現代で強い影響力をふるっている「コスパ」という言葉だが、どこか薄っぺらく感じている人もいるはずだ(写真:ELUTAS/PIXTA)

若者言葉として浸透し、もはや誰もが目にする「コスパ」。できるだけ低コストで高い成果を得たいと思うのは当然だし、それが実現するなら素晴らしいことだ。しかし同時に、なんとなくコスパを信じきっておらず、どこか薄っぺらく感じている人もいるはずだ。

企業組織を研究する東京大学の舟津昌平氏は、経営学における効率(efficiency)と効果(effectiveness)の概念を用いて、コスパに傾倒する「コスパ主義」がなぜ危険なのか、どう回避すればよいのか指摘する。

本記事では、舟津氏の著書『Z世代化する社会』の内容に沿って、Z世代を中心として社会を席巻するコスパ概念について、その問題点を浮き彫りにする。

理解できるけど、どこかモヤモヤする「コスパ」


コスパ・タイパという言葉が浸透して久しい。コストパフォーマンス・タイムパフォーマンスの略語で、かけた費用・時間に対して得られる成果(パフォーマンス)の比率のことを指す。「コスパ」で検索すると、「コスパ最強の資格」とか、「コスパの良い受験勉強」とか、関連検索では「結婚」なんてワードすら出現する。結婚にもコスパを求める時代なのだ。

またコスパ・タイパは、Z世代と呼ばれる若者の特徴だとも言われる。Z世代「だけ」コスパ志向が強いような言い方をしつつ、実際は社会全体に浸透している気もするが……。という話を拙著『Z世代化する社会』では解説しているので、ぜひご一読いただきたい。それはおいておくと、このコスパという言葉は、現代で本当に強い影響力をふるっている。

少ない労力で大きな成果を得る、がコスパの本義だとしたら、そりゃ万人にとって良いことのはずであって、なんら非難されるようなことではない。だがしかし、コスパという概念を扱うとき、どうしても侮りが生まれるというか、薄っぺらさを感じてしまう方も少なくないだろう。

明らかに魅力的なのに、軽薄さも備えている。流行りに対してマジメに異議を唱えるのも難しいこの世の中で、この矛盾の謎について考えたい。

行きたくないです、コスパが悪いので


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「コスパ」が現実で、かつイマドキな感じで用いられそうな例を考えてみよう。職場で、上司が若手社員にアドバイスする。

「今度来られる方は、この業界のベテランで、とても経験ある方だ。夜に食事をご一緒できるみたいだし、気さくな方だから、ぜひお話を聞いてきたらいいよ」

ところが若手社員は、ぶぜんとして答えるのである。

「その経験とかの話って、2〜3時間や数千円使って得るようなものなんですかね? コスパ悪くないですか?」

そもそもそんな物言いは失礼でしょ、というまったく正当な意見は無視しておくと、上司はキレそうになる心を抑え、でも同時に納得感をもつかもしれない。まあ、考えてみると数千円は安くはないし、それだけの価値があるかと言われると……。数千円の本を買って読めって言われたら躊躇するしなあ。今まで自分は何千円も払って何度も飲み会に付き合ってきたけど、あれってすごくコスパ悪いのかもしれない。

そういう場合はだいたい多少は奢ってもらえるし、会社から補助が出ることもあるよ、とか細かい追加情報はあれど、たしかに「2時間3000円のコスパ」といざ突き付けられると、ウっとなってしまう。それはまったく安い買い物ではない。じゃあ、行く意味なんてなくなってしまう。若者の飲み会離れとか言うけど、これが、現代を支配するリアルなコスパの論理なのだ (ちなみに、若者は別に飲み会離れしていない。拙著参照)。

ここで、経営学の知見を紹介したい。企業組織の成果を測定するときによく用いられるのが、効率(efficiency)と効果(effectiveness)である。「効率」は日本語での用法ほぼそのままで、わかりやすい。ある程度結果が見えていることに対して、いかに効率よく結果を得るかを重視する考え方。「コスト削減」や「カイゼン」は発想が近く、日本のものづくり企業が得意としてきた分野である。コスパも、ニュアンスはちょっと異なるものの、効率にのっとった概念であるといえる。

対して、「効果」である。これはeffectivenessの訳語で、日本語で効果と言ってしまうとかえってわかりにくいので、ここでは意訳して「結果主義」とでも表現しよう。effectivenessは、「結果的に成果が得られたのか」を気にしている。つまり効率(efficiency)と効果(effectiveness)の違いとは、「費用(コスト)主義」か「結果主義」か、という違いだといえる。

「コスパさん」は「成果ゼロさん」?

具体例を考えよう。メーカーが、自社製品の販促のためにあるキャンペーンを実施した。1回目は、まあ大成功ではないが失敗でもない。そして、2回目のキャンペーンを行うかを合議している。「このキャンペーン、コストがかかりすぎているよね」ということが主な議題になるなら、これは費用主義だ。対して、「このキャンペーン、結局どのくらい効果あったんだっけ」というのが結果主義。もちろん常にどっちが妥当であるか決めることはできず、状況によって採用される基準は異なっている。

「これだけ費用がかかるなら止めよう」となることもあるだろうし、「結果的に少しでも顧客が増えるならやりましょう」という結論も納得できる。企業や部署の置かれた局面、あるいはKPIによって、どちらを優先すべきかは異なる。しかし、コスパ重視に偏りすぎると、前者ばかりを採用してしまうことになる。

すべての意思決定において費用主義を採用する「コスパさん」は、きっとこんな生き方をしている。

「あの資格、試験勉強のコスパ悪いので切りました。やる意味ないです」

「懇親会?仲良くなるために数千円ってコスパ悪いですよね。不参加で」

「結果が不透明な新しいことするのって、コスパ悪いんじゃないかな」

これらの物言いに嫌悪感をもった方もいれば、わりと共感できるという方もいるだろう。ただ気にしないといけないのは、コスパさんは、これらの意思決定の結果として特に何も得ていないという点だ。資格も取れてないし、同僚と仲良くもなれていない。新しいことにチャレンジして得たものもない。何も払っていない代わりに何も得ていない。コスパさんは悲しいことに、成果ゼロさんでもあるのだ。

「パなきコスパ」に気をつけて

コスパ志向をのたまう人々がどこか薄っぺらい原因も、ここにある。なんでもコスパで決めているから、ほとんどの機会を放棄してしまって、結局たいした成果は得られていない。コスパは「パ」も大事なのに、コスパ主義者は「コス」ばかり気にするケチんぼなのだ。「パなきコスパ」こそ、コスパ主義の最たる弊害だといえるだろう。

コスパはとても重要な概念だ。結果的に多くの成功を収めている企業や人も、コスパを気にしていないわけがない。ただ、そういった成功の多くは、費用主義と結果主義という二つの基準をうまく使い分けているから得られるものだ。ときには「急がば回れ」の結果主義で、コスパ主義者が卒倒しそうな効率の悪い努力を重ねて、やっと得られる成果もある。そして、そういう成果ほど他者(社)にはマネできない、模倣困難なものになる可能性が高い。だって、みんなそんなコスパの悪い努力をしないのだから。

10得るために10を費やしている状況から、それを9、8、7と減らしていくのが費用主義。ところがコスパ主義が行き過ぎると、その7や8がもったいなく感じて、努力を止めてしまう。結果的に得られる成果は0である。

みんな5を費やして10を得ている。じゃあ30費やしてでも15得たら、勝てるんじゃないか? コスパの時代である現代では人気のなさそうな考え方だが、ときにはそういう考え方もアリじゃないだろうか。というか、そういう考え方をしないと勝てない勝負もある。コスパコスパと誰もが標榜する世の中だからこそ、逆に泥臭い結果主義が優位に立つ可能性が高まるのだ。

大事なのは使い分けの妙

ただ、費用主義が悪くて結果主義が良い、と言いたいわけではない。結果主義が先鋭化すると、いずれ「24時間働けますか」と、過重労働を肯定する世の中になっていく。無限にコストをかけられるわけじゃないし、無限にコストを投入するのは愚策でもある。二択にするんじゃなくて、二つをうまいこと使い分ける器用さこそが求められる。

コスパはたしかに大事である。ただコスパのみに傾倒するんじゃなくて、費用主義と結果主義の長所短所を理解して使い分けないと、薄っぺらいヤツになってしまう。経営学は、そういうことも教えてくれている。

(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)