「お母さん、笑っていて」発達障害の長男とひきこもりの次男をもつシングルマザーが絶望と涙の先に得た気づき
■放課後はいつも一人でゲームばかり
「やっぱり、手が足りなかった」
シングルマザーとして2人の息子を育てる小林尚美さん(仮名、56歳)は、そう言って唇を噛む。
「発達障害の場合、その兄弟のサポートも家族がしないといけない。傷ついていることが多いから、心のケアが大切だとは、チラッと聞いてわかっていながらも、長男を不登校やひきこもりにしたくない一心で必死にやってきたけれど、弟のことは疎(おろそ)かになっていたと思う」
39歳で離婚を決意。3歳と0歳の息子を連れて実家に戻り、実母の協力のもと、正社員としてフルで働きながら子どもを育ててきた。幼少期から問題行動の多い長男に、発達障害があるとわかったのは小学3年の時。医師から「不登校か、ひきこもりになる」可能性を告げられた尚美さんは、その「呪い」を払うべく、療育に力を注ぎ、学校と常に連携を取り、長男を必死になって守ってきた(前編)。しかし、その間、次男はといえば……。
「母が病で施設に入り、次男が小4、長男が中1の時に3人暮らしになりました。安心して働くためにも、次男には学童に行ってほしいと言ったのですが、ガンとして聞かない。放課後はいつも一人で家にいて、好きなゲームばかりで殻に閉じこもるようになってしまい……。そんな次男に対して、何もサポートができませんでした」
■おとなしく怖ろしいほど頑なな性格
幼い頃から多動で、激しい問題行動を起こす長男と違い、次男はおとなしい子だった。しかし時折、違和感を抱くことがあった。
「長男をラグビーチームに入れた時、次男も幼稚園のチームに入れたんです。試合の時、『出ろ』とコーチに言われても、次男は『嫌だ』って、体育座りをして絶対に動かない。威勢のいいお母さんに怒鳴られても泣きもせず、じーっと座っている。この頑固さが怖い、と。おとなしい子なのになんで? って思いました」
言葉が早かった次男は会話が通じるものの、自分の中に何かこだわりがあり、それ以外のことをしようとすると強い抵抗が生じることを、尚美さんはうっすらと感じていた。
それでも長男と違い、次男は学校で問題を起こすことはなく、塾に行かなくとも学校の勉強はそつなくこなし、ある意味、教員の目が“行き届きにくい子”でもあった。
「一人で家にいるのは良くないと思い、週1でそろばんに行かせたり、サッカーもまあまあ気に入ってたので、やらせたりしていたんです。ちょっとでも、外とのつながりを持つようにと。小6の時に気づいたのは、サッカーに行ってなかったこと。練習着がいつも洗濯に出されてたので、サッカーをしているとばかり思ってたんです。私としたら、汚れてない練習着を気づかずに洗っていた」
尚美さんは、自分を責めるように苦しそうに言葉を継ぐ。
「日中フルで仕事をして、買ってきた惣菜を温めて出すだけでも大変で、掃除も洗濯もしないといけないし、それだけでいっぱいいっぱい。手と目が足りていなかった。ちゃんと、子どものことを見ていなかったんです。私はただ、洗濯機を回していただけ」
もっと早く、気づかないといけなかったのに――。そう、何度も繰り返す尚美さん。長男にばかり目が行き、次男の持つ「他の子と違った面」になぜ、気づかなかったのか、今もそのことを悔やみ続けている。
■長男か、それとも次男か
「通信のゼミをどうしてもやりたいと言い出して。それは1年契約をしたら、iPadがもらえるんです。どうしてもやりたいっていう、そういう時の熱意ってすごいんです。次男の、そのしつこさって。最後までやると念書まで書かせたんですが、結局1カ月もちませんでした。こっちが怒っても、より頑(かたく)なになって」
今も思えば、申し訳なさに涙があふれるのが、中学の入学式に参列できなかったことだ。
「たまたま、兄の私立高校の入学式と重なって。兄は一人で電車に乗ったことがなく、一人で交通機関に乗せるのは危ないので一緒に行くしかなかったんです。結局、小学校から知りあいの同級生のお母さんに、次男の入学式をお願いしました」
尚美さんの目から、大粒の涙がこぼれる。
「シングルマザーといっても、親やきょうだいなどが近くにいる場合が多いですよね、でも、私には親戚も誰もいない。親族にしかできないようなことがある時に、それが今なのに、誰もいないって。悔しいやら悲しいやら、この子たちにとって大人は私一人だけなんだって、深く落ち込みました」
「長男か、それとも次男か」を選ぶとは、どれほど断腸の思いだっただろう。次男に不憫な思いを強いるなんて、絶対にさせたくなかったのに……。
午前中、有休を取って長男の式に参列した尚美さんは、午後は仕事をし、いつもの時間に帰宅した。次男のために、“午後休”を取るのも叶わなかった。尚美さんの目の前に、教科書の入ったリュックサックを放り出し、寝転がっている次男がいた。
「どうしたの?」と問うと、次男はこれまで見たことがないような暗い面持ちで、こう答えた。「しゃべれる子がいない……」。
■「何でそんなに、いつも落ち込んでいるの?」
1学期は何とか通いきったが、2学期になってほどなく、担任から電話があった。
「彼、言葉を発することが無く、心配しています。授業で当てられたときは話しますが、自分から言葉を発することがなく、聞くと、『中学で、話すことが無くなった』と」
ショックだった。そこからまもなく、「お腹が痛い」と学校への行き渋りが始まった。
せめて、せめて……と尚美さんは希う。
「次男を『行ってらっしゃい』って、学校へ送り出してあげたかった。でも、それは勤務時間の関係で叶わなかった。たとえば18時まで働くから、始業を遅らせてもらえる、とか融通が利く会社だったら……」
世は、自己責任の社会。こんな声が聞こえてくる。「勝手に離婚しておきながら、甘えるな」。あるいは、「次男のために、会社を辞めればいいではないか」。
「勤めを辞めればいいと言われるけれど、息子たちはこれからお金がかかる時期だし、食べ盛り。正社員雇用じゃないと、無理。私が新卒時に入社したのは一部上場企業だったので、結婚で辞めていなければ今、こんな状態ではなかった。人生を失ってしまったんだ、と悔やみました」
周りを見れば、シングルマザーで、正社員で働き、子ども2人と明るく暮らしている友人もいる。彼女からはよく、こう言われた。
「何でそんなに、いつも落ち込んでいるの?」
尚美さんは声の限りに、こう叫ばずにはいられない。
「シングルマザーといっても、私、発達障害の子どもがいるシングルだから! 普通の、シングルではない。そこをわかってほしい。手をかけずに育つ子と、その子に合うレールを探して、そっちへ行けるようにどう導いてあげるのか。そのためには先生とのやりとりも密にしないといけないし、1カ月に1回は主治医の助言が必要で、そのための時間のやりくりも普通の子とは全然違う。どうして、そこが伝わらないのか」
■命の危険を伴うネット依存に
一方、同じ発達障害を持つ母親たちとは、障害の話は共有できる。しかし……。
「大変な子育てなので、母たちは皆、落ち込んでいます。確かに障害の話は共有できるけれど、彼女たちは夫が主に働いているので、最小限に働けば良くて、当事者の集まりも平日の昼。そこでストレスを発散し、情報を教えてもらえるけれど、私はそこに行けない。あの人たちと私は違うんだな、という悲しさ。シングルマザーとも、発達障害の親ともどっちつかず。当時のことを思い出すと、今でも悲しくなります」
中1の2学期まで普通に生活していた次男だったが、学校に行かなくなると同時に、対人型オンラインゲームにハマり、瞬く間にネット依存に陥った。
「全く食べないし、動かないし、パソコンをしたまま、意識を失って、椅子から転げ落ちるように寝ていた。食べる間も惜しんで、ゲームを続けていて。悔やまれるのは、私がパソコンにロックさえかけていれば、ここまではならなかったって」
あまりの状態に、ママ友に協力を依頼し、担任が見守る中、タクシーで精神科を受診。脱水、低血糖、貧血が判明、命の危険があるという主治医の判断で、次男はその場で保護入院となった。
入院中はゲームができないと泣き叫び、食事を拒否したため点滴も処置され、何とか、身体的状況は改善した。それでも外泊許可が下りれば自室にこもり、オンラインゲームにのめり込む。入院と外泊を繰り返し、結局、81日間の長期入院となった。
■久里浜医療センターの入院を拒絶
尚美さんはネット依存治療に実績のある、神奈川県にある久里浜医療センターを受診させたいと友人たちの協力で何とか予約を取り、中3の11月、関西から神奈川県の久里浜へと次男を連れて行った。
「横浜のみなとみらいの高層ホテルに前泊しました。夜景を見れば、気持ちが変わるんじゃないかと思って。私ももう、死んでもいいんじゃないかとだんだん思って、ここで、お金を使っちゃおうという気持ちもあって……」
久里浜医療センターでは検査を行い、主治医と心理士の面談が行われた。これまで次男は、長男と同じ発達障害の検査を受け、大丈夫ということだったが、ここでさらなる検査の結果、長男同様、「広汎性発達障害」であることが明らかとなった。
体力測定において肺年齢は60歳、エアロバイクを漕ぐこともできず、入院加療が必要となったが、次男は入院を頑なに拒絶した。実はこの時点で、担任の熱心なアプローチで次男は高校進学を決意しており、高校に通うなら、なおさら入院を勧められたが、全て拒んで帰宅した。
2月に合格した高校は、満員の地下鉄を乗り換えて、家から1時間という遠方にあった。久里浜医療センターに電話で合格を伝えたところ、主治医は次男に優しく諭してくれた。
「1週間でも10日でも入院して、プログラムに参加して、生活習慣を変えて、体力をつけてから学校に行きましょう。そうしたほうが、キミの未来が開けるんだよ」
それでも頑なに、次男は入院拒否を貫く。聞けば、最初の精神科への保護入院で、入院に対する恐怖感が大きくなっていた。せめて、最初の入院が久里浜だったらと、尚美さんは臍(ほぞ)を噬(か)む。高校通学にあたり、尚美さんや久里浜医療センターの嫌な予感は的中した。
「コロナ禍でしばらく高校に行けず、分散登校でようやく行けたと思ったら、半日行って、次男は自分でダメだとわかって、『もう行けない』って号泣しました。そのまま、不登校、正真正銘のひきこもりになりました」
■引っ越しで得た市のメンタルサポート
事態が動いたのは2年前、郊外の市へ引っ越してからだ。
若者の就労支援事業はどの自治体にもあるが、その市には就労支援に行けない子たちのための「就労支援準備事業」があり、市から委託された団体が「メンタルサポート」事業を行っていた。
「メンタルサポートには各種イベントやプログラムがあり、『行きたい時だけ、来てください』と週1の頻度で電話が入る。次男はこれまでさつまいもの収穫や、庭の手入れ作業などに数回参加。定期的に面談をし、将来の方向性も一緒に考えてくれる。定時制高校の選択肢もあったのですが、いろいろ一緒に見学した結果、次男は他市の就労移行支援事業所への通所を希望し、そのためには3回の体験プログラムをしないといけなくて、でも次男はその3回のプログラムを10回以上もキャンセルしてしまった。それをメンタルサポートの方が調整してくれて、契約できるように動いてくれて。今は月に10日、オンラインでプログラミングのトレーニングも受けています」
このかんの流れが、今までとあまりに違い、尚美さんは驚きを隠さない。
「私は本当に何にもしなくて、こんなに任せられるんだって驚きでした。今までの自治体なら、自分ですべて調べないといけない。しかも運よくサポート先を見つけても、それも何カ月待ちだと言われてしまう。次男のように完全にひきこもりになった者にとって、ここまで一人ひとりに手厚い充実したサービスは、どれほど有難いことか。正直、家族では担いきれません。自治体に救われました」
■人は捨てたもんじゃない
尚美さんには、金縛りに遭うほど恐怖を感じるものがあった。それは、次男の未来だ。
「私と長男以外、次男と関われる人は誰もいなくて、私が死んだら終わりだって、それが恐怖でした。自分が死ぬのはいいけれど、次男は誰ともつながっていないので、どうなるんだろうって」
一方、長男に関しては最近、強く思うことがある。
「あの子は、『人は捨てたもんじゃない』とわかってきた。人は、悪い人ばかりではない。助けてくれる存在でもある。人ってあったかいって、今はちゃんと理解できています」
幼少期の、人との関わりを一切必要としない頑なさから、何という成長なのだろう。長男に比べれば次男の世界はとても狭く、まだ、他者との画期的な出会いはない。それでも今、次男は支援機関につながった。ケアワーカーのあたたかさの中で、少しずつ微々たるものであっても、前に動き出している。
「今は私が死んでも、あの人たちと定期的に連絡が取れているから、何とかなるんじゃないかなって、だいぶ、ラクになりました。自治体とつながることは、こんなに大きな安心感をもたらすのかと。私、今は何もしてないんです、ホントに。ただ、引っ越しただけで……」
話し終えた尚美さんは、顔を上げ、晴れやかに笑った。そんな尚美さんの笑顔を見るのは、初めてかもしれなかった。
「私、やっと気がついたんです、私が楽しくしていればいいんだって。次男にはごはんを作る以外、何のサポートもできていないけど、それでいいのかなって思えるようになったんです」
絶望し、悲嘆に暮れ、涙、涙の日々だった。でも今、子どもたちが確かな気づきを尚美さんにくれた。お母さん、笑っていて。他の子たちと違うかもしれないけど、僕たちのリズムで今は家族3人、生きていこうよ、と。
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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)