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かつては奇跡的な戦後経済復興の“秘訣”として注目され、“企業経営の手本”として喧伝されたこともある「日本的経営」。しかしバブル経済が崩壊して以降、長きにわたる景気低迷のなかで日本的経営は時に真っ向から否定され、ほぼ30年間にわたって日影の身に甘んじてきました。そもそも日本的経営とはどのようなシステムだったのか? 岩粼尚人氏の著書『日本企業は老いたのか』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋し、見ていきましょう。

日本的経営とは?

「日本的経営とは何か」という問いに対してもっとも無難な回答は、日本的経営の「三種の神器」を示すことであろう。ここでは、日本的経営の三種の神器ともいうべき、「終身雇用」、「年功序列」、「企業内組合」の3つの社会的制度・雇用慣行の功罪を考えていくことにする。

終身雇用制度

〜高度経済成長期を支えるも、「経済状況の変化」によりデメリットが顕在化

履歴書の最終学歴欄に記載する教育機関を修了し、その年の4月に特定の会社に入職して、定年退職に至るまでの数十年間その企業と雇用関係を継続する制度が、「終身雇用制度」である。これは、長年にわたって日本企業の経営システムのベースを為す制度であった(*1)。この制度が日本に定着したのは1950年代以降のことであり、企業の労働力確保と定着率向上が当初目的であった。それから半世紀近くを経て2000年前後になっても、大企業のおよそ9割がこの制度を取り入れていた(*2)。バブル経済の崩壊から10年後にはほとんどの企業がこの制度を採用し、さらにそれから20年経た現在に至っても少なくない企業でそれが続いている。

終身雇用制度の功罪について考えてみよう。

メリットの第一は、従業員の企業への帰属意識を高めることである。この制度の下で、従業員は突然の解雇を心配する必要がなく、長期的視野に立った生活設計が可能になる。企業が繁栄すれば従業員の生活の安寧も保障されるため、企業への帰属意識を強化し職務に対して勤勉な態度を醸成し、従業員間に心理的結合(仲間意識)を生み出すことができる。企業への帰属意識は、企業の成長に対する積極的なコミットメントを引き出す動因ともなる。思い起こすと、同族経営の中小企業に勤めていた亡父は、「会社が良くなれば、わが家も良くなる」が口癖であった。

第二のメリットは、人的資源を安定させることである。従業員の定着率が高ければ、教育訓練への投資が無駄になることもないし、熟練した技能の外部流出も回避される。つまり、従業員の離職によってもたらされる目に見えない労務費を抑えることが可能になる。また、この制度は技術革新の導入を容易にする。技術革新に伴う省力化に対する抵抗が生産プロセス改善の足かせとなることは少なくない。しかし、この制度の下では省力化に伴う人員整理に対する危機感が抑えられ、経営者は最新技術の導入を積極的に進めることが可能になる。古くは、産業革命期の英国では「ラッダイト運動」と呼ばれた工場機械の打ち壊しが頻発したが、失業への不安がなければこの種の運動も広がりにくかったはずである(*3)。

これらのメリットが、最初の東京五輪前後の高度経済成長期を支えてきたのであった。ところが、オイルショックやバブル経済崩壊などの経済状況の変化が、日本的経営の優位性の根幹を左右するデメリットを顕在化させることになった。

終身雇用制度の下では、人件費が固定費的性格を持つために経営の弾力性が損なわれる。欧米企業がレイオフ制度によって生産の弾力的調整を可能にしているのとは対照的に、日本企業では人件費が固定的なために経営に危機が迫ったとしても迅速な対応が困難となって、時として手の施しようのない事態にまで追い込まれてしまう。21世紀になって多くの企業がパートタイマーや契約社員を採用して雇用の多様化を実現したことの主眼は、人件費の変動費化にあった。

また、少子高齢化が急激に進む中での終身雇用制度は、年功序列制度と相俟って賃金の高い中高年者を多く企業内に抱えることで、人件費によって経営が圧迫されることもある。早期退職制度や成果主義賃金の導入は、人件費の高騰を抑制する施策に他ならない。

さらに、労働者の企業間移動が少ない状況はスキルの硬直化を招くことが懸念される。長期雇用はその企業内だけで通用する専門スキルの高度化を促進する一方で、変化の激しい経営環境下でスキルの陳腐化を急速に進める。また、その企業内部の常識を、当該産業や社会の常識だとする勘違いや思い込みに縛られることで新しいビジネス活動の支障にもなりかねない。

バブル経済崩壊後、こうした終身雇用制度のデメリットが表出したことによって、ミドルマネジメントの人員削減や早期退職勧告、子会社への出向などのリストラ(リストラクチャリング)が進められるようになったのである。

年功序列制度

〜成長率が低いときは、コストとポストの両面で「足かせ」となる

日本的経営の「三種の神器」の中で、終身雇用制度と表裏一体の関係にあるのが、勤続年数が長くなるにつれて賃金が上昇し職位も高くなる「年功序列制度」である。勤続年数が増えるにつれて定期昇給によって定年まで賃金が増え続けるだけでなく、職位も上がるという制度である。この制度の根底には、経験や教育・訓練の成果は年齢とともに積み重なり、それに応じて企業に対する有形無形の貢献も大きくなるため、「過去の貢献にも報いるべき」という思いやりの思想が流れている。

年功序列制度のもつメリットの一つは、終身雇用制度同様に、従業員にとって長期的な生活予測が可能になるため安定感や安心感を与え、企業への忠誠心を高めることである。また、能力や業績を過度に強調しないので、労働者の自尊心を著しく傷つけることのない配慮や平等意識のメカニズムが組み込まれており、労働者の意欲や忠誠心を保つことが可能になる。さらに、長期的視野に立った業績評価や、集団あるいはチームをベースにした曖昧で包括的な評価が可能になる。温情に満ちたこの制度は、しばしばGNN(義理と人情と浪花節)マネジメントと揶揄されたが、日本的精神を反映しているともいえる。

しかしながら、企業内の経験やOJT教育の成果は、必ずしも企業の成果に直接結びつくものではないし、個人の能力や実績を直接反映するものでもない。そこで、中小中堅企業を含めた多くの企業が、ホワイトカラーを対象に職務遂行能力や実績を加味した評価システム(職能資格制度)を導入するようになった。能力や実績を加味するとはいっても、年功的色彩が強く残っていた。

年功序列制度のソフトな心理的配慮や平等志向の下では、賃金や昇進が労働意欲を引き出すインセンティブとして機能するわけではない。むしろ年功序列制は、人間関係能力や忠誠心などの要素を重視する制度である。そのため、個人の仕事の成果・実績を的確に評価して対価として昇給するなどの客観性に乏しく、権限と責任が曖昧な組織を生み出す要因となってきたともいえる。

終身雇用をバックグラウンドとした年功序列制度は、企業規模が拡大し成長率の高いときには平均コストが低下して競争力強化に有効となるが、成長率が低いときにはコストとポストの両面でマイナスとなる。そのため成長が期待できないときには、この制度の見直し論が出てくるのは必然であった。事実、第1次オイルショック以前に多く見られた日本的経営絶賛論は、景気悪化によって日本的経営悲観論に転じている。

企業内組合

〜景気低迷期には、労使協調体制をベースにした経営支援的役割が期待されるが…

「三種の神器」の第三は、「企業内組合」である。諸外国では労働組合が職種別産業別に組織化され社会的影響力を発揮している。それとは対照的に、わが国の労働組合は企業別に組織された単一組合が基本となっており、企業別に分断された組織になっている。欧米型の職種別・産業別労働組合と比べて、日本型の企業別組合では個々の企業組合がそれぞれに主体性を持って自己完結的に活動することが可能である。そのため、各企業の事業状況に柔軟に合わせて、労働者の利益と企業の経営効率との調和を達成する役割を果たしている。

また、内部昇進昇格が前提のわが国の人事制度の下では、同じ企業内で階層や職種を越えて価値の共有化が促進される。その結果、労使の相互理解が深まって、労使間の緊張が緩和して労使協力体制が構築しやすい。さらに、組合活動の管理運営体制に関与することを通じて管理職の育成にとっても重要な役割を果たす。一方で、企業内組合の下で労働者は企業の一員としての立場・意識が強化されて、労働者としての立場や意識が希薄になる。そのため、業績や社会的状況といった所属企業の事情を内面化し、経営者側の論理に従って妥協することも多くなる。とりわけ、景気低迷期には、労働組合は圧力団体としてではなく、労使協調体制をベースにした経営支援的役割が期待される。

このように、企業内組合の存在によって、わが国では労使協調型マネジメントが醸成・強化されてきた。しかし、企業側の都合で労働者側が自身の権利を放棄せざるを得ないことも少なくなかった。過度な労使協調体制は、企業にとってのステイクホルダーとしての労働者本来の立場を阻み、健全なガバナンスの障害となってきたことも事実である。

日本的経営の理論展開

〜「三種の神器」は、そもそも“当時の人事制度の特徴を示したもの”に過ぎなかった

これら「三種の神器」がそもそも日本企業の強みの源泉であったかどうかを巡って、日本的経営が理論化されるプロセスではさまざまな議論が展開されてきた。その代表的な議論の一つは、「三種の神器それ自体、日本企業に特有であるのか」という根本的なものであった。確かに、日本以外の先進国でも年齢や勤続年数と賃金の間に相関関係があることは知られていた(*4)。また、日本的経営の特徴を、日本文化や日本人の心理特性の違いといった特殊論によって説明しようとする「文化論的アプローチ」では普遍性の有無が争点となったし(*5)、当時の日本的経営研究が分析対象と隔たりがある点を批判する見解も提起された。

日本的経営研究の大家である岩田龍子氏は、当時の様子を次のように評している(*6)。

「戦後の約30年間、日本の経営学は、規範論の性格を持つアメリカモデルを普遍モデルとして受け入れてきた。このため、日本の経営の現実に対する理論的関心は低く、進んだ(と考えられてきた)アメリカモデルとの対比で、日本の後進性が指摘されるとか、日本の現実を少しでもアメリカモデルに近づけるという関心が持たれるにとどまっていた。日本の現実の中から、それに適合的な理論化を行うという努力は、皆無といっても過言ではない状態であったのである。」

日本企業が国際的な先進企業との企業間競争で伍して戦えるようになる以前、日本の経営学者たちは、日本企業の競争優位性がどこにあるのかを理論的に説明する方法を確立していなかった。そこで、日本的経営をジャーナリスティックに説明するために、日本企業の強さの源泉として、すでに社会制度として定着していた「三種の神器」を前面に押し出したのであった。要するに、「三種の神器」は、当時の日本企業の人事制度の特徴を単に示したものに過ぎなかったのである。そう考えると、第1次オイルショックによる混乱と日本経済の停滞によって、日本的経営への関心が失せてしまったのも当然である。

ところが、二度目のオイルショックを機に、日本的経営が再び脚光を浴びることになった。第1次オイルショック後に一挙に加速した減量経営によって、日本企業の業績は二度目のオイルショック以降急激に回復して、国際舞台で圧倒的な競争優位性を発揮するようになった。1960年代の高度経済成長期にこそ及ばないものの、1980年代には3〜5%程度の経済成長を安定的に確保し、日本企業そして日本的経営はかつてないほどに脚光を浴びるようになった。ハーバード大学の社会学者ボーゲル・エボラ F.(Vogel.E.F)の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の大ヒットはその証左である。

さらに、この時期、「三種の神器」などの社会制度は、人間と組織の関係のベースの形成と関連づけられるようにもなった。西山忠範氏は指摘する(*7)。

「日本においては、企業は労働者の生活の場であり(生活共同体)、欧米等の資本主義国のように、経営者は資本家である株主の身代わりではないから、経営者と一般労働者の間には隔絶感はなく、経営者も労働者の一員として、両者は同一性と一体性をもつ。日本の労働組合の体質が外国のそれのように戦闘的でなく、協調的であること、日本の組合が企業別であること、全社的な品質管理(TQC)の存在、日本的終身雇用制など、所謂『日本的経営』の特徴とされている多くの現象は日本企業の構造的特徴と無関係ではなく、また、現代日本経済の急速な発展とも結びついている。」

こうして日本的経営研究では、日本企業のコミュニケーションや意思決定システムの特徴などに関心が向けられるようになった。たとえば、細かいマニュアルや職務記述書に基づいて仕事が進められず、上司の指示も大まかで包括的であることが多く、情報も公式的なルートで得るよりも個人的なつながりや人間関係・信頼関係で収集されることが多いといったことが、日本的経営の優越性の源泉として指摘されるようになった。

また、分業が曖昧で、各自の仕事が互換性を持ってそれぞれの担当者の協力によって進められる傾向にあったことから、経営の合議制や稟議制度(*8)、頻繁に開かれる会議などを通じて制度的に情報の共有化が積極的に進められていたこと、あるいは「根回し」(*9)などのセミフォーマルなコミュニケーション・ネットワークが重要視されていたことが、日本的経営の特徴として指摘されるようになってそのメカニズムの解明が進められた。

さらに、人事施策として行われるジョブローテーションが企業全体のコミュニケーションを促進して情報共有の実現に貢献することや、定期的に職場を変えることによって各職場の情報が個人に蓄積することでも組織全体の情報共有が促進されることが、日本企業の強みとなっている点も言及されるようになった。当時の研究について前出の岩田龍子氏は、次のように指摘している(*10)。

「近年に至って、少数の経営学者が、日本の現実そのものに対して“真面目”な関心を持つようになった。その結果、日本の経営の現実が規範論等してのアメリカモデルと大きく乖離していること、しかし、それは、日本の社会における、社会的・文化的環境に適合するよう、長年の間に形成されてきた一つの適応形態であること、そのためそれは、日本の社会ではそれなりに機能を発揮するものであることが認識されるようになった。」

こうした先達の研究を下地にして日本企業研究を新たな方向に導いたのが、当時一橋大学教授であった野中郁次郎氏や伊丹敬之氏、神戸大学教授加護野忠男氏、明治学院大学教授寺本義也氏、東京大学助教授藤本隆宏氏といった気鋭の経営学者であった。彼らおよびその薫陶を受けた若手の経営学者たちは、日本企業の経営行動を分析し、新しい視点で日本的経営の実証研究を行い普遍的理論の構築を試みた。その結果提起されたのが、「知識創造(*11)」「人本主義(*12)」「暗黙知(*13)」など日本発の経営コンセプトであった。また、欧米においても、日本企業のケーススタディをベースに『経営革命(*14)』『コアコンピタンス(*15)』『リエンジニアリング(*16)』『ビジョナリー・カンパニー(*17)』などの経営研究が公表され一時代を築いていた。

このように、日本的経営研究および日本企業研究は、その後の経営学研究に大いに貢献したのであった。

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【注】

*1) 2021年現在、多くの企業では60歳を定年と定めている。

*2) 樋口美雄、「長期雇用システムは崩壊したのか」、日本労働研究雑誌、No.525/April,2004

*3) 1810年代の産業革命期に英国の織物・編物工業地帯に起こった機械破壊運動。産業革命によって生まれた機械工業のため失業の危険にさらされた手工業職人や労働者による運動。

*4) 岩田龍子、『日本的経営論争』、日本経済新聞社、1984、p.19

*5) 前掲書、pp.45-72

*6) 前掲書、pp.187-188

*7) 西山忠範、『日本は資本主義ではない』、三笠書房、1981、p.98

*8) 稟議制度とは、「稟議書」と呼ばれる書類を回覧して、当該の意思決定に関係する部門および職位の審議を経て多くの関係者の承認を得てから実行に移すという意思決定方法である。基本的には、情報伝達、承認権限の確認儀礼としての性格を持っているが、意見対立の解消、情報の共有が主たる機能である。日本的経営論の草分け的権威である小野豊明は、『日本的経営と稟議制度』(ダイヤモンド社、1960)の中で、「稟議制度は日本の企業経営のすべてであった」と記述している。

*9) 「根回し」とは、コンセンサスを得るための非公式的なプロセスであり、上述の稟議制は、根回しを公式化したものと言われている。メリットは、職務権限の曖昧な部門間の意志疎通を促進することによって、腹蔵のない話し合いによって意見の食い違いを解消しながらよりよい解決手段を見つけだすことができることにある。

*10) 岩田龍子、前掲書

*11) 野中郁次郎、竹内弘高、梅本勝博、『知識創造企業』、東洋経済新報社、1996に詳しいので参照

*12) 伊丹敬之、『人本主義』、筑摩書房、1987に詳しいので参照

*13) 野中郁次郎一橋大学名誉教授がポランニーの研究を参考にして日本企業の特徴を解説している。

*14) Peters Tom, “Handbook for a Management Revolution”, Excel/,a California Limited Partnership, 1987(『経営革命』平野勇夫訳、TBSブリタニカ、1989)に詳しいので参照

*15) Hamel Gary & Prahalad C. K., “Competing for the future”, Harvard Business School Press, 1994(『コアコンピタンス経営』一條和生訳、日本経済新聞社、1995)に詳しいので参照

*16) Hammer Michael & Champy James, “Re-engineering the corporation”, Harpercollins, 1993(『リエンジニアリング革命』野中郁次郎訳、日本経済新聞社、1998)に詳しいので参照

*17) Collins Jim & Porras Jerry I., “Built to last”, Harper Bus, 1994(『ビジョナリー・カンパニー』山岡洋一訳、日経BP社、1995)に詳しいので参照

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岩粼 尚人

成城大学経済学部教授、経営学者

1956年、北海道札幌市生まれ。早稲田大学大学院商学研究科博士課程後期単位取得満期退学。東北大学大学院経済学研究科修了、経営学博士。経営学の研究に加え、企業のコンサルティング活動に従事。主な著書に、『老舗の教え』『よくわかる経営のしくみ』(ともに共著、日本能率協会マネジメントセンター)、『コーポレートデザインの再設計』(単著、白桃書房)などがある。