亀の水不動尊を見守る浦谷夫妻。2人で日々の世話を続けている(京都市山科区日ノ岡ホッパラ町)

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 旧東海道の旅人を癒やしてきた「亀の水不動尊」(京都市山科区)が、存続の危機に陥っている。有志の住民が世話してきたが、高齢化で担い手が減少。現在は高齢の夫妻が掃除やお供えを続けるが、後継者がいないという。地域の歩みを伝える不動尊の行く末に、夫妻が不安を抱えている。

【写真】亀の水不動尊に続く道…人目に付きにくく、参拝する人も減っているという

 不動尊は市営地下鉄御陵駅から徒歩10分の旧東海道沿いにある。江戸時代、難所として知られた日ノ岡峠を改修した木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)上人が、改修工事が完了した1738年ごろに井戸を掘り、道路管理所と休憩所を兼ねた庵を設けたのが始まり。亀の口から流れる水は「量救水(りょうぐすい)」とも呼ばれ、多くの旅人や牛馬が喉を潤した。

 近年は住民有志が「亀の水不動会」として世話をしてきた。1929年には、荒廃が進む不動尊の状況を憂いた住民らが再興を目指し発起した趣意書も残る。しかし高齢化で徐々に人が欠け、今年はついに浦谷輝夫さん(81)、のり子さん(77)夫妻の2人だけになってしまった。

 40年以上世話を続けてきた輝夫さんは、「私らもいつまで続けられるか分からない」と不安を口にする。米や塩を供えに毎日通い、春と秋には護摩木をたく祭事も営んできた。ただ大病を患い今も治療中で、急な階段の上り下りが必要な不動尊に通う負担は年々重くなっている。

 維持費の課題もある。不動尊の維持には、土地の固定資産税や提灯の電気代、花代など年間5万円弱の経費がかかっている。現在はさい銭や祭事の収入で何とか賄っているが、参拝者が減る中、今後は心もとない状況という。

 不動尊ゆかりの木食正禅養阿上人は、保津村(亀岡市)に生まれ、庶民の苦難を救う公共事業にいそしんだ。狸谷山不動院(左京区)の創建や安祥院(東山区)の再建でも知られる。改修された峠道を行く旅人を癒やした不動尊は、地域に貢献した養阿上人の功績を伝える重要な場所に位置付けられる。

 「真面目に世話をしてきた分、たくさん助けてもらってきた」とのり子さん。輝夫さんは「今後のことが一番心配。ありがたさを知り、守ってくれる人に引き継いでもらいたい」と後継者を求めている。

(まいどなニュース/京都新聞