運動時の「もう無理」という限界やパフォーマンスを大きく左右するのは、実は脳だった(写真:bino / PIXTA)

筋力トレーニングやマラソンなどで体に負荷をかけ続けていると、「苦しい」「つらい」「もうやめたい」という気持ちが出てくる。「この運動中の“苦しい”という感情が限界を決め、パフォーマンスを大きく左右する」と、順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科の和氣秀文教授は言う。

つらくて運動を中断してしまうメカニズムやパフォーマンスを上げる方法など、運動と脳の深い関係について和氣教授に聞いた。

「自律神経」がなぜ運動に関係するのか

――「もう苦しいからやめたい」といった運動の限界はどうやって生まれるのか、脳のメカニズムについて研究をされているそうですね。

私の専門は生理学で、とりわけ関心があるのが脳や血液循環(心臓や血管)のしくみです。生活習慣病のなかで患者数がいちばん多い高血圧症は運動で改善するが、それはなぜなのか。

あるいは、長時間の運動や強度の高い運動をすると、なぜ疲労感(苦しみ)が起きるのか。運動の限界やパフォーマンスに影響する、脳内メカニズムを解明するための研究をしています。

運動をするとき、人は筋肉を動かします。動かし続けるためには酸素とエネルギー源を筋肉に供給する必要がありますが、それらを運ぶのが血液です。

安静時は、筋肉を流れる血液量は全体の20%ほどですが、運動時には80〜90%まで上がります。また、そもそも心臓が押し出す血液の量も増えます。

こうした血流をコントロールするのが「自律神経」。自律神経は全身に張り巡らされていて、その中枢は脳と脊髄にあります。

体を活動的にさせる「交感神経」と、体をリラックスさせる「副交感神経」に分けられ、心臓や胃など全身のほとんどの器官の働きを制御しています。

運動時に心拍数が増え、血管が収縮し血圧が上がるのは、自律神経のうち交感神経の働きによるものです。

「苦しい」と感じると疲労物質がたまってくる

――運動と「神経」という言葉を聞くと、まず運動神経を思い浮かべる人が多いと思います。自律神経も筋肉の動きに大きく関わっているのですね。

運動神経は手足の筋肉を動かしたり、声を出したりする司令を脳から届けるもので、自分の意思でコントロールが可能です。

一方で自律神経は自分の意思でコントロールできないもので、目の遠近調節や血液循環、消化、発汗などを無意識のうちに調整しています。筋肉を動かし続けるためには、血液の循環を調整している自律神経の働きが欠かせません。


和氣秀文(わき・ひでふみ)/順天堂大学スポーツ健康科学部 学部長、大学院スポーツ健康科学研究科 研究科長 教授。脳機能に関わる研究を幅広く行っている。運動(循環調節、モチベーション、中枢性疲労)、病態(高血圧)、性差などをテーマに分子神経科学的手法を用いて調べている(写真:本人提供)

自律神経は筋肉の動きだけでなく、「疲れて苦しい、つらい」といった運動による苦痛感にも大きく関わっていると私は考えています。「苦しい、つらい」という感情が生まれると同時に自律神経も反応します。この状態を「情動」と呼びます。

情動は主に脳の「扁桃体」という、ストレスに強く反応する神経細胞が集まる場所で発生します。扁桃体で苦しいなどの感情を覚えると、交感神経が一気に活発になります。

運動により交感神経が活性化すると、心臓の働きを促進して全身に多くの血液を流そうとします。通常、交感神経の活性化は血管を収縮させますが、活動している筋肉の血管については、代謝産物やホルモンの影響により拡張します。

これが、運動中に都合よく筋肉に血液が集まるしくみです。しかし、強度を高めたかなりきつい運動で交感神経が活性化しすぎてしまうと、筋肉の血管といえど、拡張しづらくなって思うように血液が流れなくなります。すると、血液や筋組織に代謝産物がたまってくる。

代謝産物のうち、疲労物質と呼ばれるものは筋肉の動きを抑制したり、感覚神経を刺激したりします。そしてその情報は扁桃体にも伝わり、不快感を覚えると同時に交感神経が活発になる。運動が続くと、苦痛感に変わり、交感神経もさらに活発になるという負のスパイラルに陥ります。

そうすると、「もう無理だ!」となって運動を続けられなくなるのです。「苦しい、つらい」によって運動意欲が削がれた状態です。最後の最後、運動を制限してしまうのが情動なんですね。

ラットの実験でわかったメカニズム

――負のスパイラルからはずれて苦痛を感じなくなれば、強度が高い運動をもっと長い時間続けられるのですか。

ラットの実験で、扁桃体を破壊する前と破壊した後では、破壊後のほうが運動パフォーマンスが上がったという研究結果があります。おそらく、扁桃体の機能が抑制されることで交感神経の活動も抑えられ、筋肉の血管が収縮しにくい状態になっているからだと思います。

つまり運動をあきらめるほどの「苦しい、つらい」という感情の発生に遅れが生じているのでしょう。

――扁桃体の動きを抑えて、苦しい感情をできるだけ感じないようにして運動パフォーマンスを上げることはできるのでしょうか。

扁桃体はいわばリミッター(制御装置)です。筋肉に過剰な負荷をかけて体を痛めることがないように、そして命に危険が及ぶような生理的限界を超えないようにするためのもの。つまり、なくてはならない存在です。

ただトップアスリートなどは競技中のミスで動揺(情動が変化)して、運動パフォーマンスが落ちることがないよう、失敗しても対戦相手にリードされても、平静を保つ、あるいは「とにかく勝つぞ」と闘争心を維持することができるように、メンタルトレーニングを積んでいるということはあります。

最大の運動パフォーマンスを発揮するには、リミッターをはずすことではなく交感神経と副交感神経のバランスが大事だと考えます。副交感神経が活性化しすぎて落ち着きすぎると、やる気や集中力が落ちてしまいます。

一方、交感神経が活性化しすぎた状態では、緊張や力みでいつもの動きができなくなってしまいます。このメカニズムはよくわかっていませんが、交感神経は筋肉内にあるセンサで、筋の緊張状態を調節している筋紡錘も支配していることが報告されています。

交感神経と副交感神経のどちらも適度に働いた「覚醒ゾーン」があり、最もいいパフォーマンスを発揮するならこの覚醒ゾーンを目指すといいでしょう。

軽い運動が仕事のやる気アップにもつながる

――競技によって「交感神経がどれくらい働くのがベストか」という程度は異なるのでしょうか。

競技種目によっては適正な水準はあると思います。例えば陸上競技ですが、個人差があるものの、スタートラインに立った時の心拍を測ると、短距離では速く、距離が長くなるにつれて、遅くなるという報告があります。

これはそれぞれの競技中に必要な交感神経の活動水準を反映していると考えられます。こうしたなかでも個人差がありますので、自分がよい成績を出したときの「覚醒ゾーン」を覚えておくといいと思います。

また、先ほど述べたように、交感神経が活発になると、緊張や力みでフォームが乱れるので、体操やフィギュアスケートなど審美系競技においても、自己記録を出した時の「覚醒ゾーン」を覚えておくといいでしょう。

短距離もそうですが、砲丸投げ、ウェイトリフティングなど瞬発力が求められる競技の場合、心拍数を上げて爆発的な力を出すために、交感神経を一時的にかなり優位としたほうがいい場合もあります。

サッカーやバスケットボールなどは試合の中で、強度が刻々と変化するので、どれくらいがベストかというのは一概には言えません。ただし、ペナルティキックやフリースローのときはリラックスして交感神経の過剰な興奮を抑えるようにしましょう。

――自律神経は意思でコントロールできないものですが、どうすればいいのでしょうか。

身体を動かすことで交感神経が優位になり、ゆっくり息を吐くことで、副交感神経が優位になり心拍数が落ち着きます。運動パフォーマンスを上げるには、運動に入る前の準備運動やストレッチ、深呼吸をするなどの自分なりのルーティンを決め、交感神経と副交感神経のどちらも適度に働いた「覚醒ゾーン」を目指すとよいでしょう。

――自分なりのルーティンでパフォーマンスを上げることは、ビジネスパーソンにも取り入れられそうですね。

実は運動すると、脳内でドーパミンという神経伝達物質の量が増えるんですね。すると集中力やモチベーションが上がる。ですので、仕事で疲れてきたときに、やる気を出すために運動をするのはおすすめです。その場で屈伸したり、スクワットしたりするだけでいいので、ぜひ試してみてください。

(中原 美絵子 : フリーライター)