パウエルFRB議長はアメリカのインフレ沈静化に手応えを感じているとも言われるが、果たしてそうだろうか(写真:ブルームバーグ)

アメリカのインフレは収束に向かっているのだろうか。直近の市場を見る限りでは「予断は許さないが収束に向かっている」という見方が支配的だ。

市場は「FRBが年内利下げに踏み切る」と楽観姿勢

確かに、6月12日に発表された5月の同国の消費者物価指数(CPI)は、前月比でほぼ横ばい、季節調整前の前年比では3.27%の上昇と、予想を下回る伸びにとどまった。またコア指数(変動の激しいエネルギーと食品を除いて算出)も前月比0.16%、前年比3.42%と、やはり予想を下回る伸びにとどまった。

市場ではこの結果を受け、インフレ圧力が順調に後退、連邦準備制度理事会(FRB)が年内に利下げに転じるとの楽観的な見方が強まり、株式市場にはハイテク銘柄を中心に改めて投機的な買いが集まった。

また同日終了した連邦公開市場委員会(FOMC)でも予想通り政策金利の据え置きが決定された。だが、声明と同時に発表されたドットチャートと呼ばれるFRB高官の政策金利見通しでは、今年の利下げ回数が3月時点の3回から1回に変更されたほか、中立金利を表しているとされている長期的な金利見通しは、前回の2.6%から2.8%に引き上げられるという、タカ派的な修正が行われた。

それでも、市場はこうしたタカ派的なFOMCの内容を無視、CPIが予想を下回ったという点を重視する形で、結局買い意欲が一段と強まる格好となっている。「FOMCにおけるタカ派的な見通しは間違っており、インフレがこの先一段と落ち着き、結局は利下げに踏み切る」といった楽観的な認識を強めたということになる。

はたしてFOMCの見通しは本当に間違っており、インフレはこの先2%の目標に向けて順調に下がってくるのだろうか。

6月28日には5月の個人消費支出(PCE)価格指数(商務省発表)も前月比で変わらずとなり、インフレ鈍化は順調のようにも見える。またサンフランシスコ地区連銀のメアリー・デイリー総裁のように、今後のインフレ率鈍化に自信を示すFRBの幹部も少なくない。だが、ここまでのデータを分析する限り、その可能性はやはり低いと言わざるをえない。

冒頭で「5月のCPI総合指数は前年比で3.27%上昇した」と記したが、実は昨年6月には前年比2.97%という、これを下回る伸びを記録している。つまり、CPIはこの1年間、それほど大きな進展は見られていないということになるわけだ。

一方、コア指数は昨年3月以降、つねに前年比の伸びは前月を下回る状態が続いている。だが、それでも5月時点で前年比3.42%と、依然として総合指数を上回る高い伸びになっている。昨年6月に総合指数が小幅ながらも3%を下回って以降、進展が見られていないことを考えれば、コア指数だけがこのまま3%を割り込んで下がり続けるのかは微妙なところではないか。

ではなぜ、ここ1年ほど、総合指数において物価の上昇率がなお高止まりしており、期待するほどにはディスインフレが進んでいないのだろうか。

その答えは比較的簡単だ。商品価格の下落が止まってしまったからだ。新型コロナウイルスの感染爆発後、サプライチェーンの混乱や、ロシアによるウクライナ侵攻による供給不安の高まりで、商品市場は原油を中心に急騰した。

その後、確かにこうした問題が解消される、あるいは懸念が後退する中で値下がりは続いてきた。そうした商品相場の下落やそれに伴うモノの下落が、昨年夏までの総合指数の伸びの低下につながっていたのは間違いないところだ。だが、原油やその他の商品の下落が止まり、逆に場合によっては再び上昇するような状況下では、総合指数のディスインフレが進まなくなるのは当然の流れだ。

コア指数のディスインフレを妨げる要因に注意が必要

一方エネルギーと食品を除いたコア指数は、こうした商品相場の値動きに影響されることなく、ここまで順調にディスインフレが進んできたが、今後もこの傾向が続くとは限らない。

この先ディスインフレを阻害する要因として注意しなければならないのが、一度上昇してしまったらなかなか下がらない、価格粘着性のあるとされる項目の存在だ。

こうした粘着性のある物価項目として、現時点で一番警戒されているのが住居費だろう。特に家賃は前年比で5.30%、住宅を所有している家庭が毎月支払わなければならない、家賃と同様の支出とされる帰属家賃は5.64%と、どちらも極めて高い伸びを維持している。

このほか、賃金の高止まりにも注意が必要だ。労働省が発表する雇用統計における時間当たり賃金の伸びは、5月時点で4.08%と、依然として4%を超える水準にとどまっている。

ジェローム・パウエルFRB議長は、労働市場の逼迫や賃金の上昇が物価に与える影響はそれほど大きくないとの見解を維持している。だが、コストにおける人件費の割合が高く、賃金の上昇が販売価格に比較的転嫁されやすいサービスの価格が前年比で5.22%という高い伸びを維持していることを考えれば、賃金の上昇圧力はやはり無視することはできないだろう。

こうした項目の物価の伸びも、徐々に後退しているのも確かなのだが、文字通り粘着性があるだけに、ここから一段のディスインフレを妨げる可能性は高いと考えておいたほうがよいのではないか。

家賃の粘着性に関しては、通常契約の更新が1年に1回、または2年に1回なので、住宅価格の伸び悩みがすぐに反映されないことが理由に挙げられることが多いが、はたしてそうなのだろうか。

余談ではあるが、筆者はNYのブルックリンの自宅近くに、普段使用しないものを保管しておくための倉庫(ストレージ・ルーム、日本ではトランク・ルーム)を借りている。

ここの賃料は、前年同月に比べてなんと24.2%も上昇している。その前の1年間では15.3%の上昇だった。ストレージ・ルームの賃料は毎月ごとに契約が更新されるシステムで、なおかつ生活に直結するわけではないので、コストがそのまま反映されやすいようだ。

またそのコストは、光熱費など建物の維持費と人件費、そして保険料がほとんどを占めていると言ってよいだろう。建物の維持費はまさに住居費のことを指しているし、保険料の上昇もかなりの高さとなっている、それに人件費と、まさに現在インフレを高止まりさせている主役級の要因がすべて含まれているといっても過言ではない。

もちろんストレージ・ルームの賃料は、アパートの家賃ほどに値の張るものではないし、CPI全体への影響もそれほど大きなものではないだろう。それでもこうした大幅な上昇を見る限り、インフレが簡単に鎮静化するとはとても思えないというのが正直な感想だ。

FOMCの判断は、間違っているのか?

7月5日に発表される6月雇用統計も引き続き警戒が必要だ。6月7日に発表された5月の雇用統計では、非農業雇用数や時間あたり賃金の伸びが予想を上回る強気のサプライズとなったことを無視するべきではない。

また6月14日に発表されたミシガン大学消費者態度指数も、景況感が予想以上に悪化する中にもかかわらず、5年後のインフレ見通しが3.0%から3.1%へと上昇、7カ月ぶりの高水準をつけている。

さらに7月3日に発表されたISM非製造業指数は48.8と、前月の53.8から予想以上に落ち込み、2020年5月以来の低水準を付けた。

だが、一方で価格指数は56.3と前月の58.1からは下がったものの、依然として節目となる50を大きく上回る水準を維持している。これは将来的に価格が上昇すると予想している企業が、下落すると見ている企業より多いということを意味しており、価格上昇圧力が依然として強いことの表れと受け止めておくべきだろう。

このように、企業の景況感指数でも価格指数は依然として高い水準にあり、市場のインフレ期待も簡単には後退しない可能性もある。やはり、冒頭のCPIなどの物価指数の内容だけに一喜一憂することなく、こうしたインフレに関するさまざまなデータに目を配らせ、総合的に判断する必要があるだろう。

FOMCでは、その方面の専門家がありとあらゆるデータを分析した結果や見通しに基づいて、金融政策を決定していることも忘れるべきではない。彼らがタカ派的な姿勢を維持しているのは、判断を間違っているのではなく、やはりそれなりの根拠があってのことなのだ。

(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

(松本 英毅 : NY在住コモディティトレーダー)