24時間テレビは感動ポルノでいい…全盲の金メダリストが気づいた"障害のある人"がテレビに出ることの意味
※本稿は、木村敬一『壁を超えるマインドセット』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「視覚障がい者目線」でコメントするのは難しい
小さい頃から水泳ばかりしてきた。パラリンピックに出場するようになってからは、日本だけではなく世界中のパラリンピアンや水泳関係者の知り合いも多くなった。ここまでの人生、僕の軸は間違いなく水泳とともにあった。
でも、2021(令和3)年の東京大会で金メダルを獲得してからは、水泳以外の場に顔を出す機会も増えた。
個人的に「いい経験をしたな」と思ったのが、いくつかのテレビ番組に出演させてもらったことだ。僕にとっては、完全な異業種なので、自分が知らない領域がどんどん広がっていくような気がしてとても新鮮だった。
テレビに出ることが得意かどうかは自分ではわからない。けれど、人前に出るのはどちらかというと好きなほうなので、依頼があればよほどのことがない限り、なるべくお受けするようにしてきた。
日本テレビ系列の『news zero』では、キャスターも経験させてもらった。曜日が違っていたので、櫻井翔さんと共演できなかったのは残念だが、それまで自分には関心がなかったり、完全に無関係だったりしたニュースに対して、自分なりの考えを披露することはとても難しいことだと知って勉強になった。
自分のアイデンティティである、「スポーツ選手目線」「視覚障がい者目線」でコメントを発することが求められているのだとは理解していても、生放送において、瞬時に適切な言葉を表明することはかなり難易度が高い。「もっと自分の引き出しを増やさなければ」という思いを強くすることとなった。
■テレビの世界の“プロ”に出会って気づいたこと
真面目な報道番組だけではなく、明石家さんまさんの『踊る!さんま御殿‼』(日本テレビ系列)にも出演させてもらった。
この番組では、出演者の方それぞれが「なんとか番組に爪痕を残そう」という思いで、必死に楽しいこと、面白いことを生み出そうとしている姿に感銘を受けた。ちなみに、僕自身はとても緊張していて、どんなことを話したのかまったく覚えていない。
このときに学んだのが、「仕事というのは命がけで手にするものなのだな」ということだった。
普段は気楽な気持ちで一視聴者として楽しんでいるバラエティー番組だが、そこに出演する人、制作する人は、本当にたくさんの汗を流して「楽しい番組」を生み出しているのだということを痛感させられた。
NHKのトークバラエティ『阿佐ヶ谷アパートメント』も楽しかった。阿佐ヶ谷姉妹のおふたりが大家を務めるアパートの住人という設定で、VTRを観ながら、自由に感想をしゃべらせてもらった。
さらに、ただアパートの部屋でビデオを観るだけではなく、自らロケに出て女装パフォーマーのブルボンヌさんと一緒に修験道を経験させてもらった。
このとき、「美」にこだわりを持っているブルボンヌさんが、自らカツラを取ってつけまつ毛が取れるのも気にせずに滝に打たれることになった。ブルボンヌさんもまた、プロ根性を感じさせてくれる方だった。
こうして、水泳とはまったく別の世界の人たちと触れ合うことができたのは、僕にとっては本当に貴重な財産だ。
「世の中にはいろいろな職業があり、いろいろな人がいるのだな」ということ、「その道のプロはやっぱり一流ばかりなのだ」ということ。本当に多くのことを学ぶことができた。異世界に飛び込むことで、その道のプロへの敬意も高まる。人が人を尊敬できる社会は素晴らしいと思う。僕もまた、他者から尊敬される人間でありたい。
■東京パラリンピックは“知ってもらう機会”になった
前述したように、東京パラリンピック大会終了後は、金メダルを獲得したことによって、全国各地に呼ばれて講演活動を行ったり、いろいろなイベントに呼んでいただいたり、メディアから出演依頼があれば喜んで参加させてもらったりした。
コロナ禍での東京大会の開催には様々な意見があった。大会を終えたいま、「パラリンピックの開催は我が国にとってよかったのか?」という問いに対して、僕は「いろいろ意見はあったけれど、やっぱりよかったんだろうな」と考えている。
パラリンピックによって、まずは世界中のすごくたくさんの障がい者がスポットライトを浴びることになったことが最大の理由だ。健常者の人たちに、「これだけいろんな立場の人が、同じ社会を生きているんだぞ」ということを知ってもらえる機会になった。
なにごとも「知らない」というのがもっとも話をややこしくするというか、壁を高くしてしまうことなのだ。まずは、「知ってもらうことができた」ということが、東京大会開催の大きな意義だった。
知ってもらえるといろいろ変わってくるもので、人との距離も縮まってくる。実際に以前と比べても、パラリンピック後には声をかけてもらうことが増えた。
また、メディアを見ていても、多くの人々が共生社会について意見をしたり、いろいろな立場の人たちがメディアに出て発言したりすることが増えたと感じている。そして、それは社会として確実に一歩、前進している証拠なのだろう。
■共生社会のために“僕たち側”ができること
「共生社会」、これは非常に定義しづらい言葉だ。僕自身、「共生社会とは一体なんなのか?」と、自分なりに言葉にしたいと考えている。
僕が考える共生社会というのは、「いろいろな立場の人が、いろいろな違いがあるということを当然として認識して、その違いというものをむしろ楽しめるようになること」であり、それこそが、共生社会なのかなと考えている。
違いを受け入れるのはもちろんだが、「受け入れる」というのも非常にぼんやりした言葉だ。まったく触れないでいることも、ある意味では「受け入れている」ということだから、そこからさらに進んで「その違いを楽しめること」こそ、理想的な共生社会だろう。
東京大会終了後に、僕は結婚したのだけれど、妻とつきあいを始めた頃、彼女がふと「ミステリアスな人は、魅力的だ」と口にしたことがある。それを聞いて、「この人、すごいな」と感じると同時に「共生社会とはそういうものなのかもしれないな」と思った。
では、共生社会を実現するためにはなにをしたらいいのか? これまで、より住みやすく快適な環境を求めて、障がい者は自分の権利を主張してきた。そして、健常者はその訴えに対して、「どうにかして自分たちのマインドを変えていかねば」と考えるのがひとつの構図だった。
けれども、それだけではなく、障がい者側にもやれることがあると思う。それは、パラリンピックをたくさんの人に見てもらったように、自らも積極的に街に出ていって、「自分たちも同じ社会を生きているのだ」ということを発信していくことだ。
自ら街に出てアピールしていくことも、必要な時期に差しかかっているのだ。真の共生社会は、それぞれの違いを知り、その違いを楽しむこと。そのためには積極的な情報発信、そしてその共有が大きな鍵になると僕は信じている。
■「24時間テレビ」を見て前向きな気持ちになった
一時期、「感動ポルノ」という言葉がマスコミ上を賑わせたことがあった。簡単に説明すると、身体障がい者をテーマやモチーフにして、主に健常者に感動的な「お涙ちょうだい」をもたらすコンテンツとして消費することを指している。
ここで思い出されるのが、日本テレビ系列で毎年放送されている『24時間テレビ 愛は地球を救う』だ。調べてみたら、僕が生まれる前の1978年から、実に45年以上も放送されている伝統ある番組だと知った。
この番組には多くの障がい者たちが登場するが、本当に感動的な物語がたくさん紹介されている。僕もたまに観ることがあるけど、実に感動的で胸が熱くなり、「この人がこんなに頑張っているのだから、僕も頑張ろう」と前向きな気持ちになることは何度もあった。
けれども、この番組こそ、先に挙げた「感動ポルノ」の象徴的な番組として、やり玉に挙げられることが多いのも事実だ。実際に僕の知り合いのなかにも、この番組を批判的なスタンスで語る人もいる。
実際に彼ら彼女らの言い分を聞いてみると、やはり「障がい者をステレオタイプに描いていること」「健常者の『感動したい』という欲求のために障がい者が利用され、消費されていること」を問題視しているようだった。
■「感動ポルノ」が役立つならいいじゃないか
彼ら彼女らの言い分も理解できるのだが、僕は「別にそれでもいいじゃないか」というスタンスだ。
僕がそうだったように、この番組を観て、「勇気が出た」とか、「自分も頑張ろうと思えた」とか、「救われた」と考える人がひとりでもいるのならば、番組としての存在意義は十分あるのではないだろうか。
そして、この番組によって、障がいがある人の考え方や、彼ら彼女らの日常や実態を知る機会になれば、それはとても有意義なことではないだろうか。
もちろん、ただ自分たちの同情心を満たしたり、「自分よりも不幸な人間がいるんだから、自分はマシなほうだ」と優越感に浸ったりする見方は、確かに趣味がいいとはいえない。だからといって、「放送を中止すべきだ」とも思わないし、それによって募金が集まり、誰かが助かるのであれば無理に打ち切る必要もない。
何度もいっているように、「大切なのは、まずは知ること」というのが、僕の基本的な考えだ。したがって、この番組は「知る」という意味において長年にわたって多大な貢献をしているのは間違いない。
世間で問題になっているほど、「感動ポルノ」について僕は否定的にとらえていない。それが役に立つならば、それでもいいではないか。
■僕たちと接点がなければ“身構える”のは当然だ
もう少し、「受け入れる」ということについて述べてみたい。
開催するのか中止するのかで様々な議論を呼んだ東京大会。大会が終了しても、たくさんの意見があることは承知しているけれど、個人的な思いとしては、「金メダルを獲得したこと」はもちろん、それに加えて、「多くの人に注目してもらったこと」がすごく意味深い出来事だったと感じている。
近年ではパラリンピックのテレビ放送も行われているけれど、まだ歴史が浅く、実際にパラ選手たちがどのようにメダルを目指して頑張っているのか、それを実際に目にした人は少ないだろう。
しかし東京大会では、無観客とはいえ自国開催ということで、本当に多くの人から注目されることになった。それが、2008(平成20)年の北京大会からずっとパラリンピックに出場している僕なりの皮膚感覚である。
多くの人に見てもらうこと、知ってもらうことにはたくさんの利点があるのだ。
突然話は変わるけれど、「ヘイトスピーチ」や、SNS上での匿名の誹謗中傷などに代表されるように、現在は多くの差別が問題となっている。とても悲しいことだが、それもまた人間の持つ悲しい一面なのかもしれない。
僕としては、「区別はすべきだけれど、差別はすべきではない」というスタンスだ。なにも知らない未知のものに対して、人はついつい身構えてしまうものだ。
世間の人がパラ選手に対して、あるいは障がい者に対して、どのような思いを抱いているのかはわからない。でも、ほとんど交流がなかったり、接点がなかったりすれば、つい身構えてしまうのも当然のことだろう。
■まずは僕たちのことを「知る」だけでいい
けれども、この東京大会のおかげで、いろいろな障がいを持った人たちがスポットライトを浴びて、未知だったものが少しずつあきらかになっていった。
これはすごく大切で、すごく必要なものだった。知らないものがあきらかになるだけで十分なのだ。その意味でも、このパラリンピックには大きな意味があったといえるだろう。
そして、これをきっかけとして、さらに交流を深めていく次のステージを目指せばいい。その際、必ずしも全肯定してもらう必要はない。当然、人の受け止め方はいろいろあるから、「なにか違うな」と違和感を覚えることもあるだろう。でも、それでいいのだ。
細かい言葉のニュアンスの話になってしまうけれど、「知る」と「受け入れる」は、意味合いこそ似ていても、実は大きな違いがある。「受け入れる」の場合は、たとえ「あまり納得できなくても認めようか」というニュアンスを感じる。でも、僕はそこまでは求めたくないし、求めてはいけないと考える。
必ずしも「受け入れる」必要はないけれど、まずは「知る」ことからはじめてほしい。僕らのことを知ってもらったうえで、結果的に障がい者との接触や交流を選ばない人がいるのは当然のことだし、仕方のないことだ。
僕は、必ずしも「受け入れてほしい」とは思っていない。そこには無理やり、僕らの言い分を他者に強いている強制感がある。けれども、「ぜひもっともっと知ってほしい」という思いは強く持っている。
受け入れなくてもいい、まずはただ「知る」だけでいい――。そこから、次の一歩がはじまるはずだと僕は考えている。
さて、今年の夏に行われるパリ大会が目前に迫ってきた。現在取り組んでいる人生初のフォーム改造ははたして吉と出るのだろうか?
東京大会に続く、大会2連覇を目指すのはもちろんだけれど、これまで同様に、本当の意味での共生社会の実現のために少しでも役に立つことができたら嬉しい。そのためにも、僕はこれからも泳ぎ続けていくつもりだ――。
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木村 敬一(きむら・けいいち)
パラリンピック 水泳(視覚障害クラス)金メダリスト
1990年、滋賀県に生まれる。日本大学文理学部卒業。同大学大学院文学研究科博士前期課程修了。2歳の時に病気のため視力を失う。小学校4年生で水泳を始め、2012年ロンドンパラリンピックで銀・銅2つのメダルを獲得し、2016年リオ大会では銀・銅合わせて4つのメダルを獲得する(日本人最多記録)。2021年東京大会では自身初となる悲願の金メダルを獲得する。東京ガス株式会社人事部に在籍。日本パラリンピアンズ協会(PAJPAJ)の理事も務めている。著書には『闇を泳ぐ 全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。』(ミライカナイ)がある。
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(パラリンピック 水泳(視覚障害クラス)金メダリスト 木村 敬一)