【三浦泰年の情熱地泰】五輪出場、Jリーグの日、古巣対決… 歴史の積み重ねを感じた5月の日本サッカー界
ちょうど1年前、父の余命が宣告された。5月の末だった…。
宣告された余命から3か月後に亡くなった父。父は「泰年と知良」の良き理解者であり、越えられない存在だった。
その5月のゴールデンウィークには、円安の影響を受けながらも海外に行く日本人もいれば、逆にインバウンドで日本に来るたくさんの外国人の方々がいた。
またまたあっという間に1か月が経つ。このコラムを楽しみにしてくれている人たちは「そろそろかな?」と思っていたであろう。
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5月もいろんな事が起こった。4月末から行なわれたアジアカップは見事に5月3日に行なわれた決勝戦を制して、優勝でオリンピック出場を決めた。もちろん苦しい戦いではあっただろうが、U-23日本代表の選手たちの歓喜は誇りに思う。そして感謝の気持ちでいっぱいだ。
サッカー人生でファイナルを味わえることは本当に少ない。どんな良いチームにいても、簡単に優勝を勝ち取ることはできない。
今回は、正直言って見るのが怖かった。僕は韓国戦あたりから、結果を聞いて時間差で喜ぶように切り替えた。
朝、目を覚ましテレビをつけたら勝っている。これが一番「嬉しい?」かもしれない。
正直、試合を見るタイミングを逸していた事もあるのだが…。
グループリーグの大一番、韓国に最終戦で敗れ、2位通過で地元カタールとの大接戦を制してオリンピック出場にリーチ。カタール戦から決勝までリアルタイムでの観戦を避けたのは、験(げん)を担ぐ意味もあったが、色んな想いを積もらせ、ストレスある応援は避けて、勝った結果に一喜する。
現場で頑張ってる人たちに申し訳ないが、朝起きて勝利している。本当にそれが一番良い(笑)。
それから半月ほど経ち、5月15日はJリーグの日。1993年発足からあっという間に年月が経ち、記念日として認定登録され31周年目を迎えた。
その日の朝のテレビ番組「ラヴィット」には、ラモスさんと坪井君が生出演していた。
Jリーグ発足当時の前哨戦92年からプレーし、2003年で引退した僕にとって、その後のJリーグや日本代表の発展は、物凄いハイスピードに映っている。僕が引退してからの20年の日本サッカー界は、本当に信じられない速度で進化してきたと思う。
そして5月22日に弟のカズがポルトガルから帰国。彼にとって大きな経験が人生にとってプラスさせたシーズンになった。チーム残留という結果しかなかったようだが、無事に日本へ戻り、父の一周忌を前に初めて静岡の地元で御墓参りをしたという。
そしてまた、新シーズンを新天地でとなるのであろうが、まだカズには会えていない(笑)。
5月26(日)、J1リーグ第16節・ヴィッセル神戸ー東京ヴェルディが開催されたが、僕は当日の朝に新横浜から新幹線に乗り、神戸の仲間、自称三宮の会のメンバーと7人で観戦を楽しんだ。結果はアウェーの東京ヴェルディが粘り強く戦い、1-0で勝利した。
ヴィッセル神戸はホームに2万2000人以上の観客を集めながら、結果を出すことが出来なかった。試合としては渋い試合で、仲間の三宮の会メンバーとしては残念な結果になった。しかし、試合後の会食はいつも通りに盛り上がり、懐かしい話に花が咲いた。
Jリーグの日に懐かしいカレーのCMを思い出し、16年ぶりにJ1復帰を果たした東京ヴェルディとの試合を神戸で観戦。
ご存知の方も多いだろうが、両チームとも僕の古巣で、ヴェルディの前身である読売クラブは日本でのプロ生活をスタートさせ、ヴィッセル神戸では38歳の時に引退を決意した。僕のプロ生活の最初と最後を見守ったクラブである。
どちらを過剰に応援する訳でもない。新しい力が現クラブを支えていくのだ。
その当時の人は誰もいないに等しい環境だが、ヴェルディも堂々と昨年の王者に対して怖がらずプレーした。神戸もしっかりした試合をしたが、結果は残念ながらついてこなかった。
しかしサポーターと同じ目線でQRコードを使用してスタジアムに入り、観戦した僕は、黒白の縦縞のユニホームから、にわかにクリムゾンレッド(エンジ)のユニホームに変わり、エンプレムもシンプルに変え、不自然さを隠しきれない姿でスタジアムに足を運んでいた神戸のサポーターたちを知っている。それだけに、当時を思い出したら、2万人以上の神戸サポーターがエンターテイメント化するスタジアムの雰囲気に一体となり、オイラが街のプロサッカークラブへと成長した姿は、本当に感慨深い。
試合内容や結果ということ以前に、そうやって年月を重ねて歩んできた姿に感動し、日本サッカーの、Jリーグの、歴史を感じる日となった。
そしてこれかも歴史は積み重なり、6月もまたサッカーは変わらず進んで行く。
この期間を大切に、冷静に、風を感じながら、サッカーだけではなく、たくさんの事に触れて、自分を高められればと思う。
良い報告ができる日まで、毎日、毎月、毎年を悔いなく進んでいきたい。
6月は、どんな月になるのであろうか?
2024年5月31日
三浦泰年
宣告された余命から3か月後に亡くなった父。父は「泰年と知良」の良き理解者であり、越えられない存在だった。
その5月のゴールデンウィークには、円安の影響を受けながらも海外に行く日本人もいれば、逆にインバウンドで日本に来るたくさんの外国人の方々がいた。
またまたあっという間に1か月が経つ。このコラムを楽しみにしてくれている人たちは「そろそろかな?」と思っていたであろう。
5月もいろんな事が起こった。4月末から行なわれたアジアカップは見事に5月3日に行なわれた決勝戦を制して、優勝でオリンピック出場を決めた。もちろん苦しい戦いではあっただろうが、U-23日本代表の選手たちの歓喜は誇りに思う。そして感謝の気持ちでいっぱいだ。
サッカー人生でファイナルを味わえることは本当に少ない。どんな良いチームにいても、簡単に優勝を勝ち取ることはできない。
今回は、正直言って見るのが怖かった。僕は韓国戦あたりから、結果を聞いて時間差で喜ぶように切り替えた。
朝、目を覚ましテレビをつけたら勝っている。これが一番「嬉しい?」かもしれない。
正直、試合を見るタイミングを逸していた事もあるのだが…。
グループリーグの大一番、韓国に最終戦で敗れ、2位通過で地元カタールとの大接戦を制してオリンピック出場にリーチ。カタール戦から決勝までリアルタイムでの観戦を避けたのは、験(げん)を担ぐ意味もあったが、色んな想いを積もらせ、ストレスある応援は避けて、勝った結果に一喜する。
現場で頑張ってる人たちに申し訳ないが、朝起きて勝利している。本当にそれが一番良い(笑)。
それから半月ほど経ち、5月15日はJリーグの日。1993年発足からあっという間に年月が経ち、記念日として認定登録され31周年目を迎えた。
その日の朝のテレビ番組「ラヴィット」には、ラモスさんと坪井君が生出演していた。
Jリーグ発足当時の前哨戦92年からプレーし、2003年で引退した僕にとって、その後のJリーグや日本代表の発展は、物凄いハイスピードに映っている。僕が引退してからの20年の日本サッカー界は、本当に信じられない速度で進化してきたと思う。
そして5月22日に弟のカズがポルトガルから帰国。彼にとって大きな経験が人生にとってプラスさせたシーズンになった。チーム残留という結果しかなかったようだが、無事に日本へ戻り、父の一周忌を前に初めて静岡の地元で御墓参りをしたという。
そしてまた、新シーズンを新天地でとなるのであろうが、まだカズには会えていない(笑)。
5月26(日)、J1リーグ第16節・ヴィッセル神戸ー東京ヴェルディが開催されたが、僕は当日の朝に新横浜から新幹線に乗り、神戸の仲間、自称三宮の会のメンバーと7人で観戦を楽しんだ。結果はアウェーの東京ヴェルディが粘り強く戦い、1-0で勝利した。
ヴィッセル神戸はホームに2万2000人以上の観客を集めながら、結果を出すことが出来なかった。試合としては渋い試合で、仲間の三宮の会メンバーとしては残念な結果になった。しかし、試合後の会食はいつも通りに盛り上がり、懐かしい話に花が咲いた。
Jリーグの日に懐かしいカレーのCMを思い出し、16年ぶりにJ1復帰を果たした東京ヴェルディとの試合を神戸で観戦。
ご存知の方も多いだろうが、両チームとも僕の古巣で、ヴェルディの前身である読売クラブは日本でのプロ生活をスタートさせ、ヴィッセル神戸では38歳の時に引退を決意した。僕のプロ生活の最初と最後を見守ったクラブである。
どちらを過剰に応援する訳でもない。新しい力が現クラブを支えていくのだ。
その当時の人は誰もいないに等しい環境だが、ヴェルディも堂々と昨年の王者に対して怖がらずプレーした。神戸もしっかりした試合をしたが、結果は残念ながらついてこなかった。
しかしサポーターと同じ目線でQRコードを使用してスタジアムに入り、観戦した僕は、黒白の縦縞のユニホームから、にわかにクリムゾンレッド(エンジ)のユニホームに変わり、エンプレムもシンプルに変え、不自然さを隠しきれない姿でスタジアムに足を運んでいた神戸のサポーターたちを知っている。それだけに、当時を思い出したら、2万人以上の神戸サポーターがエンターテイメント化するスタジアムの雰囲気に一体となり、オイラが街のプロサッカークラブへと成長した姿は、本当に感慨深い。
試合内容や結果ということ以前に、そうやって年月を重ねて歩んできた姿に感動し、日本サッカーの、Jリーグの、歴史を感じる日となった。
そしてこれかも歴史は積み重なり、6月もまたサッカーは変わらず進んで行く。
この期間を大切に、冷静に、風を感じながら、サッカーだけではなく、たくさんの事に触れて、自分を高められればと思う。
良い報告ができる日まで、毎日、毎月、毎年を悔いなく進んでいきたい。
6月は、どんな月になるのであろうか?
2024年5月31日
三浦泰年