スタートライン社が運営する農園型就労施設の乾燥室。季節や天候に左右されずに計画的かつ安定的に栽培できる植物工場だ(記者撮影)

「エスプール・ショック」という出来事をご存じだろうか。

2023年1月9日、業者が企業に農園を貸し出し、そこで障害者を働かせるスキームを「雇用代行ビジネス」と共同通信社が報道。翌10日、「1日の大半が休憩時間だった」などと就労実態を否定する関係者の証言が、全国の地方紙に広く掲載された。

一定数以上の従業員を有する事業者には、法律で定められた割合の障害者を雇う義務がある。これを形式上満たすため、「金を払って雇用を丸投げしている」との批判が報道を契機に噴出した。記事中で社名を挙げられた障害者雇用支援大手、エスプールは「当事者の声がほとんど反映されておらず、当社事業の実態から大きく乖離した内容」との抗議声明を発表したが、株価は一時ストップ安にまで暴落した。

さらに同年4月、実態把握に乗り出していた厚生労働省が調査結果を公表。障害者向けの農園とサテライトオフィスが合わせて全国125カ所にあること、少なくとも6568人が働き、利用する企業は延べ1000社を超えることが明らかになった。

バッシングの高まりは、障害者雇用を取り巻く業界に激震を与えた。一方、こうしたビジネスモデル自体は違法ではない。福祉施設より賃金は高く、障害者側にもメリットがある。現場は今、どうなっているのか。

「植物工場」の農園型就労施設

ガラス張りの引き戸に手を掛けると、鼻孔一杯にハーブのさわやかな香りが広がった。白を基調とした開放的な空間に整然と並んだ棚には、みずみずしい緑の葉が生い茂る。収穫や種まきの作業に追われ、白衣にマスク姿の男女がせわしなく動き回っていた。

今年6月、記者は横浜市都筑区の農園型就労施設「IBUKI YOKOHAMA FARM4」を訪れた。商業施設のワンフロアに設けた植物工場をいくつかに区切り、企業へ貸し出す。自社でそれぞれ雇った障害者に、ここで勤務してもらう仕組みだ。

ブースごとに最大3人の障害者と、それを管理するために派遣された顧客側の社員が農作業に従事する。1区画の利用料金は月額39万円。取材時点で9社が入居し、約50人の障害者が在籍していた。精神障害者と知的障害者がその大半を占め、内訳は半々ぐらいという。

まず驚かされたのは、オフィスの快適さだ。真新しい壁やフローリングにはシミ1つない。観葉植物を所々に置いた広い休憩室の見晴らしはよく、おしゃれな喫茶店のような内装。作業場所は屋内で空調も効くため、体調に不安のある人でも働きやすいだろう。

障害者たちは笑顔を交えながらも、真剣な表情で植物を世話していた。ここで生産したハーブ類はティーバッグなどに加工し、顧客企業が自社のノベルティなどに活用。ある石油会社のブースには、バジルを使ったパスタの写真が、「ごちそうさまです」とのメッセージと共に貼ってあった。

土埃の舞う農場に隔離された障害者が、黙々と単純作業をこなす――。記者が抱いていた、そんな事前のイメージはいい意味で裏切られた。施設を運営するスタートライン社(東京都三鷹市)の西村賢治社長はこう語る。

「顧客の雇用率を達成させる目的で障害者を集め、ケアの不十分な農園があるのは残念ながら事実。ただ、そうした業者は今後、淘汰されるのではないか。障害者を雇いたい企業は多い。よりよい環境を求めて施設を移る人も増えており、『ここで働きたい』と思われなければ生き残れない」

障害者雇用支援でパイオニア的な存在

スタートライン社は2009年に設立し、「障害者雇用支援」という市場を切り開いてきたパイオニア的な存在だ。創業時から手がけるサテライトオフィスに加え、2017年に農園も始めた。現在はこの2事業で計30を超える拠点を構え、約1800人の障害者が就労する。

念願の株式公開を目前としていた2023年1月、前述のエスプール・ショックが起こり、風評の悪化から上場を取りやめた。「元々、賛否両論ある事業なのは自覚していた。ただ、それにしても非難があまりにも大きかった」(西村社長)。

農園を選ぶ障害者の多くは、社会人経験がないか少なかったり、心身の調子が安定していなかったりする。

こうした人たちは従来、福祉系の作業所に通ってわずかな工賃を得ていた。厚労省の調査によると、一般企業への就職が難しい人向けの「就労継続支援B型」では、通所者へ支払った2022年度の時給平均額は243円だった。

西村社長は「就労の新しい選択肢を提示したかった」と、この事業を始めた動機を明かす。スタートライン社の農園に在籍する障害者の待遇は、その地域の最低賃金と同程度だ。それでもB型作業所よりは高い。企業に所属するので職歴を得られ、福利厚生も受けられる。

世間からの理解を得るために、西村社長は業界の健全化に乗り出す決意を固めた。スタートライン社が中心となり、2023年9月、障害者向けの農園やサテライトオフィスを提供する事業者の業界団体「日本障害者雇用促進事業者協会(促進協)」を創設したのだ。


日本障害者雇用促進事業者協会は2月に1回のペースで勉強会を開催(記者撮影)

スタートライン社は元々、障害者への支援技術を開発するための研究機関を自前で設けている。学者や臨床心理士ら9人の研究員が所属し、学会で論文を発表した実績も豊富だ。蓄えた知見は自社のサービスに取り込んできた。

促進協ではノウハウを会員企業に共有するほか、2カ月に1回のペースで勉強会を開催。6月の会合では、50人ほどを収容できる貸し会議室が満席に。オンラインでの聴講者もいて、「障害者の業務をどう適切に評価するか」とのテーマで活発な議論を交わした。

農園での雇用をどう考えるのか

会員企業は発足時の6社から現在は16にまで増えた。一方、エスプールをはじめとした一部の主要な事業者は加盟しておらず、業界内にも温度差があることをうかがわせる。

また、どれだけ障害者の就労環境を改善したとしても、「農園での作業は経済活動への参加とは言えない」「会社の本業とは無関係のことをやらせている」との指摘はなくならないだろう。いずれも事実だからだ。

促進協の理事長を務める西村社長は、どう感じているのか。記者が直撃すると、次のような答えが返ってきた。

「一般企業の中にも社会貢献やCSRに関わる部署で働く人がいる。彼らは売り上げを立てないが、無意味な仕事とは思えない。最も大切なのは障害当事者の気持ち。本人が納得して農園を選び、やりがいを得ているのであれば、そこに価値を見いだせるはずだ」

さらに「顧客の障害者雇用への意識は極めて高い」とも強調。すでに自助努力を尽くした企業が、新たな受け入れ手段として農園を使うケースがほとんどという。「最初からすべてを施設側に丸投げしようとする会社もゼロではないが、その場合はこちらから取引を断っている」(西村社長)。

選択肢は1つでも多いほうがいい

では、当事者側の受け止めはどうなのか。スタートライン社は7月、東京・八王子市立宮上中学校の特別支援学級で出前授業を開いた。生徒と保護者の計35人ほどの前で、農園での就労や障害者雇用の現状を紹介した。


農園での就労や障害者雇用の現状を紹介するスタートラインの出前授業(記者撮影)

自閉症を抱える3年生の男子は「仕事はつらいものだと想像しており、これまでは将来に希望を持てなかった。自分に合った働き方を選べると知れて安心した」と話した。知的障害の息子を持つ母親も「親は子供より早く死ぬ。自立できるのか、本人の将来が心配。長く働ける環境はありがたい」と肯定的だった。

保護者たちの農園への反応には濃淡があったものの、共通していたのは「選択肢は1つでも多いほうがいい」という意見だ。その視点に立った冷静な議論こそが、日本の障害者雇用を前進させるカギなのかもしれない。

(石川 陽一 : 東洋経済 記者)