TVマン見た「マジで秘境」チベット仏教の村(中編)
人けのない村で必死の宿探し。ようやく出会った村人から出た言葉は……(写真:筆者撮影)
世界36カ国を約5年間放浪した体験記『花嫁を探しに、世界一周の旅に出た』が話題を呼んでいるTVディレクター・後藤隆一郎氏。
その後藤氏が旅の途中で訪れた、ヒマラヤ山脈にある辺境の地、チベット仏教の聖地「スピティバレー」で出会った「標高4000mに暮らす人々」の実態をお届けします。
*この記事の前半:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(前編)
*この記事の続き:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(後編)
2匹のロバと農業用トラック
バスの停留所は広い敷地にぽつんと存在していた。バス停の看板すらない。
オフラインマップで確認すると、そこには「ヘリポート」と表記されていた。有事の際に車での移動は遅すぎるため、軍隊や政府の重要人物がこの奥地までヘリで飛んでくるための場所なのだろう。
だが、その広々とした敷地に停まっているのは、ヘリではなく、水色とオレンジに塗装された大型の農業用トラック1台だけだった。
その前には、2匹のロバがのんびりと寝そべっていて、人間の存在などまるで気にしていない様子だ。
トラックの後ろには「BLOW HORN」という文字が書かれていた。その言葉は直訳すると「角笛を鳴らせ」となるが、スラングとしては「自画自賛」のような意味合いも持っている。
トラック運転手らしいセンスのいい言葉選びだ。BLOWとHORNの間には孔雀の絵が描かれており、この辺りに住む人々と野生動物との距離の近さを象徴しているように思えた。
バスの停留所にいた2匹のロバと農業用トラック(写真:筆者撮影)
ナコのバス停に降り立ったのは、俺とカナさんだけだった。若いイスラエル人の姿はどこにも見当たらない。
途中のバス停で降りてしまったのだろう。
こんな辺境の地を旅する数少ないバックパッカー仲間として、せめて一言くらい挨拶してくれればいいのに、と、少しばかり寂しく感じた。きっと、本当はシャイな奴なのだろう。
美しい景色は高地に生きる人々の営み
俺たちは遠くに広がる雄大な岩山の斜面に位置するナコの村を目指して、一本のアスファルト道を歩き始めた。
村の背後にはレオ・プルギル山がそびえ立っていて、その山を越えれば、そこはもうチベット自治区だ。歩みを進めると、緑の美しい段々畑が目に入ってきた。
岩山の斜面にわずかばかりの平地を見つけ、村の人々はそこで辛うじて農業を営んでいる。広大で無機質な岩山の茶色と、人間の生活の営みが作り出した小さな緑色のコントラストがひときわ目を引く。
過酷な自然環境の中で「生きる」ことへの強い意志が、その景色に一層の輝きを与えているようだった。
山の斜面に位置するナコ村(写真:筆者撮影)
美しい段々畑(写真:筆者撮影)
村に到着した頃には、すでに夕方の4時を過ぎていた。陽が落ちる前に、今夜の宿を見つけなければならない。
これまでの旅の経験から言って、田舎に行けば行くほど、保守的な人々が多い傾向があった。こんな辺境の村で、異国の訪問者を迎えてくれる場所などあるのだろうか。不安が胸をよぎる。
しかし、「この行き当たりばったり感が旅の醍醐味なんだ」と自分に言い聞かせながら、村の中へと足を踏み入れた。
ナコ村は、スピティの始まりの村であるカザや、ピンバレー国立公園へのトレッキング客がよく訪れるムド村に比べて、圧倒的に閑散としていた。
人がまったく見当たらない閑散とした村
すでに5分近く散策しているが、すれ違うのはロバや牛などの動物ばかりで、村人の姿は一人も見当たらない。まるで、すべての人間がこの村から消えてしまったかのようだ。
閑散としているナコ村(写真:筆者撮影)
チベット仏教の旗タルチョとともに石造りの民家や壁が立ち並ぶ(写真:筆者撮影)
村で放し飼いにされているロバ(写真:筆者撮影)
長細い石が多いのが印象的で、狭い石畳の脇には城の石垣のように石が積み上げられて壁を造っている。
民家の造りは土と石を基礎にした長方形で、屋根には茅葺が積まれていた。村のあちこちにチベット仏教の象徴である赤、白、緑、黄、青の5色の旗タルチョが掲げられ、この地に信仰が深く根付いていることが一目でわかる。
しかし、家だけでなく、タルチョさえも老朽化していて、村全体から古ぼけた印象を受けた。
ナコ村の民家(写真:筆者撮影)
しばらくすると、急に雲が出てきて、どんよりと暗くなってきた。静かすぎる村に物悲しい雰囲気が漂う。まるでホラー映画「八つ墓村」のように、誰かが窓からよそ者をじっと観察しているのではないかとさえ思えた。
雲行きが怪しくなってきた(写真:筆者撮影)
「ごっつさん、宿らしきものがないですね」
カナさんも少し不安を感じているのが、声の響きからわかった。
「まぁ、なんとかなるっしょ」
不安を悟られないよう、明るく振る舞い、自分自身を鼓舞した。
それからしばらく村の中を歩くと、4歳くらいの2人組の女の子を見かけた。1人の子は茶色っぽい金髪で、目の色が茶色く、肌全体の色素が薄い。スピティに来てから初めて見る顔つきだ。もう1人は浅黒い肌に真っ黒の目をしている。
ナコ村で初めて出会った可愛い村人(写真:筆者撮影)
「こんにちは、この村の子?」
「人けのない村」で必死の宿探し
茶色っぽい金髪の子が着ている水色のトレーナーはかなり古びていて、少し薄汚れている。
「ねー、お金ちょうだい」
少しびっくりした。インドの都市部にいたときは、子どもたちからよくお金をせびられたのだが、スピティに来てからは一度もそんなことはなかった。ナコ全体が経済的に苦しい状況にあるのかもしれない。
「お金はあげられないけど、お菓子をあげるよ」
非常用の食料としてバックパックに詰め込んでいた飴を差し出すと、2人は喜んで口の中に放り込んだ。
「ねぇ、この辺に宿とかないかな?」
リアクションがない。どうやら英語が通じないらしい。仕方がないので、寝るポーズをしたり村の方向を指差したりすると、彼女たちは手招きしながら歩き出した。
後ろをついていくと白い壁の小さな家へ案内され、2人はノックもせずに家の中へ入って行った。すると、20代くらいの若い女性が中から出てきた。
子どもたちが紹介してくれた20代の女性(写真:筆者撮影)
「どうしました?」
「この村で宿を探しています。この辺りに泊まれる場所はないですか?」
彼女も英語はあまり得意ではないようだが、何とかこちらの意図は理解してくれたようだ。
「ついてきて」
数分ほど歩くと、民家の前に止まり、真っ黒に日焼けしたロバの世話をしている30代くらいの人のよさそうな男性に話しかけた。
「君たち、宿を探しているの?」
男が英語で話しかけてきた。
「はい。さっきムドからバスでやってきたんですけど、今晩泊まる宿がないんです」
「じゃあ、離れに空き家があるからそこに泊まればいい。お金を少し頂くけどいいかい」
「はい、もちろんです。助かります」
男がここまで連れてきてくれた若い女性に経緯を説明すると、彼女は顔をくしゃっとさせて笑顔を見せた。そして、何も言わずに手を振って家の方へ歩き出す。
俺たちは「ありがとう」と何度もお礼を述べたが、彼女は恥ずかしそうな笑みを浮かべ、そのまま去っていった。助けてくれた村人たちは、決して口数が多いわけではないが、皆、素朴で人のよさが表情から滲み出ていた。
大きなベッドが一つだけの質素な部屋
案内された部屋はお世辞にも綺麗とは言い難かった。土の床の上に麻っぽい布が敷かれていて、砂や土埃で汚れている。
その上に大きなベッドが一つだけあり、誰かが飲んだビールの空き瓶とペットボトルがそのまま残されていた。部屋のドアには鍵もない。
それでも、今夜、雨風をしのげる部屋があるのに内心ホッとした。
案内された部屋。ペットボトルとビールの空き瓶が残されている(写真:筆者撮影)
「ここでいいかい?」
男が質問する。
「カナさん大丈夫?」
ベッドが一つしかないので気を使って聞いた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
男が去った後、「ベッドは広いから端と端で眠ればいい。その辺は安心して」と伝えると、カナさんは少しホッとした表情を見せた。
それから、急いでバックパックの荷物から懐中電灯など必要最低限なものを取り出し、外鍵に南京錠をつけた。
部屋にはローソクしかないので、太陽が沈んでしまうと、何もできなくなる。しばらく休憩した後、2人で部屋の外にある木製の長椅子に座った。
星が輝く「天空の村」で家庭の味を堪能
外は完全に暗くなっていて、月の光に照らされた遠くの山々にかかる雲の合間から、綺麗な星がきらめいている。
村全体に街灯がないのと、標高が高いということもあって、人生で見たことがないくらい、星が近く、大きく感じた。
「雲がなかったら、すごく綺麗でしょうね」
彼女はしばらくの間、雲の隙間から見えるヒマラヤの天空に輝く美しい星を眺めていた。
「お腹が空いただろう。食事にするから、こっちの部屋においで」
男が部屋にやってきて、家族のだんらんに招いてくれた。ストーブのある食卓に行くと、70歳くらいの彼のお母さんがチャパティを捏ねている。
インド縦断の間、毎日のようにチャパティを食べてきたが、作るのを見るのは初めてだ。
全粒粉に塩と水を加えて生地を作り、それを小さく丸め、木製のめん棒で均等に伸ばしていく。それを鉄のフライパンに乗せて焼くと、お餅のように生地がふんわりと膨らみ、香ばしい匂いが漂う。
どうやら、出来たてのチャパティが完成したようだ。
チャパティを作るお母さんと手伝う息子(写真:筆者撮影)
生地を木製のめん棒で均等に伸ばす(写真:筆者撮影)
生地が餅のように膨らんでいく(写真:筆者撮影)
「このカレーにつけて食べて。熱いから火傷しないようにね」
「チャパティ、美味しそう」
カナさんは焼きたてのチャパティに釘付けだ。
「あ、ダールカレーだ。俺、これが一番好きなんです」
ダールカレーの「ダール」とは豆のことで、インド全般で一般的に食べられている伝統的な料理の1つ。
豆類は栄養価が高く、ナコ村のような寒冷高地では重要なタンパク源となっているに違いない。
辺境の地で家庭的な宴は盛り上がった
インドに入国してから、ほぼ毎日のようにカレーを食べ続けたのだが、ダールカレーが一番美味しく感じられた。スパイスはそれほどきつくなく、消化にもいい。
豆のスープなので、味噌汁のように毎日食べても飽きがこないのだ。
「お母さん、最高っス!」
「本当に、とても美味しい」
お母さんの料理はとても質素だが、刺激が少なく、繊細で優しい味わいがした。そして、出来たてのチャパティがなんとも言えないくらいうまい。
「おかわりあるから、どんどん食べてね」
「うまいうまい」と次から次へとチャパティを頬張る2人を見て、親子そろって大笑いしていた。
それから4人でいろんな話をした。日本のこと、旅のこと、チベット文化のこと、そしてナコ村の生活など。宴は大いに盛り上がった。
ここには、頻繁ではないが外国人観光客が泊まりに来るらしい。そのおかげで、70歳近いお母さんも英語が大分話せるようになったとのことだ。
「そう言えば、部屋にビールの瓶があったけど、この村でお酒を飲む人っているんですか?」
「あ、部屋にビール瓶があった? ごめんね。前に泊まったイスラエル人の観光客が残していったのを片付けるのを忘れてた」
この村にも兵役が終わったイスラエル人が数多くやってくるとのこと。その観光客を狙い、イスラエル料理を出す食堂もできたらしい。
男とそんな話をしていると、今まで笑顔を絶やさなかったお母さんの顔が曇った。
「わたし、イスラエル人が嫌い。大騒ぎするし、お酒も飲む。何度注意しても一向に聞かない」
穏やかだったお母さんの口から出てきた唯一の毒だったので、一瞬びっくりした。
辺境の地でイスラエル人のことを考える
かつて、インドのマナリの宿で、俺以外の宿泊客が全員イスラエル人だったことがある。
彼らはイスラエル人同士でつるみ、酒やマリファナをやりながら、楽器を弾き、毎晩のように明け方まで大騒ぎしていた。
そこは観光地で、インド全土からやってくるミュージシャンのライブ演奏がいろんなレストランで行われていることもあり、「まあ、20歳そこそこの若者だし、そんなもんか」と思っていた。
だが、こんなにも静かなチベット仏教の聖地でもそれをやっていたとしたなら、嫌われても仕方がない。あまりにも他国の文化に対する配慮が足りなさすぎる。
北インドのニューマナリにたむろするイスラエル人(写真:筆者撮影)
明け方まで宴は続いた(写真:筆者撮影)
「それでも、彼らがお金を払ってくれるから、結構助かってるんだよね」
息子が母の発言にフォローを入れると、彼女はハッとした表情を見せ、話題を変えた。
食事を終え、部屋に戻ってからしばらくの間、お母さんが放った一言について考え込んだ。
伝統的なチベット文化に生きてきた彼女は、静かな暮らしを守りたかったのだろう。しかし、外国人の流入はどうしても文化や思想に影響を与えてしまう。
美味しかったダールカレーやチャパティも、インドやネパールでよく食べられるもので、他国の食文化の影響を受け、現地に根付いたのかもしれない。
昼間に出会った若いイスラエル人を思い出した。彼は仲間同士で集まり、大騒ぎしていた者たちとは違い、内気ながらも孤高の雰囲気を持っていた。
「あいつは、うまくやっているのだろうか」
一人でバスの窓の外をぼんやりと眺めていた彼の、あの寂しげな表情が、何度も脳裏をよぎる。
そして、ふと思った。この村を訪れた自分と、大騒ぎしていたイスラエル人との間に、果たして何の違いがあるのだろうか、と。
*この記事の前半:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(前編)
*この記事の続き:敏腕TVマンが見た!驚いた!「マジで秘境!」チベット仏教の村(後編)
(後藤 隆一郎 : 作家・TVディレクター )