政治のオーナーシップとアクセシビリティ

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先日『楽しい政治』という本を出版しました。現代アメリカ社会の政治について映画やSNSなどの大衆文化の観点から解説した本です。

そのなかでは2016年や2020年の米大統領選やトランプ現象について様々な形で取り上げましたが、ちょうど本を仕上げている時期には民主党のバイデン大統領が降板し、カマラ・ハリスが指名されるなど大統領選挙がふたたび盛り上がりを見せてきました。

本書の“スピンオフ”としてこの記事では、書籍には入れられなかった2024年大統領選挙について本の紹介と併せて論じていきます。

“手のひら返し”のカマラ・ハリス人気

この原稿を書いている2024年9月10日、フィラデルフィアでアメリカ大統領選のテレビ討論会が行われていた。

共和党候補ドナルド・トランプ元大統領と、民衆党候補カマラ・ハリス現副大統領の論戦である。日本では同時通訳で中継がなされるほどでその関心の高さにも驚かされたが、本国アメリカでは当然大変な盛り上がりで、当日に向けてニュースは連日分析記事を報じ、街では応援セールや予想ゲームなど討論会にかこつけた各種催しが行われていた。

それに先立つ8月、三日間続いた民主党大会ではハリス氏が大統領候補に正式に指名され、歴史的な有力政治家たちからセレブリティまでリベラル勢の「スター」たちが揃い、各種メディアはその盛況ぶりを報じていた。

報道を追いかけていた方にはご承知の通りで、バイデン政権の副大統領として就任以来ハリスの人気は常に下火だった。“女性の参政権運動”を象徴するホワイトのドレスで着飾った就任のスピーチは、初の「女性、有色系、南アジア系、移民二世」の副大統領だという彼女の属性とひもづけつつ、多様な人々を包摂しはじめたアメリカ社会の変化を象徴する、と華々しく報じられたものの、そのあとは移民担当の職務への疑問などが批判されながらその影は次第に薄くなっていった。端的に言えば、人々が関心を失っていたのだ。

カマラ・ハリス候補はなぜここへきてこれほどまでの熱狂ムードを得たのか。

それは、選挙が「祭り」になったからである。現職で81歳という高齢のジョー・バイデン大統領が、その原因を容易に年齢のせいにされかねない記憶違いや言い間違いなど失態を大きな晴れ舞台で次々と繰り返し、その上、党内の最高権力者として大統領候補者の座を譲ろうとはせず、負けるかもしれない機運のままトランプとの一騎打ちへと向かっていた様子を、民主党支持者は不安を覚えながら見ていたろう。無党派層は選挙へのやる気を失っていたはずだ。

しかし本番を目前に控えたこのタイミングで、“誰も応援したくなかった”候補が、ゲームに乗っかれば楽しい候補に代わったのである。移民一世の子として中産階級に育ち、貧困層やマイノリティのために法に奉仕する公職を経て、マイノリティを代表する大統領へ――この“良い話”は、ゲームのプレイヤーが乗る「物語」としては十分だった。

選挙は楽しい「自分ごと」か

一方選挙というゲームにおいてその支持者となるのが楽しいのは、誰をおいてもドナルド・トランプその人であろう。トランピストたちは、歯に衣着せぬ暴言からエンタメ的な集会までトランプにまつわるあれこれを「自分ごと」にしている。だから熱狂するのだ。トランプが政治家として登場したことで、彼らはいわば政治のオーナーシップ(所有権)を使いこなせるようになった。

「不法入国した移民たちは猫や犬、ペットを食べている」――今日の討論会でトランプが口にした言葉だ。一瞬耳を疑った。ハリスも苦笑の表情で首を横に振り、司会者はすぐさまそのような事実はないとファクトチェックを挟んだ(その後もファクトチェックは大真面目に続けられている)。

しかし支持者にとっては、こうした過激な言い回しはいつものトランプ節で、ファクトかどうかは問題ではなく、敵視した存在を腐す、それもいかに過激に盛り上げられるか、という点で引き込まれていく。

この方法はまさしく、米最大のプロレス団体WWEにレスラーとして登場し断髪を賭してマクマホン会長と戦って丸刈りにしたり(今年の共和党大会にも同団体のハルク・ホーガン氏が登場)、各回一名脱落型の人気リアリティショー『アプレンティス(見習い生)』のボスキャラとして君臨し「お前は首だ!」の決めゼリフを流行らせたりしながら(トランプの半生を描いた同題の伝記映画が今年大統領選直前に公開予定)、トランプが培ってきたワザである。

こうしたゲームこそが政治になっている。そんなものは「政治」と呼ばない、といった批判もただちに聴こえてきそうであるが、そう言っているうちに世界中の政権はポピュリストに牛耳られたのかもしれない。

なによりも、2000年代に所属政党を問わず大統領選を含む出馬を繰り返し、いわゆる泡沫候補と世間にみなされ、2015年には当初「またか」と冗談のように扱われていた人物が大統領となって、二大政党の一つを乗っ取りかけ、再び現在最強の勝ち馬の一人とみなされていることこそが、この「政治」状況を象徴しているだろう。

これと同じ意味で、ハリス候補は、分極化した世の中でトランプの対極にいる人々へ政治へのオーナーシップを意識させたのである。

それは正義を信じる物語に乗って届けられた。テレビ討論会の会場となったフィラデルフィアは、接戦州ペンシルベニアの中心都市だ。スポーツバーでは大入りの客がハリスを応援するビンゴゲームを楽しみながらテレビ中継を熱狂して観ていた。その様子はスポーツ観戦さながらだ。“乗れる”物語で、選挙戦が「自分ごと」になった風景のようにも見えた。他方で会場前には、民主党やハリスのイスラエル支援に反対する大規模デモという、また別の正義を訴える「祭りごと」が催されてもいた。

主権者=プレイヤーはゲームボードを疑っているか

しかしこれはもちろん、巧妙にしかけられたゲームでもある。リアルポリティクスの世界は、ナイーブにこのゲームが行われるような世界ではない。とりわけ後期資本主義と大衆文化に浸かり切ったアメリカの政治ゲームの真髄はここにあるだろう。

“ママラ”などと名づけられた愛らしいキャラを演じ、同時にミンガスのレコードを買う様子をソーシャルメディアで大映しにしアフリカ系のプライドと文化センスを見せつけ(Spotifyなどストリーミングではないのは、 “古き良き”を求めるシニアにとっても、リバイバル的に若年世代にもウケそうだ)、「何買ったんですか?」というジャーナリストへ毅然と且つ感じの良い笑顔で「あなた音楽のことわかってるの?」と切り返し、“いけすかない”感じにならないギリギリのラインでユーモアセンスを演出する――「大衆」が見えている政治家の成せる技である。

今年アメリカの政治広告費は史上最高の123億2,000万ドルに達するだろうと言われているが、コンサルティング的な政治手法といってもよいのだろう。上記の演出主体は定かでないが、カマラ・ハリス陣営のデジタル広告キャンペーンをリリースしたのは、民主党大口献金者、選挙戦略家、200を超える接戦州の草の根選挙団体、そして、MTVやコメディ・セントラルといったエンタメの最大手と「市民の政治参加運動」を展開してきた広告代理店、これらのアクターから構成される共同プロジェクトである。

その活動は広告発信にとどまらない。民主党を支持する団体、活動家やインフルエンサーが、オンラインやテレビでコンテンツを作成し発信するために利用できる素材、つまりは“ネタ”を提供することも彼らの主力事業である。ちなみに政治家が文化センスを見せびらかして自己ブランディングするのはお馴染みで、オバマ元大統領は文学や映画や音楽のランキングを毎年発表していることがよく知られている。

さて、ゲームの“観客”はこれを「演出」と考えているだろうか。目の前にある現実は演出されたものだという前提で、盛り上がったり批判したりしているだろうか。ゲームボードは見えているか。

そのイデオロギーにかかわらず、陰謀論を筆頭に「極論」が支えるポピュリストが台頭している。この事態は、ソーシャルメディアであれマスメディアあれ、人々がこうしたコミュニケショーションの機微を前提としていないことの表れであろう。

ある人は戦略的に言葉を操作し、ある人はナイーブに言葉を交わす。ある人は熱狂し、ある人は無関心に過ごす。全ての人々が「政治へのオーナーシップ」を持っていると意識すること――正常に政治が機能するために必要なこの条件はまだ整っていないようである。個々人の資質にかかわらず誰もが政治を公正に使える状態にすること、いわば「政治へのアクセシビリティ」が足りていない。

「楽しい政治」のオーナーシップとアクセシビリティ

ゲームを知りつつゲームに乗る。この公正なゲームを成立させるために必要なのは、社会構造を読むという意識と、その前提となる正しい知識である。

2024年10月に出した拙著『楽しい政治――「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る』は、こうした問題意識に立って現代アメリカ社会の大衆文化のなかに見られる政治について解説したものである。

ブラック・ライブズ・マター運動のポップなデモ、「Qアノン」などの陰謀論、政治利用されたインターネットミーム「カエルのペペ」や、旧約聖書の天地創造を歴史的事実として展示する福音派版「科学博物館」からは、なぜ彼らが楽しく政治参加できるのかが見えてくる。一方『トイ・ストーリー』『ウォッチメン』『ノマドランド』など近年のヒット作からは、ジェンダーや人種や経済格差などにまつわる現代社会の歴史認識について学ぶことができる。

巻末につけたキーワード事典では本文で取り上げた「ポリティカル・コレクトネス」「文化の盗用」「歴史修正主義」「フェミニズム」などのキーワードについて解説をしてあり、活用すれば議論をより精確に追いかけてもらえるはずだ。次に読む本のオススメから各論を深めることもできる。誤情報や定義の違いにもとづいた不健全な言論を避けるための土台となってくれると嬉しい。

“楽しく”読んでいるうちに自然と政治や社会問題へとアクセスできるようになる。そんなガイドブックを目指した。

本書のタイトル『楽しい政治』を英語でふた通りに訳してみるなら、「ポリティカル・オーナーシップ」と「アクセシブル・ポリティクス」である。社会運動などの現場で人々が政治に「オーナーシップ」を感じて行動している事例や、歴史背景とのつながりから社会構造を知ることができる映画やドラマの事例から、現代アメリカにおける人々の政治との関わりかた――政治への「アクセシビリティ」を学ぶための本という思いを込めてつけたタイトルである。

本書のスピンオフであるこの記事に興味を抱いてくださった読者の方は、“本編”の方もぜひ読んでみてください。

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