多くの利用者の注目を集める新型「やくも」273系(記者撮影)

「乗り物酔いしにくい」新型車

岡山―出雲市間を結ぶ特急やくもに導入する新型車両「273系」が4月6日に営業運転を開始した。

最大の特徴は最新型の振り子式の制振装置を導入したことだ。岡山―出雲市間はカーブが多いため、従来の「381系」はカーブ区間に来たら自然に車体が傾くことで速度向上を可能とする「自然振り子式」が採用されていた。しかし、この方式は、カーブに差し掛かり遠心力が働き始めたタイミングで車体を傾斜させるため、乗り物酔いしやすいとされる。

そこで、JR西日本は「制御付き自然振り子方式」を開発して273系に搭載した。走行データとマップデータを照合し、正確な現在位置情報をもとに、カーブに差し掛かる前から新型装置が作動し車体を傾斜させることで、より自然な乗り心地を目指した。「乗り物酔いしにくい車両になっている」と、JR西日本の担当者が胸を張る。


新型「やくも」273系は最新式の振り子式制振装置でカーブでの乗り心地を改善した(撮影:ヒラオカスタジオ)

営業運転開始前の3月23日、報道関係者向けの試乗会が開催された。実際に乗車してみると、381系に比べて確かに乗り心地がよい。381系ではカーブ区間では通路を立って歩けないほど揺れていたし、座っていても細かい振動が気になった。しかし、273系は座っていても立っていても揺れが少ないと感じる。たとえて言えば新幹線のような乗り心地だ。

客室内のデザインも381系と273系ではまったく違う。やや暗い色彩の381系に対し、273系の普通車シートは緑と青を基調としており、明るく開放感がある。2人用と4人用のボックス席からなるセミコンパート席は座面をスライドさせるとフラットシートになるので、足を伸ばしたり、小さな子供を遊ばせたりすることができる。まるで観光列車のようだ。こうした非日常感も心理的な快適性向上に一役買っているのだろう。


緑と青を基調とした新型「やくも」273系の普通車(撮影:ヒラオカスタジオ)

273系のデザインを手がけたのは建築家の川西康之氏。JR西日本では「WEST EXPRESS(ウエストエクスプレス)銀河」などのデザインで実績がある。「381系では寝ている乗客が多かった。273系では乗客が目を見開き、車内を歩き回るようにしたい」と意気込む。

駅に「やくもラウンジ」設置の狙い

新型やくもの運行開始に合わせ、JR西日本はもう1つの仕掛けを行った。米子駅と出雲市駅に「やくもラウンジ」という待合室を設置したのだ。


米子駅に設置された「やくもラウンジ」(写真:JR西日本)

米子駅は2023年7月にリニューアルされ、新駅舎と駅ビルが開業した。やくもラウンジは新駅舎の2階にある。室内には地元山陰の木材を使用した椅子、テーブル、インテリアが設置されている。これらの木材は米子駅の駅舎でも要所要所に用いられており、たとえば駅の南北を結ぶ自由通路の中央に置かれたベンチ、トイレ前のモニュメントなどにも使われている。

ベンチやモニュメントの制作を担当した多林製作所代表の多林一心氏は「木製の家具を公共の場所で使用する際は、どうやって維持するかが重要」と話す。確かに自由通路のベンチは多くの人が利用しているせいか、すでに汚れや傷が目立つ。磨いても汚れや傷が取れない場合は表面を薄く削るしかないという。


米子駅南北自由通路のベンチと、制作を担当した多林製作所代表の多林一心氏(記者撮影)

多林氏が手がけた家具はやくもラウンジでも使われている。そのデザインは、新型やくもを連想させる。これらのデザインも川西氏によるものだ。座っているだけで楽しくなるようなデザインで、机にはコンセントが設置されているのもうれしい。出発までのひとときを快適に過ごせそうだ。

当初は通常の待合室となる予定だった。川西氏によれば、新型やくもの乗車体験は点と点を結ぶ線にすぎず、「点や線から面に広げよう」という発想から生まれたものだという。

新型やくもの沿線は日本でもトップクラスに少子高齢化と人口減少が進む地域である。川西氏が新型やくものデザインに着手したとき、JR西日本の社員らと地域共生について対話を重ねた。


新型「やくも」273系と「やくもラウンジ」のデザインを手がけた川西康之氏=2023年10月の車両報道公開時(撮影:ヒラオカスタジオ)

社員らから「地域自治体や住民らとどうやって付き合っていいかわからない」という声が多く出たことが川西氏の心に残った。「ローカル線存続の話もそうですが、自治体の想いと鉄道会社の振る舞い方にはいろいろと距離があるように感じます」(川西氏)。

やくも停車駅の多くの駅前は、シャッター商店街であり、コンビニまで2km以上ある駅前もある。「これではやくもがいくら新車になっても快適とはいえない」と川西氏は考えた。「やくもの停車駅では出雲縁結び空港や米子鬼太郎空港に負けない快適性と信頼性を創出したい」。

米子駅では駅舎のリニューアル工事がすでに始まっていたが、川西氏が建設中の図面に赤ペンを入れて、待合室をリデザインした。「かなり無理な工程と予算で、やくもラウンジを追加していただきました」。


夜の出雲市駅「やくもラウンジ」(記者撮影)


新型「やくも」273系のセミコンパート席。木材を使った丸みのあるデザインは「やくもラウンジ」と共通感がある(記者撮影)

鉄道と地域の関係「再構築」の場に

時間的な制約があった米子駅に対し、出雲市駅のやくもラウンジは本格的に取り組むことができた。入室した瞬間に飛び込んでくるのは木製の巨大なベンチ。川西氏の代表作の1つであり、国内外で評価が高い土佐くろしお鉄道中村駅の待合室を想起させる。「やくも号の待ち時間をデザインしなければならないという点では中村駅と共通です」。


出雲市の「やくもラウンジ」とJR西日本の佐伯祥一山陰支社長(記者撮影)

出雲市駅のやくもラウンジの開業直前、JR西日本は駅近くにある高校の生徒らを招待し、川西氏がデザインの意図を説明した。電車の待ち時間にはこの場所を自習室として活用してほしい。学生たちが公共空間を行儀よく使っていれば、大人たちもラウンジにふさわしい立ち振る舞いをするようになる。誰もが行儀よく使うことで、公共空間は心地よいものになる。

そして、川西氏は高校生たちに「都会に出たら、出雲の豊かさを思い出してほしい」と伝えた。願わくば、高校時代にやくもラウンジという豊かな空間で自習した経験を誇りに思ってほしいと。つまり、やくもラウンジとは新型やくもの乗客のためだけではなく、地元の人たちのためのスペースでもあったのだ。

木材家具を制作した多林氏は「公共空間で使われる木材家具は維持が大変」と話していた。それは川西氏も織り込み済み。手入れが大変だからこそより大事に扱ってほしいと考えている。それが、地元を走る鉄道は自分たちの鉄道であるという「マイレール意識」の醸成につながる。これからは鉄道会社だけでインフラのすべてを維持管理するのではなく、地域の人々も主体的に鉄道にかかわるべきなのだ。

松江などほかの停車駅にもこのようなラウンジを設置することを川西氏は望んでいる。中国地方のほかのエリアではJR西日本と地元の関係がぎくしゃくしている沿線もあるだけに、もしこのようなラウンジの設置が増えれば、鉄道と地域との新しい関係を再構築するきっかけになるかもしれない。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)