楽天の初代監督を務めた田尾安志氏【写真:産経ビジュアル】

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楽天は発足1年目の4月に11連敗…コーチ配転案に田尾安志監督は反発した

 楽天初代監督の田尾安志氏(野球評論家)は2005年のわずか1シーズンで解任された。新規参入球団の1年目は38勝97敗1分。戦力的にあまりにも他球団と差がありすぎた。4月と8月に11連敗を喫したが、いずれも球団フロントとゴタゴタした。開幕から約1か月で早くも辞表を手にした4月。休養の可能性があった8月。田尾氏にとっては「納得できないことが多かった」という。

2005年3月26日のロッテ戦(千葉マリン)、新規球団・楽天は記念すべき初戦に3-1で勝利した。エース・岩隈久志投手が5安打1失点で完投した。「でも次からは大変だろうなっていうのは読めていましたからね。(オーナーの)三木谷(浩史)さんはえらい喜んでいましたけど、そんなにうまくいくわけがないんでね」。2戦目(3月27日)は0-26の大敗。打線はロッテ・渡辺俊介投手の前に1安打に封じられた。「これが現実だろうなって思いましたね」。

 4月15日の日本ハム戦(東京ドーム)から、4月27日のオリックス戦(山形)まで11連敗。球団フロントが山下大輔ヘッドコーチの2軍監督、駒田徳広1軍打撃コーチの2軍打撃コーチへの配置転換を打ち出した。田尾氏は反発した。「『一生懸命、みんな同じ方向を向いてやっているけど、力がないから負けるんです。それをコーチの責任にするのは困る』と言いました。だけど『何かを変えないといけない』とか言って……」。

 ここで田尾氏は腹を括った。「山下さんはお金を稼ぐとかの意識じゃなくて、なんとかいいチームを作っていこうということで来てくれた人だし、ユニホームを脱ぐと言うかもしれないと思った。駒田にしてもそう。もし、そうなったら、僕もやめると決めたんです。山下さんには『僕の力が至らなかったから、こういうことになった。僕の責任でもあるので、1人ではやめさせません』と言って、その場合は僕もやめるという話をしました」。

 宏子夫人にも「ここでやめなかったらパパじゃないよ」と言われたという。「その次の日、辞表を持って球場に行きました。そしたら(米田)代表が来て『山下さんが2軍監督を引き受けてくれました』って。山下さんは(この人事が)僕の考えじゃないなって思って、考えてくれたんだと思います。それで何とか続いたんです」。開幕から1か月での辞任がギリギリで回避。いきなり、そんなスタートだった。

8月に2度目11連敗…島田球団社長の言葉に「それ、おかしいだろ」

 4月に5勝19敗、5月に7勝18敗、6月は8勝14敗と、他球団との力の差がありありの結果が続いた。7月は10勝9敗1分とひとつ勝ち越した。それでも「まぁ、あそこは何とかうまくいったんですけど、ベテランが多いので夏場は無理だろうと思っていましたよ」。悲しいかな予想通り、8月は3勝21敗と大きく負け越した。8月9日のオリックス戦(スカイマーク)から8月23日のオリックス戦(フルスタ宮城)まではシーズン2度目の11連敗を喫した。

 この時にもまた一悶着あった。「(球団フロントから)次のゲームも負けたら休養しろと言われた。球団の方針だから『わかりました』と言ったんですけど『じゃあ勝ったらどうするのか』と聞いたら『今まで通りやってほしい』というから『そんな薄っぺらいことしか考えられないのか』って話をしたんです」。納得いかない田尾氏は三木谷オーナーに電話も入れたという。

「オーナーは電話に出られなかったので、留守電に入れて家に帰ったら、島田(亨)球団社長から電話があって『休養の意味を取り違えていませんか。2、3日休養してほしいという意味合いの休養です』って言うから『それ、おかしいだろ』って言ったんですよ。何かそういうその場繕いが多すぎて、僕らの考えとちょっと違った。やっぱり野球人というものを全くわかっていないなって思いましたね」

 8月24日のオリックス戦(フルスタ宮城)に楽天は4-1で勝利。連敗が11でストップし、田尾監督の休養はそれで本当になくなった。だが、その後、球団との溝も深まっていき「そのうちに1年で解雇という形になったんです」という。いろんな経緯があったようで「(元ヤクルト、西武監督の)広岡(達朗)さんをGMに呼んで、そうなれば僕が2年目もやる予定だったんですが、その後、広岡さんの話が根本的になくなって、僕の2年目もご破算になった」とも……。

 もともと田尾氏は「僕はオーナーがやれと言っても、違うと思ったら、やりません。それが嫌だったら早くクビにした方がいいですよって話は(球団フロントに)していたんですよ」と言うが、3年契約だから、当然3年計画でチーム作りを考えていた。「1年目は与えられた戦力でやるしかないので、オフにどうなるか。自分の中で計算したものがいろいろあったので、それを実現できずに終わったのはちょっと残念でしたね」と口にした。

「まだシーズン中でしたけど、(ソフトバンク監督の)王さんや(ロッテ監督の)バレンタインに『来季に向けて補強したいんで、この選手を何とかなりませんか』って話もずっとしていました。かなり協力的で、僕が2年目をやっていたら、何人も楽天に来てもらえるだろうって思っていたんですけど、それも全部なくなったんですよね」。3年契約のはずが、まだ土台すらできていない段階の1年で終了。田尾氏にとっては、志半ばで終わった形になった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)