダーマン』シリーズに登場するドクター・オクトパスそのものである。あまりの興奮で、いても立ってもいられなかった。

そして私は失意のどん底に突き落とされる。そんな日本人医師は存在しないと言われたのである。担当医とのやり取りも社会復帰計画も長時間の会話も、壮大な幻覚だったのだ。6種類の向精神薬を同時に投与されたためだった。あまりの衝撃に、病院の医療スタッフ全員に会わせてくれと要求したほどだ。細かい部分には多少の勘違いがあったかもしれないし、あの日本人担当医は神経外科医ではなく救急蘇生の専門家だったのかもしれないではないか。

そう思ってはみたものの、残念ながら入院先のベルリンのシャリテ病院には、私の説明に符合する医師は存在しなかった。医師団や家族に諭されたように、私が見ていたのは幻覚だった。その事実を潔く受け入れるほかなかった。とはいえ、ひょっとしたら事故で息子を亡くした著名な日本人神経外科医がいるのでは、と数時間、検索を続けたこともある。そういう医師が存在しないとしたら、私は自作の俳句に3日間も目を泣きはらしたという事実を突きつけられるわけだ。

生命が枯渇し、抵抗する意志もなくなって迎えた「死」…プーチンが最も恐れた男・ナワリヌイの凄惨すぎる「最期」