日本で発行されているポルトガル語の「アルテルナチーバ」(以下、写真はすべて筆者撮影)

「エスニックメディア」をご存じだろうか。「ある国や地域に住む人種・民族的なマイノリティーたちがつくるメディア」のことだ。

日本でも在住外国人たちがさまざまなエスニックメディアを持っている。ネパール語の新聞、韓国語のフリーペーパー、タガログ語のニュースサイト……。日本に住む外国人も、自分たちの「媒体」を持ち、読むのを楽しみにしているのだ。

これは海外に住む日本人だって同じで、アメリカやベトナムやインドなどなど世界各地に日本語のフリーペーパーや新聞がある。在住の日本人向けに発行されているものだ。

僕はタイに住んでいたことがあり、そのときは日本人向けの情報誌の編集部で働いていた。バンコクには僕たちがつくっていた雑誌のほか新聞やニュースサイト、フリーペーパー、さらにはラジオなど日本語の媒体がたくさんあったものだ。

発行1万6000部の「アルテルナチーバ」

異国で暮らすというのはたとえ言葉がわかったとしてもなかなか心細いもので、その生活の中で触れる母国語の情報源というのは心強く、またどこか温かみを感じるものなのである。

で、日本にいくつもあるエスニックメディアの中で、とりわけ大手のものが「Alternativa」(アルテルナチーバ)、ポルトガル語のフリーペーパーだ。おもにブラジル人が愛読しているのだが、130ページのフルカラーを年間24回、発行1万6000部という数字に、元同業者として驚く。それだけの規模のものがタイにあっただろうか。

その中身を見てみると、「日本におけるブラジル人の教育問題」「日本で起業するうえで注意すべきこと」といった記事が並ぶ。

日本で活躍するブラジル人シェフが教えるレシピ、日本で開催される予定のブラジル映画祭の紹介などエンタメ記事も多い。

また日本語の学習コーナーもあるし、漫画は同じ内容でセリフがポルトガル語のものと日本語のもの、2パターンが掲載されているのが面白い。


日本語を学ぶためのコーナーも。漫画は日本語版とポルトガル語版の両方を掲載

「日本で暮らすうえで必要な情報」をしっかり掲載する

「ブラジルから来て日本語を勉強中のお父さんは日本語のほうを読んで、日本生まれで日本語がわかる子どもはポルトガル語のほうを読んで勉強する。読者からそんな話を聞くとうれしくなりますよね」

そう話すのは「アルテルナチーバ」を運営する日伯友愛の代表取締役、田井博基リカルドさんだ。いま日本に住むブラジル人の多くは日系人だが、田井さんもやはり日系2世だ。


20年以上「アルテルナチーバ」を運営する日系2世の田井博基リカルドさん

2001年に創刊して以来なんと580号以上をつくってきたが、大事にしてきたのはまず外国人が日本で暮らすうえで必要な情報をしっかり掲載すること。

「例えばマイナンバーが始まったときは制度について記事をつくりました。日本人でもわかりにくい部分があったので、外国人はもっとわからないんですよ。だから細かいところまで説明したんです」(田井さん)

コロナのときは感染対策やワクチンについて毎号毎号ページを割き、また入管法の改正などビザ関連のニュースも追う。外国人労働者の増加や、ミス日本に外国ルーツのモデルが選ばれたことなど、外国人関連の出来事について読者の意見を掲載したリ、社説で論じたりもする。


日系人としてのアイデンティティを探るもの、在日ブラジル人のビジネスシーン、納税についてのトラブルやアドバイスなど記事の内容は多岐にわたる

印象的なのは広告の数々だ。ブラジル食材のスーパーマーケットやレストラン、ビザの手続きを代行する行政書士、翻訳会社、自動車保険、健康食品、美容整形、ポルトガル語の通じる歯医者、リサイクルショップ……実に多様な会社が広告を出していて、ブラジル人が日本でどんなサービスを必要としているのか、生活がよく見えてくるし、なにより彼らを取り巻く「経済」が手に取るようにわかる。

なにせ日本に暮らすブラジル人はおよそ21万人、日本国籍を取得した人を含めると25万人ほどのマーケットを「アルテルナチーバ」は持っている。そこをターゲットに出稿しようという企業によって雑誌は成り立っている。ブラジル人が起業した会社もたくさんあるし、日本の企業も並ぶ。

「いままでにJALやソニー、東芝といった企業に広告を出していただいたこともあります。広告代理店ともお付き合いしていますしね」(田井さん)

ほかにも日本の企業でいえば、クレジットカード会社や不動産関連、さらには宝くじの広告が掲載されることもある。

「うちの広告には人生すべてがあるって、よく冗談で言うんです。結婚するときのパーティー会場からケーキの手配、ブラジル人学校、それに離婚でもめたときの弁護士まで」(田井さん)


こうした求人広告をもとに転職し引っ越していくブラジル人は多い。流動性の高い社会といえる

これまで日系企業、ブラジル人の企業、計4000社が広告出稿したというが、それだけの広告効果が「アルテルナチーバ」にはあると考えられているのだ。

その理由の1つに、読者の日系ブラジル人は「定住者」という安定したビザ(在留資格)を持って日本で生活していることが挙げられるだろう。

ブラジル人が日本に定着した背景

「技能実習」「特定技能」「留学」などの在留資格と違って「定住者」には就労の制限がなく、日本人と同じように自由に働ける。だから長年、日本で暮らしている人も多く、コミュニティーが広く深いし、日本社会になじんでいる人も多い。

そんな「定住者」の在留資格が日系人に与えられたのは1990年のこと。時はバブルの絶頂期、モノはばんばん売れたが生産現場はつねに人手が足りなかった。工場などでの労働は3K(きつい、汚い、危険)といわれ、避けられるようになったからだ。

選べるほどたくさんの仕事があったということでもあるだろうが、政府は労働力不足を補うべく、外国人に目をつけた。それも日系人だ。ブラジルやペルーなど南米には明治時代から昭和初期にかけて移民していった日本人の子孫が根を張っている。彼らを労働力として呼び込むことにしたのだ。

日系2世と3世、その配偶者は「定住者」という在留資格を取得できるようになり、愛知や群馬、静岡など全国各地の工場地帯を中心に日系ブラジル人が定着するようになったというわけだ。

就労の制限がないこともあり「アルテルナチーバ」には人材会社の広告もたくさん躍る。製造業がかなりの部分を占めるが、食品加工、介護、倉庫、トラックドライバーといった仕事もある。カップルや夫婦で働ける職場だとアピールする求人が多いのはブラジル人の人柄を反映しているのだろう。

「引っ越し代負担!」をうたう求人も目立つが、これは少しでも給料のいい職場に移っていくことがブラジル人の間ではよくあることだからだそうだ。

「残業たくさんあります」なんてキャッチもあって、とにかく稼ごうというバイタリティーを感じるけれど、一方で昔もいまも日本人があまり就きたがらない人手不足の職場を外国人が支えているという現実も「アルテルナチーバ」の広告からは浮かび上がってくる。そして、もう少し正規雇用の求人広告が増えていけば、外国人の生活もより安定するのではと思った。

日本企業がブラジル人を募集する理由

「アルテルナチーバ」には日系の人材会社もたくさん出稿しているが、そのひとつが株式会社ユタカだ。

「もともと外国人と仕事をするというイメージはなかったんですよ。ブラジルと言われてもサッカーとサンバくらいしかわからなくて」

そう語るのは専務取締役の川上清一さん。会長の鶴の一声で「アルテルナチーバ」に出稿し、ブラジル人を募ることになったが、始めてみれば彼らの根気強さに驚かされた。

「工場などの現場では日本人従業員は早く辞めてしまうことが多いのですが、ブラジル人は残ってくれて、長く働いてくれるんです」(川上さん)


「アルテルナチーバ」広告主の1つ、株式会社ユタカ専務取締役の川上清一さん

だからいつの間にか、外国人材を扱うほうが多くなっていった。「アルテルナチーバ」にも20年近く広告を出している。つまりはブラジル人の企業とビジネスを、金銭のやり取りを続けているわけだが、

「いまではうちの締め・支払い日に合わせてくれているし、そこは信頼関係があると思います」

と川上さんは言う。外国人を相手に商いをすることについて、とくに不安は感じていない。

さらにユタカは、ほかにもたくさんのエスニックメディアに広告を出してきた。タイ語、タガログ語、スペイン語……ウェブ版に移行したリ廃刊したものも多いが、それでもこれだけ多くの外国語の媒体が日本で発行されている。そして日本人から見れば、外国人社会というマーケットに直接アプローチできる窓口でもあるわけだ。

ユタカではエスニックメディアを通じて募集した人材を工場などの職場に斡旋するだけでなく、日本の習慣や日本語に不慣れな人であれば引っ越しの手伝いや買い物、病気のときの世話まで、生活のこまごまとした相談にも乗る。

「派遣業はよく『中間搾取じゃないか』なんて言われますが、派遣先の企業ではやらないケアまで含めて面倒をみるのも仕事なんです」


ユタカが広告を出してきたエスニックメディアの数々。広告効果はしっかりあるという

こうして外国人を相手にビジネスを続けるうちに、いつの間にやら社員もブラジル人、フィリピン人、ベトナム人と多国籍になってきた。いまでは社員の7割が外国人スタッフで、事業所によってはまるごと外国人に任せているところもある。みんな日本語がわかるとはいえ文化の違いから困ることはないのだろうか。

「うーん、そんなに感じたことはないですね。働きぶりも日本人と変わらないし、売り上げも伸ばしてくれるしね。それに、いろんな文化に触れられるから面白いじゃないですか」

田井さんが日本に来たのは19歳のとき

いまでは川上さんとすっかり盟友のような田井さんだが、ブラジルにいた10代のころから出版社で働いていたそうだ。

「はじめはアシスタントだったんですが、デザインの仕事を任されるようになって。自分がつくったものが印刷物になるのは嬉しかったですよね」

父とともに、ルーツの国である日本に来たのは19歳のとき。愛知県の刈谷市にある自動車関係の工場で働いた。いったんブラジルに帰国してから新聞を創刊したが、軌道に乗らなかったこともあり、2度目の来日。やはり工場で働きながらデザインの仕事も請け、パンフレットや名刺やロゴなどの製作を続けたが、どうしても自分の媒体をつくりたかった。それも、日本に暮らすブラジル人のためのメディアを立ち上げようと、29歳のときに「アルテルナチーバ」を創刊した。まず苦労したのは広告集めだ。

「信頼ゼロですからね。最初は難しかったですよ。でも僕、営業好きなんです。チャレンジが大好きなんですよ」

そのガッツで少しずつ広告主を増やし、経営は安定していったが、2008年にリーマンショックが襲う。多くのブラジル人が勤める製造業は大打撃を受け、たくさんの失業者が出たし、帰国する人も多かった。

「アルテルナチーバ」の広告は激減し、売り上げは60%も落ちた。

「それでも、付き合いの長いお客さんたちが広告を出し続けてくれたんです。ブラジル人も日本人もいました」

紙媒体を発行し続けている理由

長年かけて培ったそんな信用を糧にコロナ禍もどうにか乗り切ってきたが、気になるのは紙媒体を続けている理由だ。印刷や流通経費、紙代、倉庫代などがかかる紙媒体はいまや全世界的に経営が厳しい。


こざっぱりした編集部。テレワークの社員も多い

僕の住んでいたタイでも日系エスニックメディアは次々に消え、ウェブ版のみにするところも増えている。

「もちろんSNSも活用していますが、読者も広告主も紙のほうに信頼を持ってくれているように思います。紙ならちゃんと手に取れますしね」

とはいえ経営のかじ取りはなかなかに大変で、雑誌単体のほかにウェブ版、ホームページ制作、デザインなどのサービスを展開しつつ会社を運営している。いまでは12人のスタッフを雇うまでになった田井さんに、ビジネスポリシーを聞いてみた。

「いい商品をつくれば広告は絶対に入るんです。だからブランディングをしっかりやることですね」

広告で成り立っているフリーペーパーだからまずは広告を集めなければと誰もが思うが、その前にいい内容の記事をつくること。そしてブラジル人のコミュニティーに貢献できるものであること。そうすれば広告はついてくるのだと田井さんは力説する。

こうして20年以上の歴史を刻んできた「アルテルナチーバ」を含め、エスニックメディアの存在を多くの日本人はまだまだ知らない。ユタカのような企業は少ない。もしかしたらそこには、未知のマーケットが広がっているのかもしれない。

(室橋 裕和 : ライター)