高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第1回

 2021年から続くオリックス・バファローズのリーグ3連覇の裏には、ある名投手コーチの手腕があった。

 高山郁夫さん、61歳。ソフトバンク投手コーチ時代には攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の「SBM」を確立するなど投手陣を整備。オリックスでも対話を重視した指導法で、山本由伸(現・ドジャース)ら個性豊かな投手陣をサポートした。

 昨季限りで惜しまれつつも18年にわたる単身赴任生活に区切りをつけ、現在は自宅のある都内を中心に活動する高山さん。その指導理念に迫るシリーズ企画がスタートする。第1回はプロ1年目の秋から携わってきた山本由伸との接し方を聞いた。


メジャーデビュー戦は1回5失点とほろ苦いものとなった山本由伸 photo by Getty Images

【メジャーの壁には絶対にぶち当たる】

── オリックスコーチ時代の教え子である山本由伸投手のMLB1年目。高山さんはどのように見ていますか?

高山 世界一のリーグですし、環境に慣れることを含めて「壁には絶対にぶち当たる」と考えていました。もちろん、それは本人も百も承知でしょうし、自分のなかでフィットするものを見つけ出してほしい。とにかく、焦らずにやってほしいですね。

── そんななか、3月21日のメジャー初登板は1回5失点と、NPB時代を思えば信じられないデビューになってしまいました。

高山 マウンドでの顔を見て、「いつもの由伸じゃないな」と感じてしまいました。平常心ではなく、相手を見下ろして投げているように感じられませんでした。MLBのボールや対戦相手に加えて、慣れない韓国のマウンドに対応しなければならない。そんな環境面の不安からか、あの日に限ってはリリースポイントへの怖さがあったように感じました。あれだけコントロールを乱すなんて、考えられませんから。

── オリックス時代はどう見えていたのでしょうか。

高山 マウンドでは常に強気な態度でしたし、本人も弱点を見せないように努力していたはずです。それがデビュー戦で出せなかったのは、MLBのレベルの高さなのでしょう。ただ、オープン戦から結果も出ていませんでしたし、本人としても織り込み済みだと思います。ここから由伸らしく、対応していってくれるでしょう。

── 実際に2回目の先発機会で、本拠地デビューとなった3月30日は5回無失点と好投を見せています。

高山 オープン戦での内容が悪かったからか、韓国での由伸はグラブをベルト付近にセットするフォームに変えていました。結果的にトップの位置、タイミングが合わずに崩れた感がありました。でも2戦目は、セットの位置を元の胸の前に戻したことでリリースが安定し、躍動感がありましたね。配球的にはカーブの比率を増やして、緩急を意識した投球をしているように見えました。これから多少時間はかかったとしても、トップのメジャーリーガーに成長してもらいたいですね。

【基本的に選手はいじらない】

── 高山さんが山本投手を初めて見たのは、プロ1年目(2017年)の秋季キャンプということですね。第一印象を教えてください。

高山 福良さん(淳一/当時監督、現GM)から「すごい球を投げるピッチャーがいる」と聞いて、見せてもらったのが由伸でした。プロ1年目から一軍で5試合に先発登板していましたし、すばらしいボールを投げていました。ただ、当然ながら体ができていなかったので、コントロールはバラバラでしたね。

── 投球フォームはいかがでしたか?

高山 当時は今のような「やり投げ」の要素は入っていなくて、トップをつくって上から下へと投げ下ろす普通の投球フォームでした。どちらかと言うと、左足を突っ張る下半身の使い方のほうが引っかかりました。左足を突っ張ることでボールのスピードを生む反面、体重移動が難しくなりますので。

── そうした問題点は山本投手に伝えたのですか?

高山 いえ、伝えていません。

── そうなんですか?

高山 私は基本的に、選手をいじりません。プロに入ってくる投手は、スカウトが「いいものがある」と評価して獲ってくるわけです。重大なケガをするリスクがある場合は別ですが、本人がSOSを発してくるまでは観察に徹します。それまではコミュニケーションをとり続け、選手から相談を受けた時に自分の考えを伝えられるように選手がどう投げているかを観察しておくんです。

── いきなり技術指導をすることはないのですね。

高山 向こうもコーチを観察していますから。コミュニケーションは絶対に必要だと感じます。由伸には「すばらしいボールを放るなぁ」と言っていましたよ(笑)。

── コミュニケーションをとるなかで、山本投手からSOSを発することはあったのでしょうか?

高山 ありません。あの子は絶対に弱音を吐かないんです。かといって、「自分のことは放っておいてくれ」というような変わり者の一匹狼タイプでもない。自然体で明るく、周囲とコミュニケーションがとれて、模範的な対応ができる選手でした。言い訳や人の悪口も聞いたことがありません。

【ヒジに負担のかからない投げ方を模索】

── プロ2年目以降の山本投手は順調に階段を上ったように見えましたが、実際はどうだったのでしょうか?

高山 2年目の春季キャンプに入る前、由伸の自主トレを見た関係者から「変な投げ方を練習している」と聞いたんです。室内練習場でこっそりと、やり投げみたいな投げ方で練習していると。

── 高山さんの目には、どう映ったのですか?

高山 遠投を見たら、トップをとらずに左肩を開いて右腕を真っすぐに伸ばす投げ方になっていました。強いスライス回転のかかったボールを投げていましたね。

── 前年の秋季キャンプでは、腕の振りはまったく問題なかったわけですよね。いきなり腕の振りが変わっていたら、コーチとして面食らったのではないでしょうか。

高山 心配だったのは肩・ヒジの故障でした。いつか肩・ヒジをケガする前に言ってやらないと......という思いはありました。周りもそう思っていたはずです。

── 実際に本人に指摘はしたのですか?

高山 何日かして、「肩、ヒジはどうだ?」と尋ねました。すると由伸は、自分が思い描いている投げ方へと変えている途中なんだということを説明してくれました。完成するまでの間、見守ってほしいというニュアンスを感じました。

── 本人のなかで、はっきりとした考えがあったと。

高山 由伸はプロ1年目にスライダーが得意だったのですが、一度登板すると10日間くらい空けないとヒジのダメージが回復しないという課題がありました。その問題を補うために、ヒジに負担のかからない投げ方を模索し始めていたんです。

第2回につづく>>


高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した