STU48の甲斐心愛が語るKLP48へ移籍を決意した理由「アイドル文化の輪を広げていくのが役割」
STU48の甲斐心愛が、今年6月にマレーシア・クアラルンプールを拠点に活動するKLP48へ移籍することを発表した。これまでSTU48の1期生としてグループを牽引してきたが、なぜ移籍を決意したのか? 話を聞いた。
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甲斐 13歳でSTU48に加入して、今は20歳になりました。この7年で同期(1期生)よりも後輩が3倍くらいになって、いつの間にか自分も先輩になっていました。自然と将来のことを考えるようになったんですけど、お仕事で東京へ行ったり、個人のお仕事でグループの外の世界を見てきて、今の環境とは違う場所を意識するようになりました。そう思っていたところに、今年の元日、KLP48がマレーシアで結成されるというニュースを見たんです。「これは運命じゃ!」と思って、すぐマネージャーさんに「行きたいです!」と連絡しました。クアラルンプールじゃなくても、手を挙げていたと思います。
甲斐 そうです。STU48を卒業したら、広島の地元密着タレントとしてやっていくのか、上京するのか、芸能界はもうやらないのかなとか、ぼんやり考えていました。出た結論は「アイドルをするのが好き」ということでした。アイドルとしていろいろな方と関わりながら、ステージに立って歌って、お話会でお話しして、「心愛を見ていると元気が出る」と言ってもらえるのが嬉しかったんです。
甲斐 はい。もともとアイドルに興味がないままSTU48に入ってきました。1期生のお姉ちゃんには「クソガキ!」って呼ばれていて、少年みたいな中学生でした。アイドルっぽくはなかったと思うけど、活動を続けていくうちに、だんだんアイドルとして認めてもらえるようになっていきました。7年続けてきて、自分でも自分のことをアイドルとして認めてあげられるようになりました。自分はアイドルだっていう自覚が芽生えてきたんですけど、遅いですよね(笑)。
甲斐 そうかもしれないです。私はデビュー曲『暗闇』では選抜に入れなくて、初期はずっともがいていました。その後、熱心なファンの方に支えてもらって、去年から『ZIP!』のレギュラーをいただいたり、(広島東洋)カープの始球式をさせていただいたりして。STU48の活動では選抜に入れるようになったし、写真集を出すこともできました。お仕事に恵まれたので、この環境ではやり切ったなと思いました。
甲斐 「私、マレーシアに行くけぇ」って言ったら、「どういうこと⁉」ってなりました。「マレーシアに48グループが新しくできるけぇ、そこに行くことになった」と言ったら、「遊びに行くんじゃなくて⁉」「移住するの⁉」って驚いていました(笑)。でも、すぐに「もう決まったことなら頑張って行ってきんしゃい。若いうちしかできんし」って背中を押してくれました。
甲斐 寂しがってくれました。慕ってくれている久留島優果ちゃんは「ほんとは寂しいんですよぉ。ファンとして応援しますね」と言ってくれます。
甲斐 東南アジアにはジャカルタのJKT48、バンコクのBNK48、他にも48グループがあって、隣国のマレーシアでも日本のアイドル文化はかなり浸透しているみたいです。私たちは日本発のアイドル文化の輪を広げていくのが役割だと思います。
甲斐 ZOOMでマレー語を習っています。「じぇけぇ」は伝わらないので(笑)。マレーシアはマレー語と英語と中国語が主に話されていて、みんなが集まった時にしゃべるのは英語だけど、色々な言語で会話できるようになったらいいなと思っています。特にマレー語は地元の言葉なので覚えたい。東京ドームの試合でカープの選手がヒーローインタビューで広島弁を使ったら、広島県民は嬉しいじゃないですか。
甲斐 3割打てるように頑張ります! あと、文化について勉強したら、日本のアニメが人気らしいんです。そこで、初めて『ONE PIECE』を見始めました。そしたら、まんまとハマってしまって(笑)。毎日見ています。
甲斐 海賊王になります! 移籍することが決まって、「私、ルフィじゃない?」って思うようになって(笑)。今の自分って、アニメの第1話みたいじゃないですか。仲間たちとこれから冒険に出る気分です。
甲斐 私も発表されてからメンバーを知りました。ずんちゃん(山根)さんにすぐ連絡を取ったら、「一緒に活動できるのが楽しみ」と言ってくれました。
甲斐 後輩たちは「1期生さんに話しかけるのは緊張する」と言っているんですけど、私には全然緊張していないです(笑)。でも、ダンスができていないときは、私が3期生を集めて、「気が引き締まってないけぇ、これが最後のステージだと思って立つように、みんなで頑張ろう」って言ったことがあります。そしたら、部活みたいに「はい! はい!」って返事してくれたんですけど、私の話はもう終わったのに、まだ続きがあるみたいな雰囲気になっちゃって、どうしたらいいかわかんなくなって、しゃがみながら「私の話は以上でーす」って去っていきました。ダサい(笑)。でも、そういうことは誰かが言わないといけないので、自分がやるしかないと思って言いました。あとから後輩には「あのとき、言ってくださってありがとうございました」って感謝されました。
甲斐 調べたら、人前で叱るのはタブーらしいんです。裏でこそっと伝えるのがいいみたいで。こうなったら明るさで引っ張るしかないです。まあ、でも、何も心配はしていません。
甲斐 はい。みんなに心配されるんですけど、何が不安なんですかね? 人間だったら心で話せるから大丈夫です!
甲斐 1期生は残り6人になります。でも、私がいることで前に出られないメンバーもいたから、後輩はチャンスだと思ってほしいです。残りの時間で後輩たちと一緒のステージに立って、ステージは楽しいんだよということを伝えたいです。
甲斐 ギリギリまで出演すると思います。でも、MBSラジオさんには2年もお世話になりました。1年目は違う番組に出て、いろんな方と知り合えました。外の世界を知って、刺激を受けました。よゐこの有野(晋哉)さんもかわいがってくれました。2年目は、茺口(優)さんやぼる塾さん、敦士さん、渡辺みり愛さんにお世話になりました。
甲斐 そうです。「海外、めっちゃいいじゃん!」って言ってくれました。ぼる塾さんには「大丈夫? 騙されそうなんだけど」って心配されました(笑)。
甲斐 仲のいいグループにしたいです。家族みたいに何でも言い合えるようになったらいいな。皆さんも遊びに来てください!
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──KLP48への移籍を発表しました。決断に至った流れを教えてください。
甲斐 13歳でSTU48に加入して、今は20歳になりました。この7年で同期(1期生)よりも後輩が3倍くらいになって、いつの間にか自分も先輩になっていました。自然と将来のことを考えるようになったんですけど、お仕事で東京へ行ったり、個人のお仕事でグループの外の世界を見てきて、今の環境とは違う場所を意識するようになりました。そう思っていたところに、今年の元日、KLP48がマレーシアで結成されるというニュースを見たんです。「これは運命じゃ!」と思って、すぐマネージャーさんに「行きたいです!」と連絡しました。クアラルンプールじゃなくても、手を挙げていたと思います。
──将来について考えていたんですね。
甲斐 そうです。STU48を卒業したら、広島の地元密着タレントとしてやっていくのか、上京するのか、芸能界はもうやらないのかなとか、ぼんやり考えていました。出た結論は「アイドルをするのが好き」ということでした。アイドルとしていろいろな方と関わりながら、ステージに立って歌って、お話会でお話しして、「心愛を見ていると元気が出る」と言ってもらえるのが嬉しかったんです。
──今後もアイドルは続けるわけですからね。
甲斐 はい。もともとアイドルに興味がないままSTU48に入ってきました。1期生のお姉ちゃんには「クソガキ!」って呼ばれていて、少年みたいな中学生でした。アイドルっぽくはなかったと思うけど、活動を続けていくうちに、だんだんアイドルとして認めてもらえるようになっていきました。7年続けてきて、自分でも自分のことをアイドルとして認めてあげられるようになりました。自分はアイドルだっていう自覚が芽生えてきたんですけど、遅いですよね(笑)。
──写真集が今年2月に発売されましたが、それも移籍のきっかけになりましたか?
甲斐 そうかもしれないです。私はデビュー曲『暗闇』では選抜に入れなくて、初期はずっともがいていました。その後、熱心なファンの方に支えてもらって、去年から『ZIP!』のレギュラーをいただいたり、(広島東洋)カープの始球式をさせていただいたりして。STU48の活動では選抜に入れるようになったし、写真集を出すこともできました。お仕事に恵まれたので、この環境ではやり切ったなと思いました。
──ご家族の反応は?
甲斐 「私、マレーシアに行くけぇ」って言ったら、「どういうこと⁉」ってなりました。「マレーシアに48グループが新しくできるけぇ、そこに行くことになった」と言ったら、「遊びに行くんじゃなくて⁉」「移住するの⁉」って驚いていました(笑)。でも、すぐに「もう決まったことなら頑張って行ってきんしゃい。若いうちしかできんし」って背中を押してくれました。
──メンバーの反応は?
甲斐 寂しがってくれました。慕ってくれている久留島優果ちゃんは「ほんとは寂しいんですよぉ。ファンとして応援しますね」と言ってくれます。
──マレーシアのアイドル事情ってどんな感じなんですか?
甲斐 東南アジアにはジャカルタのJKT48、バンコクのBNK48、他にも48グループがあって、隣国のマレーシアでも日本のアイドル文化はかなり浸透しているみたいです。私たちは日本発のアイドル文化の輪を広げていくのが役割だと思います。
──語学の勉強はしていますか?
甲斐 ZOOMでマレー語を習っています。「じぇけぇ」は伝わらないので(笑)。マレーシアはマレー語と英語と中国語が主に話されていて、みんなが集まった時にしゃべるのは英語だけど、色々な言語で会話できるようになったらいいなと思っています。特にマレー語は地元の言葉なので覚えたい。東京ドームの試合でカープの選手がヒーローインタビューで広島弁を使ったら、広島県民は嬉しいじゃないですか。
──甲斐さんは助っ人外国人みたいな感じですかね。
甲斐 3割打てるように頑張ります! あと、文化について勉強したら、日本のアニメが人気らしいんです。そこで、初めて『ONE PIECE』を見始めました。そしたら、まんまとハマってしまって(笑)。毎日見ています。
──海賊王になりますか(笑)。
甲斐 海賊王になります! 移籍することが決まって、「私、ルフィじゃない?」って思うようになって(笑)。今の自分って、アニメの第1話みたいじゃないですか。仲間たちとこれから冒険に出る気分です。
──AKB48からは3人(行天優莉奈、黒須遥香、山根涼羽)がKLP48に移籍しますね。
甲斐 私も発表されてからメンバーを知りました。ずんちゃん(山根)さんにすぐ連絡を取ったら、「一緒に活動できるのが楽しみ」と言ってくれました。
──これからKLP48 で後輩たちができるわけですが、STU48では後輩にどう接してきましたか?
甲斐 後輩たちは「1期生さんに話しかけるのは緊張する」と言っているんですけど、私には全然緊張していないです(笑)。でも、ダンスができていないときは、私が3期生を集めて、「気が引き締まってないけぇ、これが最後のステージだと思って立つように、みんなで頑張ろう」って言ったことがあります。そしたら、部活みたいに「はい! はい!」って返事してくれたんですけど、私の話はもう終わったのに、まだ続きがあるみたいな雰囲気になっちゃって、どうしたらいいかわかんなくなって、しゃがみながら「私の話は以上でーす」って去っていきました。ダサい(笑)。でも、そういうことは誰かが言わないといけないので、自分がやるしかないと思って言いました。あとから後輩には「あのとき、言ってくださってありがとうございました」って感謝されました。
──マレーシアは文化が違うでしょうから、どう接すればいいんですかね。
甲斐 調べたら、人前で叱るのはタブーらしいんです。裏でこそっと伝えるのがいいみたいで。こうなったら明るさで引っ張るしかないです。まあ、でも、何も心配はしていません。
──何も⁉
甲斐 はい。みんなに心配されるんですけど、何が不安なんですかね? 人間だったら心で話せるから大丈夫です!
──STU48も形が変わっていきますね。
甲斐 1期生は残り6人になります。でも、私がいることで前に出られないメンバーもいたから、後輩はチャンスだと思ってほしいです。残りの時間で後輩たちと一緒のステージに立って、ステージは楽しいんだよということを伝えたいです。
──ラジオ番組『イマドキッ ドゥフドゥフナイト』(MBSラジオ)はどうなっちゃうんですか?
甲斐 ギリギリまで出演すると思います。でも、MBSラジオさんには2年もお世話になりました。1年目は違う番組に出て、いろんな方と知り合えました。外の世界を知って、刺激を受けました。よゐこの有野(晋哉)さんもかわいがってくれました。2年目は、茺口(優)さんやぼる塾さん、敦士さん、渡辺みり愛さんにお世話になりました。
──渡辺みり愛さんとは食事に行く仲ですよね。
甲斐 そうです。「海外、めっちゃいいじゃん!」って言ってくれました。ぼる塾さんには「大丈夫? 騙されそうなんだけど」って心配されました(笑)。
──KLP48 がどんなグループになったら嬉しいですか?
甲斐 仲のいいグループにしたいです。家族みたいに何でも言い合えるようになったらいいな。皆さんも遊びに来てください!
【あわせて読む】STU48 甲斐心愛、マレーシア・クアラルンプールが拠点のKLP48へ移籍「ここに行きたい!と率直に」