遅れてやってきた「大器」関根大輝が五輪代表で躍動! 日本代表右SBの有力候補に浮上
現在カタールで行なわれているU23アジアカップで準決勝に進出し、パリ五輪出場へ王手をかけたU−23日本代表。
パリ五輪でのメダル獲得はもちろん、近い将来、A代表での活躍も期待される選手たちがそろうチームにあって、ひと際ダイナミックなプレーが目を引く新鋭がいる。
右サイドバックの関根大輝だ。
U−23日本代表で輝きを増している関根大輝。photo by Getty Images
今季J1では、ルーキーながら開幕戦から先発の座を勝ち取り、以降、U−23代表の活動で柏を離れるまで、第7節までの全試合に先発出場している。そのプレーぶりは、新人離れした堂々たるものだ。
身長187cmと日本人選手としてはかなり大柄なサイドバックだが、本人曰く、「攻撃的なタイプで、攻撃が一番の特長」。スピードがあって、足元の技術にも長けており、長身ゆえの鈍重さはまったく見られない。
さらには優れた敏捷性に加え、クレバーさも併せ持つ関根は、従来の日本人選手のイメージを超えた、スケールの大きなサイドバックになりうる可能性をも感じさせる。
だからだろうか、彼の名前は大輝と書いて「ひろき」と読むが、自然と「たいき(=大器)」と読んでしまいそうになる。
今大会で関根が見せたプレーのなかで特に印象的だったのは、グループリーグ初戦、中国戦での先制点のシーンである。
この時、関根はピッチ中央でボールを持った山本理仁から直接パスを受けるつもりで、右サイドの内側、いわゆるインナーラップで走り込んできた。
関根自身が、「そこに(山本から)ボールが出てきたら、シュートまでいくっていう道筋が見えて走り込みました」と話しているとおりだ。
しかし、山本は関根へのパスを選択せず、その外に立つ山田楓喜へとパス。すると、「動きを止めないことを常に意識している」という関根は、「すぐにプランBじゃないですけど、どうやったら得点に近づけるかなって考えた時に、あのランニングが必要だなって感じました」。
動きを止めることなく、そのままニアゾーンへと走り抜けた関根は、一度山田からのパスを受けると、すぐさまリターンパスを戻す。関根のランニングによって時間的にも空間的にも余裕が生まれた山田は、正確なクロスをゴール前に送ることができ、松木玖生のゴールが生まれたのである。
好判断でゴールを"アシスト"した関根が振り返る。
「結果的に、あのランニングがあって、相手が自分についてきたことで(中国のDFラインが)押し下げられて、楓喜くんにも時間を作ることができた。今は常に考えてプレーができている状態ですし、自分のコンディションもすごくよくて、それに(体が)ついてきている状態なので、いい感じでプレーができています」
とはいえ、そんな関根も、サイドバックとしてのキャリアはまだ3年程度。静岡学園高時代はセンターバックが本職で、サイドバックに転向したのは「大学1年生の時」だというから驚きだ。
「今は松本大学でコーチをしている青木(智也)さんが、(関根が大学1年当時の)拓殖のヘッドコーチで、僕をコンバートしてくれたんです」
それまでにサイドバックの経験はなく、初めてコンバートを告げられた時は、「え〜!?って思った」というが、程なく「結構攻撃にも行けるし、違和感なくプレーできた。すごく楽しいなと思いました」。
大学入学当初は目標となり得なかったパリ五輪出場も、その後、大学選抜にも選ばれるなど、サイドバックとして頭角を現していったことで、「意識するようになりました」と関根。とりわけ大きな転機となったのは、昨年のアジア大会だったという。
「(1−2で敗れた決勝の)韓国戦が終わって、正直、全然レベルが違うなっていうのを感じてしまって......。日常から変えていかないと成長がないなって感じたので、大会から帰ってきたあとに(拓殖大の玉井朗)監督とお話しさせていただきました」
1日も早く、より高いレベルでプレーしたかった関根と、教え子のキャリアップを最優先に考えた玉井監督。話し合いの結果、「本当に快く送り出してもらえて、1年前倒し(での柏入り)になりました」。
昨年までの関根は、アジア大会に出場していることでもわかるように、必ずしもU−23世代の主力と呼ばれるような立場だったわけではない。
というのも、アジア大会に出場したU−23代表は大学生を中心とした、いわばBチーム的な位置づけの編成だったからだ。
「僕自身、やっぱり大学とプロでは本当に差があるなっていうのは感じていましたし、早いうちからプロのスピードでプレーしていかないと、どうしても世代のトップだったり、アジア大会で差を痛感した韓国だったりとやる時には、自分のプレーが出せないなっていうのは思っていました」
しかしながら、辛口の自己評価とは裏腹に、アジア大会での活躍を足がかりにチーム内での序列を徐々に上げていった関根は、今季J1での経験をさらなる推進力にして大きく飛躍。「プロのスピードに慣れてきたっていうのもあって、今は自分(の特長)を(U−23代表でも)すごく出せているのかなっていうのは思います」。
今大会では、準々決勝までの全4試合中3試合にフル出場。もはや"Bチームの一員"だった頃の姿はなく、同世代の精鋭が集うチームにあって不可欠な存在にまでなっている。
「大学のレベルじゃなく、プロのレベルでプレーしたほうがこの舞台に近づくっていうのは感じていましたし、そういう強い気持ちを持ってレイソルでもプレーできていたので、開幕からスタメンで出られて、それが評価されてこの代表につながってきた。常に目標を持ち続けてやってきたことが、ここまで一気に(台頭して)こられているところかなって思います」
2年前に時計の針を巻き戻せば、このチームの立ち上げ当初から、常連メンバーだったわけではない。それどころか、当時は代表に選ばれるような選手ではなかったと言ってもいいのだろう。
だが、遅れてやってきた右サイドバックは、今や攻守に出色の活躍を見せ、日本の8大会連続となる五輪出場に大きく貢献しようとしている。
「次(の準決勝のイラク戦)に勝たないと何も残らないというか、意味がない。僕自身、オリンピックっていうのは、ずっと憧れの舞台でもありますし、絶対に出たいっていう気持ちがあるので、次の試合、何が何でも勝って出場権を取りたいと思います」
森保一監督が率いるA代表に目を移せば、酒井宏樹がチームを離れて以降、右サイドバックは選手層が厚くなり、群雄割拠。菅原由勢、毎熊晟矢、橋岡大樹と、多彩な顔ぶれが熾烈なポジション争いを繰り広げている。
しかし、裏を返せば、まだまだ確固たる地位を築くに至った選手はおらず、決め手を欠く状態が続いているとも言える。
だとすれば、関根にチャンスが巡ってきても不思議はない。
パリ五輪をステップに、ポスト酒井の座を射止めるのは、案外伸び盛りの21歳かもしれない。