ナコの村人たちは早起きで、籠を背負った年老いたおばあちゃんや、洗濯物を干す若い娘たちの姿があちこちで見られた(写真:筆者撮影)

世界36カ国を約5年間放浪した体験記『花嫁を探しに、世界一周の旅に出た』が話題を呼んでいるTVディレクター・後藤隆一郎氏。

その後藤氏が旅の途中で訪れた、ヒマラヤ山脈にある辺境の地、チベット仏教の聖地「スピティバレー」で出会った「標高4000mに暮らす人々」の実態をお届けします。

*この記事の1回目:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(前編)
*この記事の2回目:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(中編)

朝日に包まれるナコの村を歩く

翌朝、ナコの村を散策した。朝日が差し込むその村は、清々しく、まるで別世界のようだった。空気は澄み渡り、生活の息吹が感じられる。

村人たちは早起きし、慌ただしく動き回っている。籠を背負った年老いたおばあちゃんや、洗濯物を干す若い娘たちの姿があちこちで見られた。

しかし、なぜか出会うのは女性ばかりだ。おそらく、男たちは農業や放牧に出ているのだろう。

途中、小学校を見つけた。可愛い子どもたちが校庭で遊んでいる。

「こんにちはー」

子どもたちが、珍しい来客を見つけ駆け寄ってきた。やがて、その数はどんどん膨れ上がり、最終的には20人近くになった。

「一緒に写真撮って」

カナさんと写真を撮るための行列ができた。

まるで大物女優でも来たかのようだ。


カナさんに群がる子どもたち(写真:筆者撮影)


女の子と小さい子どもを中心に撮影(写真:筆者撮影)


わんぱくそうな男の子たち(写真:筆者撮影)

残念なことに、俺の周りには誰も寄って来ず、カナさんと写真を撮り終えた数人の少年たちがやって来ただけだ。

「おじさん、人気ないねー」

「お兄さんと写真を撮るかい?」

子どもたちは俺の顔をじっと見て、カナさんの元に戻った。子どもの無垢で純粋な心は残酷さも兼ね備えている。

「おじさん、人気ないねー」

彼女はニヤニヤしながら黒い笑顔を見せた。

「うるせー、そちらは途上国を訪れる藤原紀香みたいだわ」

そう言って、悔しい気持ちを飲み込んだ。

インド国勢調査のデータによると、2011年の時点でナコ村の総人口は572人、識字率は74.12%。男性の識字率は86.61%で女性の識字率は63.1%となっている。


教室の前の子どもたち。皆、表情がイキイキとしている(写真:筆者撮影)

ランチは食堂で「シャクシュカ」を食べた。細かく刻んだ玉ねぎをトマトソースで軽く煮込み、その上に卵を割り落としたイスラエルの家庭料理だ。

本来ならば、チベットの伝統料理を食べるべきなのだが、チベット料理は種類が少なく、スピティに来てからずっと同じ食べ物が続いていたので、少し違うものを食べたくなったのだ。

シャクシュカはとても美味しく、日本の表参道あたりでお店を出したら流行るかもしれないとさえ思えた。そして、この村でトマトの栽培が行われているということがわかった。


イスラエル料理を出す店のテラスでコーヒーを飲む(写真:筆者撮影)


イスラエルの伝統料理「シャクシュカ」(写真:筆者撮影)

伝統的なチベット建築の家並みが続く

それから、2人で村の中心にあるナコ湖へと向かった。途中、迷路のように入り組んだ路地を抜けると、老朽化した石造りの民家が密集して立ち並んでいた。

これらの民家は、カザ村やムド村とは異なり、伝統的なチベットの建築様式で造られていると昨夜の雑談で聞いた。

ナコ村はインドの都市部から陸路での移動が困難なヒマラヤの最奥地にあり、その反対側には、中国との国境線にそびえる標高6791メートルのレオ・プルギル山がある。

この孤立した地理的条件が幸いし、インドや中国からほとんど影響を受けていない伝統的なチベット文化が、まるで時間が止まったかのように今もなお生き続けている。

まさに、オリジナルのチベット文化を後世に伝えるための重要な歴史遺産に違いない。

その住宅街の中を歩いていると、石を積み上げた高さ3メートルほどの古い円錐形の塔が目に入った。頂上辺りの塗装は剥げ落ち、長い年月、風雨に晒されているのがわかる。

「チョルテン」と呼ばれるこの塔は、高僧の遺物が収められている仏塔だった。民家が密集する住宅地の真ん中にあることからも、村人たちの日常生活に信仰が深く根ざしていることがわかる。

厳しい大自然に晒され、徐々に風化していくその姿は、まるで仏教の諸行無常を体現しているかのようだった。

世のすべてのものは常に流転し、変化し、そして消滅していく。

もしかすると、村全体が老朽化しているように感じたのは、古くなった家屋を新しいものに建て替えるのではなく、崩れ落ちていく様を、万物の真理としてそのまま受け入れているからかもしれない。


住宅街の中にあるチョルテン(写真:筆者撮影)

チベット仏教の村にある神聖な湖

住宅街を抜けると、小さな湖が目に飛び込んできた。ナコ湖だ。

意外と小ぶりな湖で、その周囲にはチベット文字が刻まれた平らな石が積み上げられていた。これらはマニ石と呼ばれ、チベット仏教の経文や祈願文が刻まれた信仰の対象だ。

そのことから、ナコ湖がこの村の人々にとって、ただの水源としてではなく、神聖な役割をはたしていることを理解した。

やはり、この村は面白い。知れば知るほど興味が湧いてくる。

俺は夢中になって村を隅々まで観察した。こんな経験はなかなかできない。

「ごっつさん、山に行きません? 上の方に何かが見えます」

湖畔から山の斜面を見つめると、岩山の途中に小さな建物とタルチョがはためいている。

それから、2人で崖道を登った。ナコ村は標高3662メートルに位置しているので、わずかな斜面でも歩くと息があがる。

高台からナコの人々を見守る修道院

しかし、山ガールのカナさんは、相変わらず余裕な足取りで淡々と登っている。

途中、彼女が高山の岩峰に根を下ろす珍しい植物の写真を撮っている間に、なんとか追いつくことができた。


植物に強い関心を持つカナさん。染め物になる植物を探している(写真:筆者撮影)


「たんぽぽ」に似た植物(写真:筆者撮影)

山の上にあった建物はチベットゴンパ(修道院)だった。それはナコゴンパと呼ばれる11世紀に建立されたこの辺りの仏教徒たちの聖地。木と石を使った建築様式で造られ、山の上からナコの人々を見守っているようにも感じられた。


ナコゴンパ(修道院)(写真:筆者撮影)


修道院では数多くの僧侶が修行している(写真:筆者撮影)

「君たち、どこの国の人?」

小豆色の袈裟をまとった、40代くらいの優しげな顔をしたメガネをかけた僧侶が話しかけてきた。英語は少々ぎこちなかったが、コミュニケーションをとるには問題ない。

「日本人です」

「そんな遠い国から、お越しくださったとは。ありがたい」

彼は、長年ここに住み込み、修行をしている僧侶であるという。それから、寺の中にある仏像や壁画、フレスコ画を見ながらチベット仏教の歴史や哲学などを丁寧に教えてくれた。


ゴンパの中にあった仏像(写真:筆者撮影)

聖地で学んだ僧侶に瞑想の極意を聞く

ナコゴンパは偉大な翻訳家リンチェン・サンポによって創設された100以上のゴンパの1つで、その中でもかなり重要な役割を果たしている。

10世紀に生まれたリンチェン・サンポは仏教の経典をサンスクリット語からチベット語に翻訳し、それにより、ヒマラヤ地域に仏教を普及させたチベット仏教の歴史における重要人物である。

神聖なる場所で修行する僧侶から学ぶ機会は滅多にない。危険を冒し、ヒマラヤの奥地でつかんだこの偶然のチャンスを逃すまいと、以前から気になっていたことを尋ねてみた。

「すみません、実は瞑想が得意ではないのです。南インドのヨガアシュラムで1カ月ほど修行したのですが、どうしても瞑想中に余計なことを考えてしまいます。何かいい方法はないでしょうか」


南インドにあるシヴァナンダヨガのアシュラム(写真:筆者撮影)


シヴァナンダでは早朝、朝日が出るまで瞑想の修行があった(写真:筆者撮影)

すると、僧侶は笑みを浮かべて答えた。

「実は私もちゃんと瞑想ができなくてね。もう30年以上毎日やっているんだけど、なかなか難しいよね」

30年以上も毎日瞑想をしていてできないなんて、謙虚すぎると思った。彼はきっと、秘訣などを知っているに違いない。

「何かうまくいく方法はないですかね。ご自身がうまくいった経験などでいいんで教えていただけませんか?」

テレビディレクターの取材魂に火がついてしまった。好奇心という名の「煩悩」が、剥き出しになる。

「そうだね。私の場合は、眉毛と眉毛の間の部分にブッダの顔をイメージするんだ。それでも煩悩が出てくるときもあるけど、結構うまくいくことが多いよ」

邪念が浮かび瞑想どころじゃない

「どんなブッダの顔を思い浮かべればいいですか?」


「君が知っているブッダの顔ならなんでもいいよ。別にブッダでなくてもいい。おでこに君が集中できそうな何かをイメージすれば、上手に瞑想状態に入れると思う。私の場合は僧侶だから、たまたまブッダを思い浮かべるだけだよ」

脳内で自分が知っているブッダを考えてみたが、スラムダンクのホワイトブッダ、安西先生しか思いつかなかった。だが、高校バスケ部時代のキツイ合宿を思い出し、瞑想どころではない。

「そうなんですね。頑張ります」

そう答えると、彼は仏様のような笑顔を見せた。

「まぁ、そんなに意気込まなくても大丈夫だよ。気が向いたときに瞑想をすればいい。その代わり、長く続けることだけは忘れないでね」

ヒマラヤの奥地にある神聖なるゴンパで修行する僧侶だから、厳格で難しい人をイメージしていたが、とても気さくで、包み込むような優しさを感じた。そして、とても自然で素敵な笑顔を見せる人だった。

それから、2人でゴンパの周りを探索していると、少し離れた場所に四方をタルチョで囲まれた吹きさらしの建物を見つけた。


岩山の丘にある建物(写真:筆者撮影)

足場の悪い崖道を歩いていくと、そこにはまるで日本のお寺の鐘つき堂のようなものがあった。しかし、鐘だと思ったものはそうでなく、黄金の円柱が吊るされていた。表面にはチベット文字が刻まれている。


賽の河原のように石が積み上げられている(写真:筆者撮影)


タルチョと積み石(写真:筆者撮影)

大自然とマントラの力が村を守る


マニ車。四方に皿のような風を受ける器具がある(写真:筆者撮影)

それは、マニ車と呼ばれるもので、内部には「オム・マニ・ペメ・フム」などのマントラ(経文)が書かれた巻物や紙が収められている。

回ることでマントラを唱えるのと同じ効果があるとされる祈祷具。

マニ車の上下四方に銀色のお皿が設置されていて、その皿が風を受けると、同期された円柱がくるくると回転する。シンプルだけどよく考えられた構造だ。

マニ車からは、遠くにある神々しい山々とナコ村が一望できる。

大自然の風の力により回転することで、マントラが唱えられ、魂の浄化と厄災から村を守ってほしいという、住民たちの平穏への願いが込められているのだろう。


マニ車からナコ村全体を見渡せる(写真:筆者撮影)

「ごっつさん見てください。大きな鳥です」

カナさんが上空に舞う、一羽の大きな鳥を指差した。


空に舞う大きな鳥。意外と怖い(写真:筆者撮影)

「でけー、鷹か鷲だね。あれは」

すると、その大きな鳥が急旋回し、こちらの方に向かってきた。一瞬、襲われるのではないかという恐怖にかられた。2人は急いでマニ車の建物に身を潜め、鳥が去るのを待った。

ヒマラヤにおける鳥葬の必然

ナコ村では誰かが亡くなったとき、鳥葬の儀式が行われる。

この地域は標高が高く、樹木が希少なため、火葬は難しい。また、土葬は岩山のため地面が固く、掘ることが困難だ。さらに、冬になると雪によってすべてが覆われてしまう気候的条件も加わっている。

鳥葬の儀式は、人目を避けた高地に設置された鳥葬台で行われる。そこでは僧侶が経文を唱え、専門家である鳥葬士が遺体を速やかで丁寧な方法で解体する。

そして、ハゲワシなどの鳥たちが集まり、その身を消し去る。


1938年に撮影されたチベットの鳥葬(パブリックドメイン)

チベット仏教では、生と死は輪廻の一部として捉えられ、死後に魂が新たな生を迎えると信じられている。遺体は魂の移行の道具としての役割を果たした後、自然に還されるべき存在とされる。

大きな鳥が去った後、再びナコの村を見渡した。古びた街並みが諸行無常を物語り、遠くの神々しい山々が厳かな姿を見せる。マニ車がくるくると回り、輪廻転生の概念が浮かび上がる。

この村を訪れてからわずか2日しか経っていないのに、時の流れが驚くほど遅く感じられた。まるで、時間が止まっているかのように。

そして、頭の中ではなぜか近藤真彦が熱唱する「ギンギラギンにさりげなく」の最後のワンフレーズがこだまする。

「生きるだけさ」

それは、何度も繰り返され、しばらくの間、離れなかった。

*この記事の1回目:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(前編)
*この記事の2回目:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(中編)


伝統的なチベット文化が残る歴史遺産「ナコ村」(写真:筆者撮影)

(後藤 隆一郎 : 作家・TVディレクター )