ピアニスト・稲積陽菜、日本音コン2位の精鋭が乗り越えた挫折と苦悩 トッパンホールでデビューリサイタル開催

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2024年7月15日(月・祝)、『稲積陽菜 デビューリサイタル』が、トッパンホールで開催される。

昨年、日本音楽コンクールで第位を受賞し、4月には1st CD アルバム『Charm』をリリースした、今勢いに乗る注目のピアニスト。弱冠20歳ながら、挫折や苦悩を経て、今新しい音楽へと踏み出している稲積。日本音楽コンクール予選でも演奏しているトッパンホールで迎えるリサイタル、これまでの歩みや、デビューリサイタルへの意気込みを聞いた。

――様々なコンクールでの受賞など含めて、幼い頃からピアニストに向けて真っ直ぐに歩まれている印象です。

中学時代まで通っていた学校は、勉強に力を入れている学校でしたが、当時の私はピアノと勉強の両立を頑張ろうというよりは、周りの子達が勉強を頑張っているなら、私はピアノを頑張ろう、と思っていました。今考えると、自分で自分をピアノに縛り付けていたようにも思います。

その中で、全日本学生音楽コンクールという、学生にとっては大きいコンクールを毎年受けるのが恒例になっていました。
ただ、自分の意思で出場することを決めていた、というよりは、出ることが当たり前になっていて、「それが私なんだ」というような感覚でしたね。今振り返ると、その頃の自分のことは別人のように感じてしまうくらいで。何を考えていたのかも正直よく分からないです。今と違って、自分の選択に対してあまり深く考えていなかった気がします。

――変わるきっかけは何かあったんですか?

変わるきっかけになったと思うのは、高校1年生の時に出場した全日本学生音楽コンクールです。それが初めて「出場を迷う」という経験をしたコンクールでした。高校に入ってから本格的に師事し始めた先生が、「無理に出なくていい、自分で決めたらいいよ。」と言ってくださったんです。そこで、迷う・考える、という体験、自分での意思で選択するという経験を始めて意識的にした様に思います。その当時のことは物凄く記憶に残っていますし、人生において間違いなく大切なターニングポイントだった、と思っています。

実はその時、そのコンクールで全国大会まで行けなかったら音楽高校を辞める、と決めていました。周りはどこまで本気にしていたか分からないですけど。
今考えるとコンクールの審査員に決断を委ねるのは良くないな、と思いますが、その時は本気でこのコンクールで自分の今後を決めよう、という思いで臨んでいたんです。
そんな状況下で逆に私はこれの結果次第で違う道に行くというのも面白いのではないか、みたいな思考が芽生えてきて。今から音楽以外の道に進むという人生も面白いな、と結構楽観的な気持ちでコンクールに挑んでいました。そうしたら、人生で一番いい結果が出たんです。

――一気に人生が変わるタイミングが高校1年生のコンクールに訪れたのですね。そこからの高校生活も劇的に変わったのでしょうか?

高校1年生のそのコンクール後、燃え尽き症候群ではないですけど、やる気があまり出ない時期が続いてしまって。新型コロナウイルスの時期とも重なって、通常のコンクールが開かれなくなったこともあって、高校2年生の間は特に何もせず過ごしていましたね。

その状況から脱したのは高校3年生の時で、同じ学校・クラスにジュニア向けではない、大学生や院生と戦うコンクールに出る人もいて、そういう人と自分はフィールドが違っていると気付いたんです。近くにいたからこそ、同じ年齢なのに違う世界が見えているということが悔しく思えて、私も追いつきたい、同じフィールドに立ちたい、同じ景色を見てみたい、と思いました。
それで、高校3年生から受けられる、日本音楽コンクールに挑戦しようと決めました。私は目標がないと頑張れないタイプなので、大きな目標を立てて頑張っていこうと考えました。
でもその夏に、体調とメンタルを崩してしまって。舞台にも立てなくなり、コンクールは棄権せざるを得ない状況になってしまいました。ライバルや仲間も出ていたコンクールで、そこで一緒に戦いたいと思っていたので、棄権という形になってしまった事が、本当に悔しかったです。

――ひとつ壁を越えられたところでまた大きな挫折を味わわれたのですね。

この出来事から後の人生を、私は「第二の人生」だと思っているんです。舞台に立てなくなってしまったその時期に、私は1回死んでいて、体だけ生き残っていた、みたいな感覚がずっとあって。なので高校3年生は本当に大きな転機でした。

その時は、もうステージに戻ることは全く考えられなくなっていたのですが、ライバルからかけられた言葉がきっかけで、「絶対に立ち直ってもう一度頑張りたい」と考えるようになりました。
桐朋音楽大学での特待生入試は、舞台に立てなくなって以来、人前で演奏する最初の機会で、ここで復帰できなかったら音楽大学に行くのはやめようと思っていました。それでもなんとか弾き切ることが出来て、結果的に特待生として入学することになりました。

シューマン=リスト『献呈』/ Schumann=Liszt "Widmung"

――大学1年生で迎えた日本音楽コンクールで本選まで進まれたのは、とても大きい経験でしたね。

大きかったです。ただ、高3の時の周りにメラメラしていた自分とは違って、その時の私は、その舞台・本番に立てるのか、演奏してお辞儀して帰れるのか、ということで精一杯で、過酷なスケジュールの中での自分がどこまで出来るのか試してみたい、という感じでした。なので、3次予選まで弾き切れたことはとても嬉しかったのですが、本選に選出されたと分かった時は喜び以上に、「どうしよう」とピアノ人生で一番と言っていいくらいに焦りました。もはや本選で何を弾くのかすら正直分かっていないくらいで。
なので、本選での「入選」という結果に、周りは悔しい、と言ってくれましたが、自分からしたらここまで残る資格がなかったのに残ってしまった、という思いでした。だからこそ、次の年は「本選に残る資格がある人」として本選まで進みたい、と覚悟を持って受けました。
そういう意味では、2回目の挑戦だから前回より良い結果を出そう、とは思ってはいなかったです。そう言った方が格好いいのかもしれないですけど、やっぱり自分自身が自分を認められるようになるために出場を決めたというのが大きかったので、三次予選を通過できたと知った時が一番嬉しかったんです。今度こそしっかり準備した状態であの舞台に立てるんだ、という思いと、2回目の挑戦という自分の中でのプレッシャーのようなものに負けなかった事が嬉しくて、その時私は「自分に勝てた」と思いました。

【結果を出す秘訣】2年連続で日本最高峰の音楽コンクールで結果を出した私の勝ち方

――今回、その日本音楽コンクールでの経験を経て迎える「デビューリサイタル」となりますが、その心境はいかがですか?

演奏活動を始めた頃は、依頼されて弾く機会も多くあったのですが、毎月コンサートをお仕事としてこなしていくうちに、純粋にピアノと向き合えていない、と感じるようになりました。リサイタルがないと安心できない、なかったら何をしていいのかわからない、怖い、と思うようになったんです。どんどん曲に追われるようにもなり、当時の私は、ひとつひとつのコンサートにかける想いのようなものが少なくなっていく感覚がありました。
自分が納得できない中でリサイタルをしても、結局自分自身にとっても意味がないと思って、一度リサイタルの話はすべて断りました。去年の9月くらいの話です。

今回のコンサートはそれ以降初めてしっかりと向き合おうと自分で決めたコンサートです。短期的な目標を設置して、自分自身を見つめることから逃げるのではなく、目標でなくても自分自身を見つめながら進むことが必要だ、と考えて歩み初めてから初めてのリサイタルが今回のコンサートです。
なので音楽も変わってきていると思いますし、弾き方も前とは結構変えている意識があって、これまでとは全く違う私を見せられるリサイタルになると思っています。

日本音楽コンクールで2位をいただいてから、はじめて明確な次の目標が定まっていない状況になり、その分、音楽そのものと向き合わなければいけない、と感じる機会がものすごく増えて、正直、どこに向かって進めばいいのか分からなくなったりもしました。でもその期間で音楽事務所に所属させていただいて、「アーティスト」と呼ばれる立ち位置になったこともあり、自分なりに責任を持って音楽と向き合っていかなければならない、という覚悟を決めることもできました。
今回のコンサートは、コンクールの課題曲を演奏する、というような、何かの目標に向かう通過点としてのリサイタルではなく、音楽と向き合いたいと純粋に思って頑張っている内容がリサイタルになる、というコンサートです。本来それが当たり前なのかもしれない、言葉にしてしまうととてもシンプルな形ですが、私にとっては初めての経験なんです。

日本音楽コンクールで賞をいただいてから、本当の意味で私は「音楽」を始めたというような感覚があります。コンクールに追われなくなってやっと、音楽をどう表現するのか、という極めて基本的であり、本質的な部分に向き合い始めた時に、私の音楽人生は始まったのかもしれなくて。そこに向き合っていくのは苦しかったりもするのですが、その分、私自身や、音楽を通して皆様に伝わるものが変わっていたらいいな、と思いますし、向き合おうとした私、というこれまでとは違う私をリサイタルで皆様に見ていただきたいです。

――会場は、日本音コンでも演奏されてきたトッパンホールですが、印象はいかがですか?

ホールに救われた、ホールに助けられたみたいな事をよく音楽家は言うと思うのですが、それを私が唯一感じられたのが、トッパンホールでした。
1回目の挑戦の予選の時は、いろいろな不安があって、あまり音楽に集中できず、舞台から早く降りたい、とまで思ってしまっていたのですが、耳に入ってくる響きがすごく良くて。久しぶりに、ホールで弾くのって楽しいな、と、本番を楽しめるきっかけを作ってくれたのがトッパンホールでした。
このホールだからこそ3次予選まで進めたのだと思ってます。

ただ、一番人生で悔しかったコンクールの結果発表がトッパンホールの楽屋だったりもして。
これまでのピアノ人生の中で嬉しかったこと、安心したこと、悔しいと思ったこともすべてトッパンホールのあの場所だった、と言うのは私の中でも結構大きいです。

――最後に演奏される楽曲についても教えていただけますか?

デビューリサイタルで一番に弾きたいと思ったのがラヴェルの「ラ・ヴァルス」なんです。初めて弾いたのは高校3年生の冬で、舞台に立つのが辛かった私を支えてくれた曲でしたし、「どう表現しよう?」と考えるのが楽しい、という感情を教えてくれたのもこの曲でした。
先生からはコンクール向きで無い演奏だ、と言われたりもしたのですが、私は私の演奏がこの曲では一番上手いと思っているくらいなので。そのくらい自信を持って届けられる曲を弾きたいと思って選曲しました。

他には、得意曲として様々な場所で演奏してきて、CDにも収録したラヴェルの「鏡」、そして、初挑戦となるショパンのピアノソナタ第3番を演奏します。ピアノソナタ第3番はショパンの中でもしっかりとした構成感のある曲ですが、自分に足りなかった要素が曲を表現する上で必要になるので、そういった意味で自分にとって大きな挑戦だと思っています。
もう1曲はショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ」を演奏します。この曲は昔から大好きな曲で、聴いたことがある方も多いと思いますが、全く違う曲のように聴こえる演奏をする自信がありますし、そう思って帰ってもらえるコンサートにしたい、と思って選んでいます。

――新しく音楽に向かい合う稲積さんの姿を、稲積さんが好きな曲、大事な曲から初挑戦の曲まで、さまざまな曲で聴いていただけるプログラム。これまでに稲積さんを聴いたことがある方にも、そうでない方にも、聴いていただきたい内容ですね。

そうですね。今まで私のコンサートに足を運んでくださっていた方には「稲積ってこんな風に変化したんだ」と思って欲しいですし、最近YouTubeなどのSNS活動を通して知って下さった方には、普段のキャラクターを知った上で、新たな一面として演奏を楽しんでいただけたら嬉しいです。私に対して「どこに向かって、何を考えて活動しているんだろう」と感じている人にとっては、なにか一つの答えのようなものを提示できるコンサートにしたいと思っています。

――今後の稲積さんを知るためにも必聴の公演となりますね。ありがとうございました。