ボーナスは短期的には社員のやる気を引き出すかもしれませんが、内発的動機付けではなく外発的動機付けに基づいた活動は、魅力に欠け、楽しみも薄れるそうです(写真:petapon/PIXTA)

営業成績やボーナスの額、テストの点数、年齢や体重、レーティングや「いいね」の数など、私たちはなんでも計測し、数値化する世界に生きている。
しかし、私たちの脳は数字に無意識に反応してしまうため、数字はあなたを支配し、楽しい活動や経験をつまらないものにし、他人との比較地獄に陥れ、利己的で不幸な人間にしてしまうという。今回、過剰な数値化がもたらしているさまざまな問題を明らかにし、その解決策を示した『数字まみれ:「なんでも数値化」がもたらす残念な人生』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

「自己定量化」に効果はあるのか?


スマートウォッチ、スマートフォン、無数の記録用アプリが手に入る今の世の中では、自己定量化の機会が誰にでもある。

自分自身に関するデータを記録することが日常的になり、それをテーマにした本とウェブサイトも、アプリも、無数にある。

私たちは、より細く、より健康に、より幸せになるために、より速く走り、より高い実績を上げられるように、自分自身の記録をとって監視するわけだ。

セルフモニタリングによって運動能力を向上させ、脂肪を減らせると考えている人は、アメリカ人全体の40%を超えている。

そこでごく自然に疑問がわいてくる。実際に効果はあるのだろうか? 自分自身についての数字をこうして継続的に監視していれば、ほんとうに、より細く、より健康に、より幸せになれるのだろうか?

研究の結果はまちまちのようだ。スマートウォッチ、歩数計、その他さまざまな健康データの記録が及ぼす効果を調べた(少ししかない)対照研究では、その人の健康と成績に対する有意なプラスの影響が見られたものの、比較的弱いものにすぎない――減量に関しても、また運動の頻度、強度、成績についても、影響は小さいということだ

フィットビット、アップルウォッチ、その他自分自身の健康や成績を監視できる方法を用いれば、少しだけ速く走れ、少しだけ多く体重を減らし、少しだけ成績が上がる。だが、あくまでも「少し」なのだ。

一方で、人によって比較的大きな個人差がある。一部の人には効果があるが、一部の人には効果がない。また、そうした効果は比較的短期間しか続かず、一時的なものにすぎないという傾向がある

どうしてそうなるのだろうか?

デューク大学の研究者による興味深い研究

デューク大学の研究者ジョーダン・エトキンは、自己定量化、成績、意欲に関する一連の興味深い研究を行なってきた。

ある実験では、参加者にエクササイズや読書といった前向きになれる活動をしてもらった。

そしてそのうちの半数には、それぞれの成果(歩いた距離や読み終えたページ数)を数字で伝え、残りの半数には何も伝えなかった。最後に参加者の成績と意欲のレベル、そして幸福度を計測し、さらに実験が終わった後も参加者がその活動を続けたいと思うかどうかも調べた。

では、どんなことがわかったのだろうか?

他の多くの実験と同じように、自分自身の行動を監視して数値化するというこのやり方をすると、わずかに実績が上がった。自分の成果がわかる数字を知らされていた参加者は、少しだけ速く、少しだけ長く歩き、少しだけ多くのページを読んだ。

ところが意欲は薄れていき、実験が終わった後も活動を続けたい人は減ってしまった。

自己定量化をしていると、時がたつにつれて好きだと思う気持ちが弱まり、その活動を行なう時間が短くなっていく

また、自分の成績を記録していた人たちの満足度と幸福度は、まったく同じ活動をして計測と数値化をしなかった人たちより低かった

その結果は、エトキンが参加者に自己定量化を強制的に指示した場合も、参加者が自発的に自己定量化を選んだ場合も、同じだった。

そうなる理由を考えてみよう。

計測していると、私たちは自分が計測していることに、より大きな注意を向けるようになる。歩数を数えているなら歩数が気になる。ページ数を数えているなら何ページ読んだかを確かめる。

そして自分ではもっと遠くまで、あるいはもっと速く歩きたいと意識しなくても、調査の結果からは計測によって成績が上がることがわかっている。

ジョギング中に心拍数、速度、距離を計測していると、最初にジョギングをしたいと思った理由よりも、少しずつそれらの数字に注目するようになっていく。

計測値および外発的動機付けに注目が移っていくために、かつては前向きな楽しい活動としてはじめたのに、楽しさより役に立つからという気持ちが強まる

新鮮な空気を吸い、好きな音楽を聴きながら自然を体で感じるのが好きでジョギングをはじめた人も、フィットビットやストラバにつながったとたん、その内発的動機付けは少しずつ実績、効果、外発的動機付けに置き換わってしまう。

子どもを対象とした愉快な同様の研究も、この結果を裏付けている。

たとえば未就学児に、ニンジンを食べると数を数えるのが上手になるからニンジンを食べなければいけないと言うと、他の子どもよりニンジンを食べる量が減り、味もまずいと思ってしまう。子どもが絵を描いたからと、ご褒美を与えると、その子どもはまもなく絵を描くのに飽きてしまう。

内発的動機付けではなく外発的動機付けに基づいた活動は、魅力に欠け、楽しみも薄れる

ニンジンを食べるのは退屈、ジョギングは課題、本を読むのは努力に変わってしまうのだ。

ボーナスなどの「ご褒美」が裏目に出る

私たち人間はよく外発的動機付けを利用して、他の人の実績を高めようとする。

親は子どもに褒美としてアイスクリームとチョコレートを与え、会社は給料とボーナスで社員にやる気を出させる。このやり方は、少なくとも短期間なら、ときには効果を発揮することもある。

ところがすでに見てきたように、外発的動機付けは私たちの心の中の動機付けを、あっという間に使い尽くしてしまうのだ。自分が大好きなことをやっても、金銭を受け取っていると、まもなく負担を感じるようになる。

エトキンの研究は、金銭と意欲をテーマとしたあらゆる研究を思わせる。ただしここでは、外発的動機付けの要因は金銭ではなく、歩数、「いいね」の数、閲覧数などになる。

金銭をもらうと、やる気が起きてもすぐその活動が面倒になってしまうのは、時がたつにつれて自分の努力が心の中の意欲ではなく、報酬と結びつくようになるからだ

同じように、自分自身について数を数えるようになると――平均歩行速度、歩数、「いいね」の数、ボーナスポイントのどれであっても――少しずつ自分の心の中から意欲が消えてしまうことがある。

計測や定量化の重大な副作用

社会、企業、組織が機能していくためには計測と定量化が必須だという考えは、よく理解できるものだ。

ただここで、「それが役に立たなくなるのはいつなのか」という、興味深い疑問がわいてくる。数字が実績を向上させる存在から実績を低下させる方向に変わるのは、いつなのだろうか

何人かの研究者がこのことに目を向けはじめており、その一部は企業による計測システムとボーナスの利用に注目している。

そうした研究によれば、金銭的なボーナスはあまり大きいとは言えない短期的な効果しか上げず、実際のところ、ボーナスは目的を妨げている可能性もある。

それらの研究の結果は、ジョーダン・エトキンの自己定量化の研究とよく似ており、(ボーナスという形式の)外発的動機付けは、時を経るにつれて内発的動機付けを弱め、ボーナスの目的――と効果――を台無しにしてしまう可能性があるということだ

計測と定量化がもつその他の――何と言うのが正しいかはわからないが、あえて言うなら――「予期せぬ副作用」をいくつか挙げていくのは、それほど難しいことではない。

自分自身を自主的に計測して監視する場合にも、他者によって定量化され計測される場合にも、同じように当てはまる。

まずエトキンは簡潔に、自己定量化は実績を短期間だけ伸ばす場合があるとしても、計測によってやる気と意志がまたたく間に薄れていく可能性があることを指摘した

またもうひとつの明確な副作用として、過度に自己執着的になり、場合によっては自己陶酔と言えるほどになる場合もある。

3つ目の予期せぬ副作用は、計測が可能なものに自分の行動を合わせてしまうことだ。

たとえば、自分がもっているアプリが特定のエクササイズについてはカロリーや歩数をカウントできないと、ただそのエクササイズをやらずにすませてしまう。さもなければ、計算の結果が間違ったものや不完全なものになるだろう。

これは企業や組織ではよく知られた問題で、中でも報酬制度と主要指標についてはそう言える。従業員は自主的に、計測されて報酬の対象となるものを優先させて行動し、その他の、たいていの場合はとても重要な任務については、優先順位を低くしてしまう

関連する副作用として、計測は不正行為と自己欺瞞を引き起こすこともある。

たとえば、アプリでカウントされる歩数を増やすためにスマートフォンを手で振ったり、カロリーを計算するときにケチャップを野菜としてカウントしたりと、あらゆる場面が考えられるだろう。ケチャップはどっちみち、ほとんどトマトでできているというわけだ。

人生の喜びが消えていく

計測によるとても一般的な、また別の副作用は、数字の間違いや不正確さを疑うべきときにも数字に頼ってしまうことだ。その結果、実績を伸ばすはずのものが、まったく反対になる。

たとえば、使用している睡眠アプリの数値が睡眠不足を示していると、疲労感が増し、日中の気分が悪化してしまう――アプリの数値に誤りがあり、実際にはぐっすり眠っていたとしても関係ない。

計測が引き起こす可能性のある意図せざる副作用として、自分が選んで計測している点について、結果を少しでもよくしようと夢中になりすぎることが挙げられる。

もし自分の体重とカロリー摂取量をチェックしているなら、過剰なダイエットのリスクがあるだけでなく、人生の喜びがカロリーとともに消えていくという残念な可能性もある

(翻訳:西田美緒子)

(ミカエル・ダレーン : ストックホルム商科大学教授)
(ヘルゲ・トルビョルンセン : ノルウェー経済高等学院(NHH)教授)