近い未来にJリーグへと…!東海1部wyvernをけん引する二人のベテランに迫る

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昨季東海社会人リーグ1部で無敗優勝を達成したwyvern。愛知県刈谷市と知立市をホームタウンとするチームはJFL(J4相当)昇格がかかる地域チャンピオンズリーグ(地域CL)に初出場を果たして第1次ラウンドで2勝1敗と大健闘を見せた。惜しくもグループBを2位で敗退するも、アマチュアサッカー界に新風を巻き起こした。

だが今季は間瀬秀一監督(現JFLヴィアティン三重)の退任なども重なり、4勝1分3敗の8チーム中4位と苦しんでいる。全国社会人選手権予選の敗退、東海1部自力優勝の可能性消滅と昨季に比べて苦しんでいる。それでも二人のベテラン選手がチームを高みへとけん引している。

近い未来にJリーグへとチームを全力で導く2選手の姿に迫った。

取材日8月7日(撮影・取材 高橋アオ)

キャリア20年目の鉄人

8月上旬の豊田市に所在するフットサルコート。気温35度と肌を焼くような日射が照り付けていたが、wyvernの選手たちは人工芝のゴムチップまみれになりながらトレーニングに励んでいた。

ストレッチに励む常澤

Jリーグ経験者が複数人いるチームだが、フットサルコートでの練習を強いられるなど環境は決して良くない。それでもチーム最年長の大ベテランは精力的にメニューをこなしていた。東京ヴェルディ、ザスパクサツ群馬、モンテディオ山形、FC岐阜などでプレーしてきたGK常澤聡(ときざわ、39)はサッカーをできる喜びを語る。

「自分は『やり切りたい』、完全燃焼という気持ちでやっています。多分若いころからずっと試合に出て、J通算300試合とか何100試合も出ていたら満足しちゃっていたかもしれないけど、大きなケガをしたわけでもない。まだ全然満足できなくてもっとやりたい。自分がやりたいと思う気持ちがある限りはやりたいと思っていたんですけど、やらせてもらえる条件と環境がありました。

Jリーグ入りを目指しているチームなのでやりがいもあります。そこでやらせてもらっていることは幸せなことです。まだJリーグでも頑張っている同級生GKがいます。去年清水慶記は群馬で辞めちゃったんですけど、佐藤優也、山本海人、関憲太郎もそうですね。自分的にはやり切ってない、もっとやりたい気持ちがあります」

昨季は公式戦1試合出場のみで、地域CL第3戦で負傷交代という形で緊急出場した。今季はブラジル人GKヴィニシウス・ゴベッチから守護神の座を奪ってリーグ戦5試合に出場し、1クリーンシートを記録した。

GKはワインと同じで年を重ねれば重ねるほど熟成するという言葉があるが、39歳になってもアマチュアリーグでプレーするには技術、体力以外にもメンタル面も重要になってくる。前橋育英高卒業後に東京Vに加入してからキャリア20年目となる守護神に長く現役を続ける秘訣を聞いた。

「自分でいうのも何ですけど、あまりくよくよし過ぎない(笑)。GKは試合に出てても、出なくても落ち込むことがあります。例えば試合に出ていなかったらそのことを考えるかもしれない。

試合に出てたら『あのときはなんであのプレーを選択したんだ』といろいろ考えることがあります。良くも悪くもあまり考え過ぎない。くよくよし過ぎない。ネガティブなことを思っていても口にしない、サッカーをあまり考え過ぎない。分析して反省はしないといけませんが、メンタルの中で考え過ぎないことが大事だと思います」

ベテランでも人に優しく温和な人柄の常澤は、岐阜やマルヤス岡崎でともにプレーしたDF青木翼ら後輩から慕われている。これまで多くの挫折や悔しい経験もしてきたが、反骨心とポジティブな気質があるからこそファンやチーム関係者から深くリスペクトされている。

「『Jリーグ入りを目指す』ところではうちのチームは結構Jリーグ経験者いますので、そういう人たちが経験を生かせるような形で貢献できたらと思っています。

例えばチームの運営の仕方もまだJリーグに基づいた運営ができていないところがあると思います。そういうところは必要であれば意見というか、聞かれたら答えたいと思います。

あとは自分はGKを教えることに興味があります。ゆくゆくですけど、そういうところも携わっていけたらと思っています。まずはプレーをさせてもらっていますから、そこに100%で考えていきたい。

教えるほうも体がもたないというのはあって、そこはまだ難しいですけど、必要であればそういうこともやらせてもらえたらいいなと考えています‪」‬

セカンドキャリアも見据えながら戦う常澤。クラブの未来も考えながら献身的にチーム活動に参加している。ただ身体が動く限り、やり切るまで現役で走り続ける覚悟だ。

帰ってきたベテラン

今季関西社会人1部FC BASARA HYOGOから完全移籍で加入したDF秋吉泰佑は、2022年シーズン所属以来のチーム復帰を果たした。チームの代表業務の一部もこなす背番号33はこの日ゲーム形式練習でフリーマンとして入り正確な左足で精度の高いパスを見せながらチームを鼓舞していた。

秋吉は「BASARAでは昨季全部の試合に出ていて、チームからずっと『残ってくれ』と言われていました。色々な関係性と、ここのクラブから『来てくれ』という話が強かった。その思いに賭けて来ました。

以前監督を務めていた岡田(真之介)と選手時代一緒にやっていて『ぜひ力になってほしい』と。僕も選手上がりで直ぐに監督になることは不安もあるし、実際チームをまとめられるか分からないことが一つありました。

岡田のために頑張ろうとも思いましたね。今後クラブをJリーグのチーム、上のカテゴリーに押し上げるのに『来てくれ』という話を野々山代表とも話して『行く』という決断に至りました」と復帰の経緯を明かした。

「ひっそり海外組」という欧州主要リーグ以外でプレーする選手を称するネットミームがあるが、秋吉はその「ひっそり海外組」の中でも伝説的な偉業を達成した選手の一人だ。

シンガポールリーグ1部アルビレックス新潟シンガポールでプロキャリアを始め、2011-12年シーズンにブルガリアの名門である同国1部PFCスラヴィア・ソフィアに加入し、同リーグ初となる日本人選手となった。翌シーズンに元日本代表の松井大輔さんが加入し、日本人コンビとして共闘。2014-15シーズンにはオーストリア屈指の強豪の同国1部シュトゥルム・グラーツでプレーした。

「そういった経験を下のカテゴリー含めて、(トップカテゴリーも)若い選手が何人かいます。僕が持っているものだと、ACLに出たこともあったので、そういう経験は他にないと思う。(経験を還元なども含めて)チームに貢献できればと思っています」

海外の実績を引き下げて2015年に当時J1ヴァンフォーレ甲府へ移籍し、その後はJ2ファジアーノ岡山、JFLラインメール青森、ヴァンラーレ八戸のJ3参入に貢献するなど日本でも大きな足跡を残した。

同クラブは地域のアカデミーやスクール事業をするチームとして発足し、2015年にトップチームを立ち上げた。刈谷市、知立市との地域密着、選手育成を掲げてJリーグ参入を目指している。

「まずは『地域に応援されるようなクラブ』になることですね。クラブとして『アカデミーが1番』を掲げています。

アカデミーの子供たちの模範となるような、アカデミーの子たちがサッカーの面、生活の部分で成長していく最終形態がトップチームです。トップの選手たちはすべてできているという形でトップチームが存在する。

そういった地域の方、アカデミーの子たち、そして応援してくれるたくさんの方のために、wyvernの価値を上げつつ、Jリーグを目指すようなクラブに一歩、一歩やっていきたい。そのための力になりたいです」と意気込んだ。

東海1部wyvern間瀬秀一監督がキャリアを振り返る!自分を必要とする場所での新たな挑戦とは

チームは24日に同じ刈谷市をホームタウンとするFC刈谷に1-2で敗れ、地域CL出場の可能性が厳しい状況になってしまった。ただ二人のベテランはその先を見据えてこのクラブに多くのものを残そうと日々奮闘している。wyvernを高みへと導く魂のレフティー秋吉、鉄人GK常澤の活躍を今後も追っていきたい。