東京と大阪の「京橋駅」同じ名前でも大きな違い
大阪環状線と京阪本線が交差する京橋駅のJR北口付近。京阪の京橋駅出入り口は画面右手にある(筆者撮影)
関東と関西には、日本橋のように同じ名前の駅がいくつかある。多くの場合、東京圏と大阪圏の人口規模の違いを反映して、関東の駅のほうが、乗降客数が多い。しかし中には例外もある。京橋駅はその1つだ。
東京都の京橋駅に乗り入れるのは、東京メトロ銀座線のみであり、2022年度は約4.5万人が利用した。東京メトロ単独駅130駅中76位なので、中堅どころと言える。
大阪の京橋駅は交通結節点
対する大阪府の京橋駅は、JR西日本大阪環状線・片町線(学研都市線)・JR東西線、京阪電気鉄道京阪本線、大阪メトロ長堀鶴見緑地線と5路線が乗り入れる交通結節点である。
乗降客数はJR西日本だけでも10万人を超え、同社では大阪、京都、天王寺、三ノ宮に続く第5位。京阪は14万4394人(2022年11月8日調査)が利用しており、淀屋橋駅(8万8203人)や枚方市駅(8万2784人)を上回って京阪全駅でトップに君臨している。
京阪の広報部に聞くと「乗降客数が多いのは他社との乗換駅であることが大きい」という答えが返ってきた。
たしかに大阪府内で京阪とJRが接続するのは京橋駅だけであり、京阪沿線から大阪梅田や天王寺、片町線沿線から北浜や中之島方面へ向かう際には、ここが乗換駅になるだろう。加えて駅の南を流れる寝屋川を歩道橋で渡った先、大手企業が拠点を置く大阪ビジネスパークへの通勤利用も多そうだ。
駅名の由来になったのはどちらも橋である。ただし大阪の京橋は、京橋駅のそばにはない。最寄り駅は京阪本線で1つ西の天満橋駅になる。大川(旧淀川)に寝屋川が合流する直前に、大阪城に通じる橋がある。これが京橋で、京街道の出発地でもあったことから、この名がつけられたという。
背後に大阪ビジネスパークと大阪城天守閣を望む京橋。最寄りは京橋駅の1つ西隣の天満橋駅(筆者撮影)
天満橋駅から寝屋川を渡り京橋駅方面(画面奥)に向かう京阪特急(筆者撮影)
東京の京橋は現存しない
東京の京橋は現存しない。首都高速道路の一部として民間資本で作られた東京高速道路の建設のために、川が埋め立てられたからだ。ただし橋のあった場所には、欄干の親柱が残されている。こちらは日本橋を出て京都に向かう東海道の最初の橋ということで、京橋という名前になったそうだ。
東京・京橋の親柱と東京高速道路(筆者撮影)
駅の歴史は大阪の京橋のほうが古く、1895年、当時は大阪鉄道だった大阪環状線の開通とともに、同じ年の少し前に走り始めた片町線(当時は浪速鉄道)との交点に生まれている。
ただしこの時点では、片町線の京橋駅は設けられなかった。その後、500mほど西にあった終点の片町駅の構内扱いとして京橋口乗降場が生まれ、これが京橋駅に格上げされたという。
大阪・地上駅時代の京阪京橋駅があった付近。庶民的な雰囲気の店舗が並ぶ(筆者撮影)
京阪の京橋駅は、1910年に路線の開業とともに生まれた。現在の場所ではなく、名前のとおり橋の近くにあったが、起点の天満橋駅、片町駅の近くにあった野田橋駅(後に片町駅に改称)に近いことから、まもなく廃止されてしまう。
場所が移った京阪京橋駅
大阪環状線に近かったのは、同線のやや東に位置していた蒲生駅だった。この駅がその後、環状線に近づけられ、第2次世界大戦後の1949年に京橋駅と改称。さらに1960年代の高架化とルート変更、片町駅廃止と同時に、環状線の西側に駅が移った。つまり現在の京阪京橋駅は3代目ということになる。
その後1990年代に大阪メトロが地下に乗り入れ、JR東西線が開通し、片町〜京橋間を廃止した片町線と直通運転を始めたというのが現在の姿だ。
東京の京橋駅が生まれたのは、京阪の京橋駅が空白期間だった1932年のこと。東京メトロの前身のひとつである東京地下鉄道が開業させた。
東京・京橋交差点にある東京メトロ銀座線出入り口(筆者撮影)
東京地下鉄道は松坂屋上野店や日本橋三越本店など、百貨店の直下に駅を設け、地上に出ることなく店内に行けることをアピールしていた。京橋も例に漏れず、関東大震災後からこの地に本社を構えていた明治屋の地下に駅が置かれた。
現在も事務所や店舗が入っている明治屋京橋ビルは、京橋駅の1年後に竣工した。つまり同時並行で工事が進んでいたことになる。鉄骨鉄筋コンクリート造のこの建物は、建物の地階と地下鉄駅とを連絡させて設計・施工した、現存する最古の民間ビルになっているという。
銀座線京橋駅と同時期に建てられた明治屋(筆者撮影)
今も銀座線に乗ると、「次は京橋、明治屋前です」という車内アナウンスが流れるのは、こうした構造によるところが大きそうだ。
再開発が進んだ東京の京橋駅
東京の京橋駅周辺はビジネス街であるが、昔は大きな建物はなく、明治屋がこの地域の象徴的存在だった。しかし近年は、明治屋の西側にある地上32階の京橋エドグラン、東京高速道路の近くにある24階建ての東京スクエアガーデンなど、高層ビルが目立っている。これらはいずれも地下通路で駅と直結している。
東京スクエアガーデン(手前)と京橋エドグラン(筆者撮影)
とはいえ東京の京橋駅は中央通りの下に銀座線ホームがあるだけで、駅の構造は大阪の京橋駅のほうがはるかに複雑だ。大阪環状線に対して北から順に長堀鶴見緑地線、京阪本線、片町線・JR東西線がほぼ直交している。
地下にあるのは長堀鶴見緑地線だけで、地平に片町線・JR東西線が走り、大阪環状線がオーバークロスし、京阪本線のホームは駅ビルの4階にある。駅ビル内の「京阪モール」は、日本で初めて「モール」を冠した商業施設だそうだ。
大阪の京橋駅は各交通事業者とも複数の出口を持つが、メインはJR北口と京阪中央改札口になるだろう。
JRの北口は大阪環状線の高架下にあり、西側に出ると目の前に京阪中央改札口、その右に大阪メトロの階段がある。頭上は京阪本線のガードで覆われているので雨でも濡れない。バスやタクシーの乗り入れがないことを除けば、便利で快適な空間だ。
独特な雰囲気に惹かれる
しかし関西で暮らす人の多くは、同じ北口の東側を思い浮かべるだろう。細いアーケードが何本も通り、庶民的な飲食店が並ぶ。地上駅時代の京阪京橋駅の跡地に建つ「グランシャトー」を含めて、昭和レトロというフレーズがピッタリくる空間だ。
大阪の京橋駅東側の商店街。アーケードの通りにたくさんの店舗が軒を連ねる(筆者撮影)
この地区について京阪広報部に聞くと「これまでは年配の方々が多かったが、最近はインバウンドの客も目立つようになった印象がある」と、独特の雰囲気に惹かれて訪れる観光客も増えていることを教えてくれた。
高架下の商店街「エル京橋」は京阪グループの京阪流通システムズが手がける(筆者撮影)
大阪の京橋にも再開発計画
大阪の京橋も再開発の話がある。京阪ホールディングスは2023年3月策定の長期経営戦略で「大阪東西軸復権」を重要施策に挙げ「京都への玄関口で大阪城に近接する京橋から再生医療拠点をめざす中之島を経て、IR計画のあるベイエリアに至る大阪東西軸に沿って、地域の特色を活かした都市開発を推進」する方針を示した。
JR東西線の線路脇にあったイオン京橋店の跡地も再開発が予定されている。こちら側では片町線・JR東西線の地下化も計画されている。
東西の京橋の個性の違いは、インターネット検索でもうかがい知れる。YouTubeでは大阪の京橋を対象とするコンテンツが多くヒットする。大阪の京橋はビジネスに加えてエンタメの街というキャラクターの一面が強いことが伝わってくる。再開発が進んでも、大阪の京橋は独特の世界観を保ってほしいと、東京人のひとりとして願っている。
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(森口 将之 : モビリティジャーナリスト)