日産「スカイラインGTS-R」のエンブレム(筆者撮影)

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まるで新車のような輝きを放つ1987年式の日産「スカイラインGTS-R」(筆者撮影)

旧車ブームが続く中、1980年代に販売された国産スポーツカーの人気もうなぎ登り。近年は、中古車価格も著しく高騰しているが、なんと1800万円という破格値がつけられた日産自動車(以下、日産)の「スカイラインGTS-R」に遭遇した。

新車価格340万円が1800万円に

三重県のクラシックカー専門店「ヴィビンテージ宮田自動車」が「オートモビルカウンシル2024」(2024年4月12〜14日・幕張メッセ)というカーイベントに展示していたこの車両は、1987年にわずか800台を限定販売。

かつて絶大な人気博した「全日本ツーリングカー選手権」などのレースに参戦するために、国際レギュレーションのグループAへ適合させたクーペモデルだ。新車価格は340万円と、当時のクルマとしては比較的高価。しかも限定の販売台数だったことで、その頃に青春時代を送ったスポーツカー好きなどには、「買いたくても買えなかった」人も多かったという、かなりレアなモデルだ。

【写真】800台限定のホモロゲーションモデル「スカイラインGTS-R」。美しすぎる内外装と2190kmという低走行などで破格の1800万円というプライスに(30枚以上)

だが、それにしても、かなり強気な価格設定と言えるだろう。ウェブの中古車情報サイトなどに出品されているこのモデルの中古車価格は、高くても800万円台であることが多いからだ。

では、なぜこの車両には、1800万円もの価格が付けられているのか? スカイラインGTS-Rというクルマを振り返るとともに、その謎に迫ってみたい。


スカイラインGTS-Rのリアビュー(筆者撮影)


GTS-Rのエンブレム(筆者撮影)

スカイラインGTS-Rは、前述のとおり、全日本ツーリングカー選手権などのレースに参戦するため、日産が1987年に販売した限定仕様車だ。全日本ツーリングカー選手権とは、市販量産車をベースに改造を施した車両で競うレースのこと。自分の愛車、または街中を走るクルマたちが主役ということもあり、若者を中心に、当時のスポーツカー好きを虜(とりこ)にしたモータースポーツだ。


日産が誇るスポーツカーの代名詞、歴代GT-Rの姿(写真:日産自動車

ちなみに日産製スポーツカーとしては、「スカイラインGT-R」のほうが有名だ。中型乗用車のスカイラインをベースに、動力性能を高めることで、数々のレースで活躍。1969年の初代「スカイライン2000GT-R」以来、現行モデル「GT-R」まで、長年、日産を代表するスポーツカーの地位を確立したモデルだといえる。だが、スカイラインGTS-Rが登場した当時、GT-Rは日産のラインナップから消滅していた時期。1989年にR32型スカイラインGT-Rが登場するまでの空白期間に、日産のレース対応車両としての役割を担ったモデルがGTS-Rだ。

ベースになったのは7代目R31スカイライン


1985〜1990年に販売された、7代目にあたるR31型スカイライン(写真:日産自動車

ベースとなったのは、1985年にデビューした7代目スカイライン(R31型)。このモデルは、1972年に登場した4代目(C110型)を最後に途絶えていた、6気筒DOHCエンジンを復活させたモデルとして知られている。

発売当初は、スカイライン初の4ドアハードトップと4ドアセダンのみを設定。スポーティな2ドアクーペのGTSシリーズは、1986年に追加された。ちなみに、このGTSシリーズでは、速度が70km/h以上になると、フロントバンパー下から出現するオートスポイラーを装備。世界初となる空力パーツの採用なども大きな話題を呼んだ。


スカイラインGTS-Rのレース車両(写真:日産自動車

その後、1987年のマイナーチェンジ時に、スカイラインGTS-Rを追加。1985年から1993年まで、全日本ツーリングカー選手権など市販車ベースのレースに採用されていたグループAという国際レギュレーションに適合させたモデルだ。


ヴィビンテージ宮田が展示していたスカイラインGTS-Rのエンジン(筆者撮影)

大きな特徴は、2.0L・直列6気筒DOHCターボエンジンに、タービンを変更するなどのチューニングを施し、210馬力もの最高出力を発揮したこと。ボディサイズは、全長4660mm×全幅1690mm×全高1365mmで、ホイールベース2615mm。車両重量1340kgという軽量な車体などを実現していた。

新車のように美しい状態を維持した展示車


美しい状態を維持したインテリア(筆者撮影)

そんなスカイラインGTS-Rの展示車両で驚いたのが、内外装の美しさ。ボディの塗装には艶(つや)もあるし、サビが浮いている場所も見当たらない。2.0L・6気筒が鎮座するエンジンルームもホコリひとつなくきれいだ。また、モケット生地の前後シートやステアリング、シフトノブやダッシュボードなど、インテリア各部の装備もヤレた感じがない。とても約40年前のモデルとは思えないほどだ。

ヴィンテージ宮田の担当者によれば、この車両は「イベント会社が所有していたもので、屋内保管されていた」のだという。なるほど、たしかに屋内に保管していれば、紫外線や雨風などでボディの塗装が傷んだり、サビが出たりすることも少ないはずだ。また、走行距離も2190kmと極めて少なく、足まわりなども現役のまま。しかも、エンジンはもちろん、パワーウインドウやエアコンなども問題なく稼働するそうで、ほぼ新車の状態を維持しており、新車にように復元する“レストア”もほとんどやっていないというのだ。


発売から37年が経過しているが、走行距離はたったの2190kmという低走行(筆者撮影)

それにしても、前述のとおり、1800万円もの価格がついているというのは驚きだ。ウェブの中古車情報サイトを見る限りでは、スカイラインGTS-Rの中古車価格は、だいたい700〜800万円台。安い車両だと、300万円台という車両もあった。前世代のハコスカやケンメリと呼ばれるスカイラインであれば、旧車ブームもあり、1000万円オーバーも珍しくないが、1980年代の車両としては異例の価格設定といえる。

ヴィンテージ宮田の担当者は、このモデルに限らず、1980年代の国産スポーツカーには、「これほど状態がいい車両は、ほとんど出てこない」ことが、高い値づけになった理由だという。その背景には、まず、当時はレース・ブームなどの影響もあり、峠などで、「かなりヤンチャな走り」をしたオーナーが多く、そのぶん、きれいな状態を保った車体が少ないことが挙げられる。

また、この年代の車両は、多くがフューエルインジェクションやパワーステアリングなどを装備していたが、長年、走らずに放置していた場合、モーターなど電装関係の部品が故障していることも多く、純正部品も生産中止のため、修理がかなり困難だという。そのため、例えば、同じ日産のスポーツカーでも、1969年に登場した初代スカイライン2000GT-Rのように、エンジンにキャブレターを使い、電装系もシンプルな車両のほうが、代替品なども入手しやすく、レストアは比較的簡単。エンジンが始動しない不動車でも、なんとか「走るようにできる」そうだ。対して、電子制御なども導入されはじめた1980年代のクルマは、復活させるのが極めてやっかい。中には、走るようにするのが「不可能な車両もある」という。


展示車のホイール(筆者撮影)

つまり、今回展示された車両は、もともと限定800台しか販売されなかった超レア車であることに加え、この年代のクルマではほとんど出てこない「新車の状態を保っている」ことが、価格を押し上げているようだ。しかし、車齢的には若いはずの1980年代の国産スポーツカーが、1960年代や1970年代のクルマよりもレストアしにくいというのも意外。それら複数のファクターにより、この車両にかなりの破格値がつけられているのだ。

80年代のモデルも中古車価格は高騰するのか


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いずれにしろ、近年、日本だけでなく、世界的にも人気が高い国産スポーツカーのビンテージモデル。とくに1980年代に生まれたクルマたちは、数々のレースなどでも活躍したことで、「高性能な日本車」というイメージを決定づけた立役者だといえる。だが、レストアが難しいモデルも多いとなると、今後はさらに数が減少し、貴重で希有なモデルが増えていくことが予想できる。

そんな1980年代の国産スポーツカーだが、果たして、その人気はいつまで続くのだろうか。また、次のブームとなるポスト80年代車はなんだろう。例えば、より若い1990年代や2000年代前半のクルマの需要が伸びるなど、今後の動向も興味深い。

(平塚 直樹 : ライター&エディター)