2024年4月10日、辞表提出後に記者会見を終えた静岡県の川勝平太知事(写真:時事)

静岡県の川勝平太知事が4月10日、県議会の中沢公彦議長に辞表を提出した。1日、県庁の新入職員への訓示で職業差別と取られかねない発言をしたことが辞任の引き金となったが、3日の辞任会見や10日の定例記者会見では、「リニア中央新幹線の問題に一区切りついた」ことも辞任の理由の1つに挙げた。

リニア問題「一区切り」とは?

「一区切り」とは何を指すのか。川勝知事が静岡工区の着工を認めない根拠の1つとしてきた南アルプスの生物多様性への影響などについて、県は「47項目のうち30項目で対話が終わっていない」としているので、この問題ではない。「一区切り」とは、3月29日に国土交通省で開催されたモニタリング会議でJR東海の澤田尚夫常務執行役員が「静岡工区の着工から開業まで10年程度かかる」と説明したことだ。今すぐ着工しても品川―名古屋間の開業は2034年となる。さらに、矢野弘典座長から静岡工区の工事の進め方について問われると、高速長尺先進ボーリングに3〜6カ月、工事ヤードの整備に6カ月、トンネル掘削工事に10年程度、ガイドウェイ設置工事などについて2年程度かかるという見方を示した。

この発言を受け、川勝知事は3日の会見で「2027年というくびきが外れた。JR東海の事業計画は根本的に崩れた。今から工事を始めても13年弱かかり、静岡工区の完了は2037年になる」と話した。どうやら、JR東海が2027年開業という旗印を下ろしたことをもって、一区切りついたと考えているようなのだ。

ただ、本当にそれが目的であれば、JR東海は2020年6月に2027年の開業が間に合わないことを実質的に認めている。そもそもJR東海は2017年11月に静岡工区の工事契約を締結し、この時点で着工から開業まで10年という見方を示していた。その後、2020年6月に「今月中の着工が2027年開業のギリギリのタイミング」として、川勝知事にトンネル工事の前段階としてヤード整備の許可を願い出た。本来なら全体の工事は10年かかるところ、人材や機材をやりくりしてすべての工程が順調に進めば2027年に間に合う可能性があると判断したためだ。しかし、この提案は拒否され、2020年6月の時点で2027年開業は事実上不可能となった。

2023年12月、JR東海は「2027年」とされていた品川―名古屋間の開業時期を「2027年以降」に変更することを国土交通省に申請し認可を得た。開業が遅れることが「事実上」ではなく、正式に決まった。

川勝知事はこの時点で「JR東海は旗印を下ろした」と宣言してもよかった。しかし、JR東海は具体的な開業時期について明示しなかった。静岡工区がいつ着工できるかわからない以上、明示しないのは当たり前なのだが、なぜか川勝知事は「以降」と書いてあるのだから、「2027年開業の旗印を下ろしていない」と受け止めた。今回、「今から始めても10年かかる」という発言で、川勝知事はようやく「一区切りついた」と納得した。


2024年2月7日、国土交通省の村田茂樹鉄道局長(右)と会談する川勝知事(記者撮影)

工事「13年弱」JR東海は否定

以上のことからわかるとおり、3月29日のJR東海の発言は川勝知事が「一区切り」というほど重要なものでもない。JR東海は「今から工事を始めても10年」の根拠について、2017年時点の計画をそのまま適用しているにすぎない。2020年6月の段階では7年に短縮できる可能性があると考えていたが、長野県内や山梨県内の工事の状況から判断すると現在では短縮は難しいとしている。さらに、川勝知事がそれぞれの手順を単純に足して13年弱としていることについては「並行して進めることができる作業もあるため実際には10年程度」としており、川勝知事の13年という発言を否定している。

静岡のせいでリニア開業が遅れるという批判をかわすため、川勝知事は神奈川県駅(仮称)と山梨県駅(仮称)の間を先行開業させる構想を唱えてきた。リニア問題は一区切りついたと主張する川勝知事に対し、「部分開業させることが目的ではなかったのか」という質問が10日の会見で報道陣から出た。

川勝知事は「私が勝手に言っているわけではない」として、2010年5月に開催された国のリニア中央新幹線小委員会でJR東海が「(神奈川県駅と山梨県駅の間にある山梨リニア)実験線の延伸完成から間断なく(品川―名古屋間の工事に)着手することが重要」と説明していることを踏まえ、「延伸完成とは駅と駅がつながって営業できるようになることを指す」と述べ、部分開業はJR東海のアイデアだとした。しかし、実験線の延伸完成とは2008年に工事が始まり2013年に完成した42.8kmへの延伸工事のことである。この点でも川勝知事の発言は正しくない。


リニア中央新幹線神奈川県駅の工事現場を視察する川勝知事(右から二人目)(記者撮影)

それはさておき、南アルプスの生物多様性の議論を道半ばで放り出し、矢野座長に後を任せるという。では、矢野座長が川勝知事の意に沿う形でモニタリング会議を進めるのだろうか。さすがにそれは考えにくい。NEXCO中日本の元会長として実務経験を持つ矢野座長は3月29日のモニタリング会議でも「小異を捨てて大同につくという精神で進めてほしい」と発言している。小異というのが県が協議が必要と主張する30項目であるのは明らかだ。

川勝知事の辞任に合わせるかのように、県の専門部会が12日、昨年10月以来半年ぶりに開催された。後任知事の意向次第では今後の議論の方向が着工容認に傾く可能性もある。

では、南アルプスの環境などの問題ではなく、JR東海が事業計画を変更したことをなぜ「一区切りついた」というのだろう。その理由として1つ思い当たるのが、富士山静岡空港をめぐる川勝知事とJR東海の確執だ。リニア計画決定前の2010年7月、ルートや経済効果などを検討する国の会議に川勝知事が参加し、東海道新幹線が富士山静岡空港の真下を通っていることを踏まえ、空港に隣接した新駅を設置する提案を行った。2011年5月に同会議がまとめた報告書には東海道新幹線の「新駅設置の可能性」について触れられていた。場所についての記載はないが、川勝知事はリニアが開業すれば空港の真下に新駅ができると信じた。

知事が示した「リニア工事の代償」

川勝知事は空港新駅設置に向け、2015年6月から有識者からなる技術検討委員会をスタートさせた。新駅完成後は県庁の一部機能を空港近くに移転する案まで飛び出した。しかし、JR東海は空港新駅構想には一貫して否定的であり、川勝知事のリニアに対する姿勢も次第に硬化。業を煮やした川勝知事は2016年9月の県議会答弁で、「リニアと既存の新幹線との関係にも念頭を置きながら、JR東海が静岡県のために何ができるか」と発言し、新駅とリニア問題をセットにしてJR東海に働きかけを行っていく意向を示した。それもうまくいかず、その結果が、2017年10月の突然の反対表明である。

2019年6月の定例会見では川勝知事は「リニア工事は静岡県にまったくメリットがなく、工事を受け入れるための“代償”が必要」と発言、具体的な代償の内容について「各県の駅建設費の平均くらいの費用が目安になる」と言い切った。2019年の時点でもまだ新駅にこだわっていたのだ。空港新駅計画をつぶされた腹いせがリニアの事業計画変更という筋書き。このように両者を結びつけるのは、やや強引だろうか。


2019年9月、東洋経済の取材に応える川勝知事(撮影:今井康一)

4月4日、JR東海はリニアに関する今後の発注見通しを発表した。そこには山梨県駅の新設工事の工期が約80カ月、飯田市内に建設される高架橋の工期が約70カ月となっている記載があった。今すぐ契約を締結して工事に着手したとしても工事完了の時期は2030〜2031年ということになる。川勝知事にしてみれば「ほかの工区でも工事が遅れていることが証明された」ということになるが、これも正しい見方とはいえない。静岡工区の完成が遅れることがはっきりした以上、ほかの工区を無理して2027年に完成させる必要はないのだ。

むしろ気になるのは、リニアの開業遅れがJR東海の経営に与える影響だ。

短期的・中期的にはまったく影響ないどころか、財務面ではプラスとなる。東海道新幹線の収益力は高い。コロナ禍前の2018年度におけるJR東海の運輸セグメントの業績は売上高1兆4613億円に対して営業利益は6648億円だった。売上高営業利益率は45.4%である。ここから在来線の収支を差し引いた東海道新幹線の利益率がさらに高いことは、容易に想像できる。

コロナ禍の影響が残る2023年度の業績予想においても運輸セグメントの売上高1兆3670億円、営業利益4980億円。リニア計画を作成した時点の運輸セグメントの収支見通し(2006〜2010年度業績予想の5年平均)は売上高1兆2049円、営業利益3485億円なので、リニア開業前の収支想定を大きく上回っている。今後コロナ禍の影響が減れば収支は2018度の実績に近づいていく。収支が想定を上回っているだけでなく、リニア開業が10年遅れれば、JR東海は東海道新幹線で得た利益を内部留保する期間が10年延びる。2008年度から2018年度の10年間でJR東海の利益剰余金は2兆円以上増えた。今後もそのペースで蓄積できれば、財務面での安定性は増す。

「開業10年遅れ」が生む懸念

しかし、長期的には話が違ってくる。リニアが開業すれば工事費用の減価償却が始まる。品川―名古屋間だけで約7兆円の工事費がかかる。車両や橋梁など固定資産の種類によって償却期間はさまざまだが、仮に全額をトンネルの税務上の耐用年数である60年で定額償却すれば毎年1166億円の減価償却費が発生する。そのため、リニア開業前の利益水準を下回る可能性がある。その後は名古屋開業後に連続して行われる名古屋―新大阪間の工事費用の減価償却が控えている。これらの点はリニアの事業計画に織り込み済みだが、想定外の事態としては開業が10年遅れると、総額3兆円の財政投融資の返済時期と重なってしまう。


リニア中央新幹線東百合丘工区(神奈川県川崎市)で進むトンネル工事の現場(撮影:尾形文繁)

返済期限は2055年から2056年にかけて。JR東海は「10年程度かけて返済する」としており、2046年頃から返済を始める計画だ。本来のスケジュールであれば2046年とは大阪開業から9年経ち、経営が安定している時期である。しかし、開業が10年以上遅れた場合、開業直前の資金需要が増える時期と財政投融資の返済時期が重なる可能性がある。この点についてJR東海に問い合わせると、「返済額は金融機関からの借り換えなどで対応し、健全経営と安定配当を堅持する」と回答した。

さらに怖いのは、東京―名古屋―大阪という日本の大動脈輸送の二重系化の完成が遅れることだ。リニアが完成しないことには東海道新幹線は長期間にわたる部分運休を伴う大規模な改修工事は難しいし、リニアの完成前に大規模な大災害が発生して東海道新幹線が寸断されれば、JR東海の収入は激減する。最悪の場合、それが借り換え計画に影響を及ぼす可能性するある。JR東海としては、川勝知事の「手柄」であるリニア開業10年遅れの間に巨大災害が起きないことを祈るばかりであろう。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)