仕事に打ち込み、友だちと思いっきり遊び、彼氏はいるけれどまだ結婚や子どもを持つことはまだ意識していない年頃に、急に「死ぬかもしれない」病であることを突きつけられたら…。26歳で希少がんの「悪性ラブドイド腫瘍」と診断された福田莉子さんがそのひとりです。無限の可能性があるはずだった未来を「生きるため」に選択しなければならない若い世代のがん患者特有の苦しさについて、福田さんに直接お話を伺いました。(記事監修:川崎市立井田病院 腫瘍内科部長・一般社団法人プラスケア代表理事・西智弘先生)

突然の胸焼けと吐き気、病院を受診しても悪化が止まらない

莉子さんに異変が起きたのは、突然のことでした。楽しい飲み会で、いつもと変わらない量しか飲んでいないのにひどい二日酔いになり、そのまま常に胸焼けと吐き気が続くように。働きながらアルバイトをかけもちするほど体力に自信があったのでとまどいつつ、消化器内科を受診。処方された薬を飲んでいましたが、症状はいっこうに改善せず悪化する一方。

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「ゼリーと麦茶しか喉を通らなくて1か月で体重が10kgほど落ちました。胃の内視鏡検査をしても異常なし。まともに食事ができないまま2か月が過ぎ、ひどい口渇感が出て、1時間で1リットル以上の水分を飲むように。それもすべて吐いてしまって常にフラフラの状態でした」

ある日、激しい腹痛から自宅のトイレで立ち上がることができなくなり、莉子さんは救急搬送されました。

「救急外来で血液検査をしたところ、高カルシウム血症になっていることがわかりました。いつ心不全を起こしてもおかしくない状態だったため、そのまま入院、HCU(高度治療室)に入りました。血中カルシウム濃度を下げる治療をしつつ原因を探るための精密検査をしたところ、右の腎臓に小さなコブが見つかりました」

片方の腎臓にコブがあると医師に説明されて

両親と一緒に受けた医師からの説明で、そのコブは悪性腫瘍だろうと告げられました。

「CTで見たら、右の腎臓が2倍ぐらい大きく、形もぜんぜん違う。こんなに大きな得体の知れないものが体の中にあるからには悪いヤツだろうなと感じました。ショックでしたが、3か月もいろんな症状に苦しんだので、答えがわかってホッとした気持ちもありました」

最短の日程で右腎臓の摘出手術を受け、病理検査の結果、「悪性ラブドイド腫瘍」の疑いがあることがわかりました。非常に希少な小児がんで、しかも成人で罹患するという超レアケースだったため、希少がんセンターのある国立がん研究センター中央病院に転院することに。ここから莉子さんにとって怒濤の〈人生の選択〉が始まることになります。

心の支えだった彼氏が音信不通に

莉子さんはがんとわかった時点で、友人たちにもオープンにし、おつき合いしていた男性にも、すぐに伝えていました。

「治療方針が決まるまで、検査が1か月ほどかかりました。早く治療しなくて大丈夫なのかとつらい待ち時間でした。彼は少し遠いところに住んでいたので、電話やSNSのやりとりが多かったのですが、悪性腫瘍の診断が出たときは最悪の体調でも会いに行きました。とても優しい人だったから、家族や友人とは別の部分で支えになってほしかったんです。なのに、手術が終わった後に音信不通になってしまって…」

手術後、体力も気力も衰えていた莉子さんは会いに行けず、連絡がこないのは彼にとんでもない重荷を背負わせてしまったからだと、自責の念が湧いたそうです。

「恋人ががんになるなんて、すごく動揺するし、つらいですよね。だから離れてしまうのも当然だったかもしれません。でも、あのときは一緒にいてくれないことがすごく悲しかった。2か月ほど経って、合鍵を返すねとメッセージを送ったら『わかった』と返事が。なんだ、とっくに終わっていたのか…とがっくりしました」

自分のがんについて必死でネット検索をしても、希少がんで情報が少なく、悪いものばかり目に入り不安は増していくばかり。支えになってほしかった彼もいなくなった莉子さんを、さらなる難関が待ち受けていました。

将来子どもを産むかどうかを今すぐ選択しなければならない

「悪性ラブドイド腫瘍」に対する効果のある治療法は、まだ確立されていません。じつは、希少がんの多くで治療薬や治療法の研究開発が、予算や症例数が集まりにくいためなかなか進まないのが現状です。

手術で腎臓の腫瘍は摘出できたものの、完治を目指すために抗がん剤による治療を行うことに。

「別の希少がんで奏効した例のある3種類の抗がん剤を組み合わせた治療を半年間、6クール受けることになりました。ただ、副作用で30%の人が閉経する。つまり、将来的に子どもを産めなくなるかもしれないと聞かされました。まだ26歳で結婚も出産も現実的に考えたことはなく、彼氏にフラれたばかり。治療がうまくいって〈これから先〉があったとして、がんになった私と結婚する人がいるのか、自分も結婚したいと思うようになるのかもわからない状態なのに…」

妊娠・出産の可能性を残したければ、妊孕性(にんようせい・妊娠するために必要な力)の温存という手段があります。莉子さんの場合は抗がん剤治療の前に、健康な卵子を採取して凍結保存しておき、将来に備えるのです。

「卵子を採取するためには生理周期も関わるので、時間がかかります。抗がん剤治療はなるべく早く開始した方がいいだろうし、悩みました。がんと診断されると、多くの人が短期間で人生の重大事を選択したり、決断したりしなくてはならなくなりますが、自分が妊娠する将来を描けない状況で決断するというのは、本当に厳しかったです」

自分がよしと思うことを信じてやればいい

莉子さんは、とりあえず卵子凍結保存の説明だけでも受けようと、妊孕性温存の治療を行う病院を受診。そこで20代だと卵巣にある卵子の数が多いので、閉経しない可能性もあると説明されました。

「私は20代後半なので、微妙なところですよね。仮に治療後に閉経しなくても、妊娠・出産するには不妊治療が必要になる可能性は高いと言われました。もう、めちゃくちゃ悩みました。

たまたま、その病院に勤めている友人がいて、わざわざ私に会いにきてくれたんです。『自分がよしと思うことを信じてやればいいよ』と言ってくれ、その言葉に決断する勇気をもらいました。結婚や出産は不確かな未来だから、まずは自分の命のために一刻も早く抗がん剤治療を受けようと決めました」

若い世代のがん患者に特有の苦しさ

15歳から39歳のがん患者は、AYA世代(Adolescent&Young Adult 思春期・若年成人)といわれ、1年間でがんを発症する人100人のうち2人程度(※)。この世代は子どもから大人へ、社会人へ、親へと大きくライフステージが変わる未来がある人たちです。まだ確定していない、でも「あるかもしれない」未来のことを短期間で考え、ときに決断しなければならないという特有の困難があります。

「自分がすでに結婚しているとか、子どもが何人かいるような状況だったら、こんなに迷わずに済んだんじゃないかな。それまで明るい未来が待っていると普通に思っていたので、まさか急に生きるか死ぬかの選択を迫られると思いませんでした」

 

※参考:がん情報サービス「AYA世代のがんについて」より

監修:西智弘先生(川崎市立井田病院 腫瘍内科部長・一般社団法人プラスケア代表理事)