冬の函館本線を走るキハ40形。2024年3月で同線の札幌―旭川間から引退した(写真:Jun Kaida/PIXTA)

まだ辺りは暗い早暁、真冬の札幌駅。遠くに前照灯の小さな光が現れる。やがて古い気動車がエンジンの音を震わせ、ゆっくりと入線してきた。2両編成の姿は大都市のターミナルには少々場違いだが、あまり人目につかないこの時間だからこその光景にも思える。

早朝にもかかわらず、ホームには多数の乗客が待っている。列車が停まり、一息おいてドアが開くとともに続々と人々が車内に乗り込んでいく。朝帰りと思われる若者の男女、これから仕事にいくのだろう背広姿の男性、そしてこの列車を目当てとする鉄道ファン。

札幌5時54分発、旭川行き普通列車。電化されているこの区間に古ぼけた気動車が充当されるのはこの1本のみだった。

郷愁を誘う昭和の気動車

2024年3月のダイヤ改正に向けたJR北海道の2023年12月15日付プレスリリースには「石北線と釧網線の快速・普通列車すべてをH100形電気式気動車に置き換えます」との記載があり、その内容には函館本線の札幌―旭川間も含まれていた。

私が乗車したのは1月4日で、古い気動車が走行するのはもう残りわずかとなっていた。

この車両はキハ40系といい、国鉄時代の1977年から1982年にかけて888両が製造された当時の標準型気動車である。北海道の厳しい環境の中で40年以上を経て、改造やメンテナンスは施されているものの老朽化は隠せない。けれども、昭和の雰囲気を残した手差しの行き先表示、青いモケットのクロスシート、むき出しのネジや蛍光灯、寒冷地北海道特有の二重窓、乗降口とデッキで仕切られ包みこまれるような客室は郷愁を誘う。

【写真】肥薩線や吉都線、日南線、指宿枕崎線…九州に残るキハ40系をめぐる旅、どんな行程で回った?(32枚)

定刻になり列車は静かに動き出す。大都会を進むが、ほんの10分ほど、厚別を過ぎる頃にはビル群も途切れ、周りは真っ暗となる。道路脇のオレンジ色の外灯だけが浮かび、ときおり通る車のライトがまだ夜の風情だ。

仕事に行く人だろうか、大麻、野幌と駅々で地元の客が乗ってくる。けれども車内はみな無言で、ディーゼルエンジンの音と雪でくぐもったレールの響きだけが聞こえてくる。


キハ40形の側面。長年の活躍を物語る(筆者撮影)

6時半を過ぎると、遠くの空がほんのり明かりを帯びてくる。地平線に近いところは赤く、上方に向かうにつれ薄い青から濃い青となる。岩見沢に到着する頃にはすっかり明るくなった。辺りは雪深く、民家の壁面に反射する朝日が眩しい。

滝川から大学生くらいの若者が多数乗ってきて、車内の空気は朝の活気へと変化していく。深川を過ぎ、断続的に続くトンネルをくぐると、やがて大きなビル群が見えてきて終着の旭川に着いた。

さらに旭川からは石北本線、新型のH100形で上川に向かい、11時8分発の遠軽行きに乗車した。この列車もキハ40系で、終点の遠軽で網走行きへと変わる。私は上川から網走まで、さらにおよそ5時間、この車両を味わったのだった。


2024年1月のJR北海道キハ40系乗車区間(赤線)。同年3月でこれらの区間からは引退した(筆者作図)

確実にキハ40に乗れる路線は?

かつては全国で活躍したキハ40系も数を減らし、すでにJR東日本やJR東海では走っていない。JR北海道でも2025年3月で定期運行から引退する予定だ。2024年夏の時点で、確実にキハ40系に乗ることができるのは以下の路線である。

■JR北海道
根室本線:滝川―富良野間
函館本線:函館―長万部間(ただし函館―森間にキハ150が1往復存在)
(第三セクター)道南いさりび鉄道

■JR西日本
城端線
氷見線
播但線:寺前―和田山間
吉備線
岩徳線
山陰本線:城崎温泉―浜坂間、長門市―下関間(ただし人丸―滝部間は災害で現在不通)
山口線

■JR九州
日田彦山線:小倉―添田間
後藤寺線
唐津線:西唐津―佐賀間
長崎本線:諫早―肥前浜間
吉都線
肥薩線
日南線
指宿枕崎線:指宿・山川―枕崎間

【2024年7月13日20時20分 追記】記事初出時、一部路線名が欠落していたため上記の通り追加修正しました。

キハ40系には、車両の両側に運転台があり1両で走れるキハ40形、片側だけに運転台があるキハ47形とキハ48形(ドアの形状と位置が異なる)の大きく分けて3タイプがある。いずれにせよ、地元の方からすれば新型車両のほうがよいはずで、旅行者の勝手な郷愁でしかなく、むしろ置き換えは遅いぐらいである。静かに見送るほかはない。

私はサッカーJ2リーグのジェフユナイテッド市原・千葉を応援している。2024年の日程を見て驚いた。3月だけで6日(水):鹿児島(ルヴァン杯)、16日(土):鹿児島(リーグ戦)、30日(土):熊本(リーグ戦)と、九州での試合が3回もある。このような日程は意地でも行きたい。それに先に挙げたJR九州の3路線に乗ることができるではないか。

そこで、1回目:肥薩線・吉都線、2回目:日南線、3回目:指宿枕崎線と狙いを定めた。


2024年7月時点でキハ40系が走るJR九州の路線と乗車の行程図(筆者作図)

1回目は、水曜夜の試合と金・土曜のキハ40乗車を組み合わせた旅だ。アウェイ水曜ナイターはハードルが高い印象があるが、リモートワークの普及によってむしろ出かけやすくなった。仕事を調整して休暇を1日だけ取り、水曜と金曜の午後に振り分ける。水・木曜を鹿児島で2泊、つまり水曜の午後便で出発し観戦、木曜は1日仕事に充て、金曜の午後から肥薩線・吉都線の旅に出た。

ルートは以下の通りだ。

鹿児島中央→(日豊本線)→隼人→(肥薩線)→吉松→(吉都線)→都城→(日豊本線・日南線)→宮崎空港

この際は片道切符(3870円・2日間有効)を購入した。九州にはすべての鉄道の快速・普通列車が乗り放題の「旅名人の九州満喫きっぷ」(3日分1万1000円)があるが、今回は2日間にわたるので、旅名人きっぷを使うより乗車券を買ったほうが1日あたりの金額が安くなる。


鹿児島中央発宮崎空港行きの片道切符(筆者撮影)

南国のキハ40に乗って

3月8日金曜日、午前中の仕事を終え、肥薩線の起点である隼人に向かった。春らしく青空が広がり、車窓から錦江湾に浮かぶ桜島がよく見えた。


肥薩線の起点、隼人駅(筆者撮影)

14時36発吉松行きは、キハ40形の出力を増強したキハ140形という単行で、銘板には「新潟鉄工所 昭和55年」とあり車体は煤だらけであちこち塗装も剥がれている。南国である九州、同じ形式とはいえ北海道のそれとは違い、ドアと客室の仕切りもなく開放的で、座席の上の網棚に古寂びた冷房装置が取り付けられている。乗客は数名、車内には柔らかい陽が射し込んでいる。


歴史を刻んだキハ140形の車体。右側の尾灯の横に「新潟鉄工所 昭和55年」の銘板がある(筆者撮影)

列車は明治36年開業、100年以上経ち登録有形文化財に指定されている嘉例川駅、大隅横川駅を通り、1時間で吉松駅に到着した。近くの保育園の遠足なのか、小さな子どもたちがわらわらとホームで待っていて微笑ましい。


肥薩線と吉都線が乗り入れる吉松駅。鉄道の要衝として栄えた(筆者撮影)

ここで吉都線に乗り換え2つ目の京町温泉で降りて、川内川沿いの宿に泊まった。

翌朝は8時30分発の都城行きに乗車。これを逃すと13時29分となってしまう。客は男子高校生が2人。小林から乗客が多くなる。女子高生の2人組がブラインドを下げる。彼女らにとっていつもの景色に興味はない。その後、都城で日豊本線に乗り換え、宮崎空港から帰途に就いた。

明治の木造駅舎とキハ47

2回目の旅は日南線のキハ40系に乗る。翌週の3月16日(土)、再び鹿児島空港に降り立った。空港からほど近い肥薩線の嘉例川駅に向かう。土日祝日に駅弁が売られており、それも目当てだ。素朴だけれど地元の野菜がふんだんで食べごたえもあり、2年連続で九州駅弁グランプリを受賞している。


登録有形文化財に指定されている嘉例川駅。築100年を超える木造駅舎だ(筆者撮影)


土日祝日に販売されている嘉例川駅の駅弁(筆者撮影)

駅前の公園で春風に吹かれて箸を進めていると、ときおりうぐいすの声が聴こえてくる。やがてやってきた隼人行きはキハ47形の2両編成であった。


嘉例川駅を発車するキハ47形(写真:Morakot Yuki(モーラコット ユキ)/PIXTA)

この日は鴨池に宿を取った。鴨池には白波スタジアムも大隅半島に渡るフェリー乗り場もある。試合は先日に続き敗戦。翌朝、垂水に渡る。あいにくの雨ですぐ近くの桜島も見えない。このフェリーはうどんが名物で、乗船時間は45分と短いが客はこぞってうどんを啜る。


鴨池から垂水に渡るフェリー(筆者撮影)

垂水からは路線バスで日南線の起点、志布志に向かう。志布志までは1時間半ほど。乗客はほとんどいない。この路線の中心地、鹿屋を通る。かつて国鉄大隅線があったが、1987年に廃止された。車社会らしくロードサイド店舗が充実しており、鉄道の面影はない。

13時29分発、油津行きはキハ40形単行だ。雨模様、一面だけのホームにポツンと古びた気動車が停まっている姿は絵になる。志布志湾、日南海岸を眺めて終点の油津に到着。すぐに接続する南宮崎行きに乗り換えていく人が多いが、私はこの駅で降りた。


日南線の起点、志布志駅に停まるキハ40形の単行(筆者撮影)


日南線を走るキハ40形。晴天の日は青い海が車窓に広がる(写真:レイド/PIXTA)

「カープの駅」で途中下車

広島カープのキャンプ地であり「日本一のカープ油津駅」との看板が出ている真っ赤な駅舎。ここには地域活性化の話題になると成功例として経産省などの資料に出てくることで知られている商店街があるので一度訪れてみたかった。


プロ野球・広島カープのキャンプ地として知られる油津は駅舎もカープ一色だ(筆者撮影)

強い雨、15時前という中途半端な時間だからか商店街に人通りはない。コワーキングスペースやリノベーションされた店舗と昔からの商店が共存しており、並行する通りには古いスナック街もある。古くからあるパン屋で買い物し、地域活性化の象徴である「ABURATSU COFFEE」に立ち寄り、新旧両者の雰囲気を確かめた。


油津の商店街。強い雨の日で人通りはなかった(筆者撮影)


油津の地域活性化の象徴として知られる「ABURATSU COFFEE」(筆者撮影)

2回目と3回目の旅は「旅名人の九州満喫きっぷ」を使った。3回分あるので1回余るが、有効期間の3カ月間に使えばよいので、残りは5月のアウェイ長崎戦に回した。第三セクターにも使えるので、肥薩おれんじ鉄道や南阿蘇鉄道を利用するのに便利だ。


「旅名人の九州満喫きっぷ」はJRだけでなく九州の鉄道各線を利用できる(筆者撮影)

3回目、3月30日(土)は9時過ぎに熊本空港に到着。無料の空港ライナーで肥後大津駅へ向かい、立野駅に出て、南阿蘇鉄道に乗った。熊本地震で被災し、2023年7月に全線復旧したので訪れたかった。

トロッコ列車に乗り、満開の桜を眺めながら終点の高森駅に到着。ここに来たのは2006年4月の大分トリニータ戦以来だったので、堂々たる新駅舎に驚いた。結局、九州に3回来て3回ともジェフ千葉は負けた。

翌日、気を取り直して熊本から新八代に出て、肥薩おれんじ鉄道に乗車。列車は不知火海沿いを進む。間近に青い海が広がり、向こうに天草が見える。山間に満開の桜が見えてきて津奈木駅。本日に限り駅員がいるとのアナウンス。「つなぎ桜まつり&新酒まつり」があるそうで、多数の乗客が降りていった。

川内駅で鹿児島本線に乗り換え、伊集院駅で降りる。ここから13時4分発の路線バスで枕崎に向かう。南薩鉄道記念館のある加世田を通る。途中から雨模様に変わり、約2時間で枕崎に到着した。列車の時間まで地場のスーパーで買い物をする。枕崎だけに焼酎の品揃えが見事であった。


指宿枕崎線の終点、枕崎駅。キハ47形の2両編成が停車中(筆者撮影)

車窓の雨粒と開聞岳

15時54分発、鹿児島中央行きはキハ47形の2両編成だ。この車両が鹿児島中央まで行くのは1日3往復のみなので嬉しい。18きっぷシーズンなので乗客も多いかと思ったが、数人しかいない。空いた車内に「混雑時にはリュックサックを前に持つなど、周囲への配慮をお願いします」という自動アナウンスが響く。

頴娃を過ぎると開聞岳が間近に迫る。雨は弱く、窓に水滴が張り付いて、ときおり一粒だけぎこちなく落ちていく。駅に停車すると、ホームにできた小さな水たまりにぽつぽつと雨雫が落ちる。指宿を過ぎると徐々に乗客も増えていく。薄曇りの夕方、並行する道路にヘッドライトの反射。終点に到着する頃には立ち客もいるくらいであった。


雲に覆われた開聞岳と指宿枕崎線を走るキハ47形(写真:kogata/PIXTA)

鹿児島中央に着いたのは18時42分。19時ちょうど発の鹿児島空港行きの最終バスに乗った。実は列車が少しでも遅れたら間に合わないギリギリのスケジュールであった。

昔を重ね合わせながらキハ40の旅をしたが、どの車両に郷愁を感じるかは、人それぞれの思い出と密接であり、世代によって異なると思う。例えば私は、物心ついたときにはもう走っていなかった蒸気機関車よりも、国鉄型気動車に愛着がある。けれども蒸気機関車が行き交っていた時代の方からすれば、これらの気動車は慣れない新型車両だったはずだ。現在高校生や大学生の方であれば、今の車両に将来懐かしさを見出すだろう。そもそも技術の進歩や取り巻く環境のもと、鉄道システムそのものが進化を続けている。

車両は変わっても眺める景色は変わらない。時代の流れを受け入れて、鉄道の旅を楽しみたい。


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(八田 裕之 : 週末旅行家)