高知市内のはりまや橋交差点では、とさでん交通の路面電車が平面交差する(撮影:鼠入昌史)

かつて、四国に入る方法は船しか存在しなかった。宇野から宇高連絡船を使って高松へ。また和歌山と徳島、広島と松山を結ぶ航路などが代表格だろうか。

いまでもこうした航路の多くは現存していて、乗ってみればそれなりにたくさんのお客でにぎわっているものだ。とくに瀬戸内の航路は、いまも昔も西日本の大動脈である。

高知を目指す特急「南風」

ただ、いまではほかの地域から四国に入ろうとすれば、いちばん便利なのは飛行機、または本四連絡橋ということになろう。なかでも岡山と香川を直結する瀬戸大橋は、道路交通はもとより鉄道も通る、本四連絡随一のルートになっている。

瀬戸大橋線に乗って四国に入ると、そこから先の行き先は三手に分かれる。快速「マリンライナー」ならば香川県都の高松へ。特急「しおかぜ」は瀬戸内海沿いを走って愛媛県は松山へ向かう。そしてもう1つ、険しい四国山地をまっすぐ南に抜けて高知を目指す特急「南風」がある。

この土讃線特急「南風」は、四国山地の真ん中で徳島県を経由し、大歩危・小歩危の渓谷を抜け高知県に入る。

といっても、しばらくは吉野川上流の山の中。くねくねと山中を走り続け、ようやく土佐山田駅付近で車窓が開けると、ほどなく県都のターミナル・高知駅へ着く。岡山―高知間はおよそ2時間30分の、在来線特急の旅である。

高知県は、四国にあって唯一(といっても四国には4県しかないのですが)、本州や九州のほかの地域と向き合わない。桂浜の向こうには、茫洋たる太平洋が広がるばかりだ。その意味では、まるで陸の孤島のような地理的条件を抱えている。

高知の人々は、いつのときも太平洋の大海原を見つめていたのだ。それが、幕末から維新期にかけて先進的な人物を多く輩出したことにつながっているのだろうか。

三セクの土佐くろしお鉄道

そんな高知だが、鉄道という点ではいささか恵まれていないといっていい。通っている主要路線はただ1つ。特急「南風」が走る土讃線である。土讃線は、高知駅からさらに西に向かって延びており、終点は窪川駅だ。ここから先は第三セクターの土佐くろしお鉄道の線路が続き、“土佐の小京都”中村や宿毛といった県南西部の諸都市へと通じている。


四万十川を渡る土佐くろしお鉄道宿毛線(撮影:鼠入昌史)

土讃線高知―窪川間や土佐くろしお鉄道区間を含め、ここにも特急が走っている。その名も特急「あしずり」。四国最南端の足摺岬にちなんだネーミングだ。ほとんどが中村発着だが、1日1往復だけ宿毛駅発着の「あしずり」も。また、かつては多くの列車が高知駅以北、すなわち岡山方面へと乗り入れていたが、現在は1日上り1本の特急「しまんと」が、宿毛―高松間を長駆結んでいる。


土佐くろしお鉄道中村線を走る「あしずり」。特急が中心のダイヤが組まれている(撮影:鼠入昌史)

このように、いくらかひいき目に見たところで高知の鉄道は土讃線と土佐くろしお鉄道中村線・宿毛線によってほとんど説明が終わってしまうのだ。この土讃線系統の路線は、高知県に出入りするための大動脈であると同時に、県内鉄道ネットワークの根幹なのである。

愛媛の宇和島と結ぶ予土線

もちろんほかにも四万十川沿いを走る絶景路線の予土線や、こちらも土佐くろしお鉄道が運営して高知県東部、すなわち室戸岬方面を目指すごめん・なはり線も通っている。

予土線は窪川・若井―北宇和島・宇和島間を結ぶローカル線で、全線を走る列車は1日にわずか4往復。近年のローカル線への逆風の中で、例に漏れず存続の危ぶまれそうな路線ではあるが、車窓から望む四万十川は絶景そのもの。0系新幹線電車のそっくりさん、鉄道ホビートレインなども走っている。


四万十川を渡る鉄道ホビートレイン。予土線ならではの絶景をゆく(撮影:鼠入昌史)

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線は、高知県の鉄道では唯一県の東側を走るローカル線だ。もともとは阿佐西線という名で計画され、ゆくゆくは室戸岬を大回りして徳島県南端の現・阿佐海岸鉄道阿佐東線と結ばれる予定だった。夢と潰えた計画の一部が、第三セクターによって継承されて2002年に開業している。着工から実に37年もの歳月を経た、地域の人々にとっては悲願の鉄道であった。


ごめん・なはり線は1965年に着工、紆余曲折を経て2002年に開通した三セク路線だ(撮影:鼠入昌史)

ごめん・なはり線のターミナルは土讃線と接続する後免駅。ただし、後免駅停まりの列車はわずかで、ほとんどは高知駅まで乗り入れる。沿線は総じて太平洋沿いの田園地帯。途中、安芸市内には阪神タイガースのキャンプ地にもなっている安芸市営球場の脇を通る。この縁から、阪神タイガースラッピングの車両が運転されている。

全線開業が遅かった

と、高知県の鉄道はこれが大部分である。そして特徴的なのは、これらがすべて完成したのは戦後になってから、ということだ。第三セクターの土佐くろしお鉄道などは平成以降の完成であり、予土線にしても全線開業は1974年だ。土讃線が全線開通したのも1951年である。


土讃線の特急「あしずり」。太平洋を望む区間も(撮影:鼠入昌史)

そしてそもそもの話をすると、高知県の大動脈・土讃線が高知県内ではじめて通った区間は須崎―日下間。大正時代も終わり頃の1924年のことだ。


路面電車は東部で南国市の中心市街地を走る(撮影:鼠入昌史)

つまり、高知県は歴史的にみて鉄道の開業が遅れに遅れた地域の1つといっていい。近代日本のリーダーたちを多く輩出した地域であっても、鉄道には恵まれない。このあたり、我田引鉄があたりまえの後の時代の政治家たちとはひと味違う、ということなのだろうか。

そんな中にあって、これらの路線よりも圧倒的に早く開業した路線がある。

それは、現在はとさでん交通によって運営されている、高知市中心部などを走る路面電車だ。この路面電車が開業したのは1904年。まだ土讃線のような国鉄路線が通るよりも前に、いち早く市内の中心部を路面電車が通った。

路面電車から始まった

最初の区間は短かったが、のちに東へ西へ延伸し、いまではいの―後免町間の伊野線・後免線と高知駅前―桟橋通五丁目間の桟橋線、あわせて25.3kmのネットワーク。軌道路線としては日本一の営業距離を誇っている。ちなみに、現存している路面電車の中では最も古い。

つまり、高知の鉄道(路面電車を含めた広い意味での)は、高知市内の路面電車からはじまったのである。高知県内の人口のおよそ半分までを占める高知市とその周辺を結ぶ、いちばんの大動脈。そのとさでん交通の路面電車こそが、高知県における鉄道の原点なのだ。

国が鉄道を引っ張ってこないなら、自らの手で自らの鉄路を。この意気こそが、高知という地域の特色を反映しているのかもしれない。


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(鼠入 昌史 : ライター)