難しいことではありますが、あまり頭で考えずに飛び込んでいく度胸も必要なのかなと思わせられます。そういうプロセスなしに、データをもとにして恋愛が進んでいくというのが、ちょっとSF的でもある一方、失敗をしないようにという、いわば、「愛の出し惜しみ」が感じられたりして。

 拙著の冒頭に登場する『5時から7時までのクレオ』では、恋愛映画の先駆者であるアニエス・ヴァルダ監督が、まさにそういうことを描いている作品です。「国のために戦うくらいなら恋のために死にたい」と言える男がフランスには存在することもわかり、さすが恋愛大国だなと感じてしまうのです(笑)。

◆日本は「バツ」だがフランスでは…

――愛を出し惜しむ理由はなんでしょうね。恋愛においても他の局面においても、「失敗したくない」という思いがそうさせるのでしょうか?

郄野:実際のところどうなのか、明確にはわかりません。ただ、そうした臆病さはあるかもしれません。逆にネットを介して見知らぬ相手と会おうというのは、臆病どころか大胆だなとも思いますが(笑)。また、拙著では、シャルロット・ゲンズブールが主演している『午前4時にパリの夜は明ける』という作品も登場させました。

 本作を一言でいうと、離婚することを巡る物語です。愛していたはずの人との別れは日本では「バツ」がついたりする。しかし、フランスにおいては、それを新たな自立のチャンスと前向きに捉える。「失敗」とはみなされない。

 思い悩みながらもターニングポイントを得て、次の人生を輝かせようと力強く生き抜こうとあえぎ、映画の大団円では重大な決意をする主人公の笑顔、これを皆さんに観てほしいなと思いますね。

◆日本ならではの価値観については

――失敗を恐れるという観点でいうと、日本においては、いまだに「良い大学へ行き良い企業へ入る」というパッケージ化されたものが信じられていて、特にその傾向は男女で差がないようにも感じます。

郄野:これは実際どうなんでしょう。社会では未だ、「偏差値の高い大学に入り卒業すると良い企業へ行ける」というような価値観が長く続いている。実際のところ、上位大学に合格する女性も少なくないですね。

 しかし、希望していた最有力企業に入っても、数週間で辞めてしまうことも、過去を上回っていると聞きます。しかもその退職の意思を代行業に委ねて通達するというのですから、もったいないです。

 私の甥の子どもたちは海外に住んでいますが、誰もが絶対に大学へ行くというレールが敷かれているわけではないといいます。大学に行く目的がはっきりしていないと行く意味がないということなのでしょう。

 社会・経済の環境が違いますが、日本でもそういう価値観が広まれば、解放される想いも生まれるのではないでしょうか。

◆学業以外の「学び」が必要な理由

――郄野さんからご覧になって、恋愛以外でのそうした「もったいなさ」は多々感じますか?

郄野:やはり、学校でも家庭でも、少しでも高い成績をとって進学しないと子どもらの未来がない、幸せが来ないと考える傾向が強まっているように感じます。もちろん学業はたいへん重要ですが、外部とつながって学内の価値観とは別のものを学ぶこと、課外授業を学ぶ余裕とか、学外では何が起きているのかとか、社会に出てから戸惑わないような、刺激を与えておくことも大事な「学び」ではないかと。

 それこそ、フランスの恋愛映画なんかちょうどいいと思います。免疫がないと、就職しても辛いことばかりに思えてくるでしょうし。私は子ども時代から大人に連れられて、かなり濃厚な恋愛映画を観ていました(笑)。