大谷翔平の「ピーク」はいつなのか…日本とメジャー「本塁打王」の年齢を調べてわかった「衝撃の真実」

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レギュラーシーズンは終わったが

大谷翔平は2024年シーズンも異様な活躍であった。

春にシーズンが始まってから、秋に終わるまで、ほぼ毎日、その活躍が報道されていた。

時差があるため、かえっていつまでも瑞々しいニュースのように見ている。

大谷翔平だからだろう。

大谷翔平はいつも鮮度に満ちている。

いつも驚く活躍をする。

驚天動地の連続なので、何がすごいかがときどきわからなくなる。

もともとメジャーリーグで投手をやりながら打者としても活躍する、というのがすでに信じられない出来事だったわけで、いまや全日本人が慣れてしまっているのだが、世界中からもっとも優秀な選手が集まっているメジャーで投手と打者でトップレベルであるというのは、メジャーリーグの場を「近所の野球好き少年が集まってやっている場」に変えてしまっているということでもあって、すごすぎて、よくわからないけど見てるだけでただ楽しいという空間が繰り返し現出されているばかりである。

打者としては、2年連続ホームラン王、というポイントだけでも、歴史に残る大打者だと言える。それだけでも超一流である。

夢のような日々はいつまで続くのか

投手としては、今年はお休みで、いままでタイトルこそ取ってはいないが、でもたとえば2022年シーズンでは年間15勝をあげている。その年のアメリカンリーグの最多勝利投手は18勝(アストロズのバーランダー)だったから勝ち星の差は3(まあ投手の3勝は大きな差だとはわかっていますが)、勝利数として、その年の4位であった(同数を同位として、ですが)。勝ち数がリーグ4位というのはそれだけでもすごい。

大谷翔平がなすことは、神のみわざの連続のようで、ただ見守ることしかできない。

これから20年経って、2044年の高校球児たちに、大谷翔平を見ていましたか、どんなものでしたか、と聞かれたときに、ただ、すごかった、輝き続けていた、誇りだった、としか答えられないようにおもう。ただ驚いているばかりで、全体の印象しか持っておらず、全体的にすごすぎて具体的な細かい部分を覚えていられないのだ。

果たして、この夢のような日々はいつまで続くのであろうか。

体力が無尽蔵に見える大谷翔平ではあるが、いつがピークで、いつまで続くのであろうか。

そもそもホームラン王は何歳で取るものだろうか。

まず、日本のプロ野球(MLB)のデータを見てみる。

異様な結果

日本の代表的なホームラン王といえば、ある年齢以上の人なら、まず王貞治を挙げるだろう。たしかに彼は15回も(つまり15年も)ホームラン王を獲得している。隔絶した王である。

ただ、もう一人、圧倒的なホームラン王だった人物がいる。

野村克也である。

ノムさんと呼ばれて親しまれ、印象としてはぼやく名監督というイメージのほうが強いが、彼は偉大なるホームラン王であった。

ただ、王貞治と同時代のホームラン王で、しかもパリーグでの活躍であったため、その印象が王貞治と隔絶してしまっている。

1960年代のホームラン王を並べてみよう。

左がセントラルリーグ、右がパシフィックリーグである。

1960年 藤本勝巳 山内和弘

1961年 長島茂雄 野村克也と中田昌弘

1962年 王貞治 野村克也

1963年 王貞治 野村克也

1964年 王貞治 野村克也

1965年 王貞治 野村克也

1966年 王貞治 野村克也

1967年 王貞治 野村克也

1968年 王貞治 野村克也

1969年 王貞治 長池徳二

(この当時のナガシマ選手の表記は、球場でも新聞でもすべて長嶋ではなく長島であったので、過去に遡って文字を変えることが正しい所業だとおもえないので長島と書く)

1962年から1968年まで、両リーグのホームラン王が王と野村で固定なのだ。

異様である。

見えた「体力の限界」

王貞治はこのあと1974年までホームラン王を連続して獲得し、1975年だけは田淵幸一に取られるが、また、1976年と1977年もホームラン王を獲得する。通算15回。

野村克也は1957年にもホームラン王になっており、通算9回。

この2人だけ突出している。

野村克也は22歳でホームラン王になって、35歳まで取りつづけた。

王貞治は1940年生まれなので、やはり22歳からホームラン王になって37歳まで(田渕に一度とられた以外は)本塁打王でありつづけた。

稀代のホームラン王でも35歳から37歳までがトップの限度で、その先はなかなかむずかしい。

天才でもこのあたりが「体力の限界」ということなのだろう。

でも王貞治は37歳でもトップであった。

そこが大事だ。

では日本プロ野球でのホームラン王をとったときの年齢を並べてみる。

最年少は20歳、最年長は40歳だが

二リーグになった年(1950年)からのデータである。(2024年は入っていない)

とりあえずデータの取り方としては、ここだけに限定された方式であるが、9月30日を区切りとして(メジャーリーグでのレギュラーシーズンの最終日)そこで分けることにする。各選手そのシーズンの9月30日時点での年齢によって分けてある独自のデータである。(だからこのデータは他に流用されないほうがいい)

20歳 1人(1953年の中西太)

21歳 3人

22歳 7人

23歳 7人

24歳 5人

25歳 9人

26歳 11人

27歳 11人

28歳 17人

29歳 15人

30歳 15人

31歳 14人

32歳 12人

33歳 7人

34歳 9人

35歳 6人

36歳 6人

37歳 3人

38歳 1人(2007年の山崎武司/1968年11月生まれ)

40歳 1人(1988年の門田博光)

わかりやすい年齢表である。

もっとも若くて20歳、最年長は40歳がホームラン王を取った年齢となる。

また28歳で取った選手がもっとも多く、二桁人数になっているのが26歳から32歳であり、つまりホームランを打つ能力はそのころがピークであるのがわかる。

26歳から32歳がピークである。

28歳で取ることがもっとも多いのだが、若いほうより、それより上のほうが多い。平均値を出すと29歳と少しになる。

つまり日本で本塁打王を取りやすい年齢は29歳ということだ。

いまの大谷翔平の年齢は30歳だから、(今年は29歳で始まって7月に30歳になった年だったから)符合する。

ちなみにメジャーでも数えてみた。

2000年以降のメジャーの結果

メジャーの記録は日本で言えば徳川時代から残っていて、いまと道具とか球場などまったく違っているから、あまり古い時代のデータまで参照してもしかたがない。

とりあえず2000年以降で調べてみる。キリがいいから。

それでもアメリカンリーグとナショナルリーグで合計53人となる。(2024年を含まない)

最年少が22歳、最年長が37歳、やはり29歳で取ってる人がもっとも多くて11人。

30台の半ばでぐっと減ってしまっている。37歳で取ったのは2001年のバリー・ボンズである(73本を打っている年で、いろいろ問題視された記録でもある)。

メジャーでも29歳がもっとも多いが、平均年齢を出すと28歳となる。

まあ、そのあたりがピークなのはたしかなようだ。

「超人」に「平均」は関係ないと思うけど

さらに、あと4厘で大谷が届かなかった三冠王であるが、日本での三冠王は過去12人、取得平均年齢は30歳である。おととしの村上宗隆だけが22歳と異常に若く、だいたい30歳、31歳、32歳あたりが多い。ちょうどこれから大谷翔平は三冠王を狙えるピーク年齢を迎えることになる。

というわけで、「平均的な」打者のピークは26歳から32歳にあり、ピーク一点を求めると29歳となる。

大谷翔平はいままさにその時代にある。

でも大谷という存在は、超人と言っていいだろうから、「平均」などとは関係なく、このピークが続く、とおもっている。

まだ30になったばかりということは、あと5年ほどはこういう時期が続くとおもっていいのではないだろうか。まあ、投手との兼ね合いになってくるだろうが、2030年までこの「夢のような大谷翔平」の時代が続くと願っている。

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