Bリーグ・広島ドラゴンフライズが成し遂げた「よもや→もしや→まさか」の初優勝 その名は全国区に
広島ドラゴンフライズは下馬評を覆し頂点に photo by Kaz Nagatsuka
Bリーグの2023−24シーズン王者を決めるファイナルは、広島ドラゴンフライズが琉球ゴールデンキングスを2勝1敗で下し、チーム創設10年目で初のリーグ制覇を成し遂げた。レギュラーシーズン終盤にはエースガードを故障で失い、ポストシーズンにもワイルドカードでの出場。全国区の選手もいない。そんな広島がいかにして「物語」を完遂したのか。
広島ドラゴンフライズ初優勝の背景 前編
【下馬評の低いチームが完結した「物語」】「よもや」から「もしや」、「まさか」へと、彼らを見る目は変化していった。
広島ドラゴンフライズが、2023−24シーズンのBリーグ王者となった。チームができてわずか10年目の、よもやの頂点到達だった。
「正直言って、物語のようだ。ここに来てからすばらしい2年間をすごしてきたけど、広島は歴史が浅く、成し遂げたことも少ない、いわば下馬評の低いチーム。だけど、この舞台で勝利できたことは、物語でしかないよ」
笑顔と涙の入り交じる優勝直後。2年前に琉球ゴールデンキングスから移籍し、自身は2度目のファイナル出場となったチームのエース格、ドゥエイン・エバンスは感慨を抑えきれない様子でそのように話した。
どれほどの人々が彼らの偉業を予想しただろうか。本来のエースポイントガード、寺嶋良が重度のケガで3月上旬以降、欠場を余儀なくされたこともあった。チャンピオンシップ(CS)に進出した8チームが出揃った時に、ファイナル進出チームを占う予想で広島を挙げる声は、ほとんど聞かれなかった。
ところが、試合を重ねるごとに、そして相手を撃破するごとに、広島は周囲をざわつかせていく。得点力で相手を凌駕するというよりも、強固なディフェンス力で相手を封じ込める戦い方であるだけに、一気にというわけにはいかなかったものの、じわりじわりとその存在は、無視できないものへと変貌を遂げていった。
クオーターファイナル(1回戦)で広島は、レギュラーシーズン中地区優勝の三遠ネオフェニックスを初戦からの2連勝で破ると、翌週のセミファイナル(準決勝)では同西地区優勝の名古屋ダイヤモンドドルフィンズをも倒した(2勝1敗)。これらはたった2週で起きたことだったが、注目度の低い「よもや」の存在だった広島の下馬評は、その短い期間のなかで「もしや」、そして「まさか」のそれになっていた。
迎えたファイナル。相手はこの舞台に3年連続で出てきた琉球だった。初戦は、試合序盤の硬さから点差をつけられたことが影響して敗戦したものの、2戦目以降はスイッチ(*)やゾーンを巧みに組み合わせ、かつ帰化選手の河田チリジと外国籍ふたりのビッグマンを3人同時にコートに立たせる陣容を駆使しながら、琉球を混乱させる抜群のディフェンスでリズムをつかんだ。また、勝負どころで相手に心理的なダメージを与えるシュートを決めた。こうして2連勝を収めた広島は、王座へと駆け上がった。
最後はもはや、彼らの実力を疑わなかった。「よもや」とも「まさか」とも思わなかった。
*ボールを保持する選手の位置状況に応じて守備側の選手がマークしている相手を替えること
全国的な知名度を有する選手は、いない、と言ってもいい。しかし、いや、だからこそ、彼らのチームとしての強さが際立つ。とりわけ驚くのが、試合の後半に強いことだ。実際、CSではクオーターファイナルからファイナルまでの8試合のすべてで、後半のスコアで相手を上回っている(合計では303対236だった)。ホームで戦うことなく、この結果を残したことは、驚きというほかない。
全国的な知名度のある選手がいない、ということは、裏を返せば、広島にはこれだけいい選手がいることを知るきっかけにもなった。今シーズン、広島に移籍し31歳にして花開いた山崎稜は、CSで56%という驚異的な確率で3ポイントシュートを決め(50本中28本成功)、故障の寺嶋に代わって正ポイントガードとなった中村拓人は、ファイナルでも要所で得点を重ね、23歳の若さながら驚くほどの度胸を示した。山崎はCSのMVPに、中村はファイナル賞を受賞。ポストシーズン、ファイナルを通して彼らの力量と知名度は日本列島にとどろいたはずだ。
【ずっと周りの評価を覆したいと思ってやってきた】
CSのMVPに輝いた山崎稜(右)はチームに手応えを感じていた photo by B.LEAGUE
2020-21シーズン。2部に当たるB2からB1へと昇格を果たしたばかりだった広島は、新型コロナウイルス蔓延の影響でレギュラーシーズンでは通常の60試合の開催ができない環境だったとはいえ、9勝46敗というB1で最低成績に終わっている。そこからわずか3年で頂点に立つなど、どれだけこのチームをひいきにしていたとしても、当時は予見できなかったはずだ。
今シーズンを見返しても、広島がここまでの偉業を成し遂げるという"匂い"はしていなかった。昨シーズンはCSに初出場を果たし、クオーターファイナルでは千葉ジェッツ相手に1勝を挙げ一矢報いたものの、2023-24に入ると前半戦は勝ったり負けたりと安定感がなかった。加えて寺嶋が故障で離脱。「終わった」と見るのが、妥当だった。
ところが、そんな周囲の目に逆らうかのように、広島は調子を上げた。逆境だからこその集中力だったのか、3月以降は21勝8敗と高い勝率を挙げた。同月下旬の名古屋、4月下旬の島根スサノオマジックと同地区の対戦相手との2連戦をいずれもスイープしたことなどが効き、プレーオフの椅子を得た。
山崎は、チームの優勝へ駆け上がる道程をこう振り返った。
「シーズン終盤、CSが見える位置に来た頃にはチームケミストリーはすばらしいものになっていて、選手それぞれがみんなのことを信じていましたし、そういった信頼は非常に大きなものがあったと思います」
これが例えば宇都宮ブレックスや千葉のような優勝経験のあるチームであれば、ポストシーズンにピークを合わせファイナルへ進む可能性が高まった、などと周囲は評していただろう。だが、実績の薄い広島に対して、そういった声が広まることはなかった。
周囲を見返したい――。外野からの評価が下がれば下がるほど、むしろ広島のエネルギーは膨らみ、チームの一体感は増していった。
「我々はずっと周りの評価を覆したい、勝ち続けたいと思っていましたし、そのために士気を高く保っていたいと考えてきました。我々の若手はシーズンを通して向上し続け、自信を積み重ねていったのです。多くの人たちが、(寺嶋)良が故障を負ってしまった時に我々がプレーオフに出られるわけがないと考えていたようですが、我々はそれができると信じていましたし、そのために努力を重ねてきました。誰も我々が三遠を破るとも、名古屋を破るとも思っていなかったと思いますし、琉球とのファイナルも2試合で片づけられてしまうだろうと見ていたはずです。そうした見方に対して、周囲が間違っているのだ、と我々は証明しています」
ファイナルの第2戦を制し、BリーグのCS史上最大級のアップセットの完遂まであと1勝に迫った広島のカイル・ミリングヘッドコーチはそう述べた。述べた、というよりも、まくしたてたというほうが近いか。シーズン終盤からポストシーズンにかけて力強く前進したチームを、代弁するかのような言葉だった。
後編「広島ドラゴンフライズ社長が語る初優勝までの舞台裏」につづく>>